「9月頃 お会いできますか?」

これは 昨日もらったメールの一文です。
この文章 素敵な異性から送られてきたら
ドキドキ ワクワク 
どうしようって舞い上がってしまいますねぇ。
でも 残念ながら 
相手は まだ50代のアラ還女子です。 

      ⁂

彼女は 昔の同僚・後輩・友達の Aさん。
昨年ブログを書き始めた頃 ✎ 友達とカフェへ で 
一度だけ登場しています。

彼女は 
水戸から南下すること 約70Km離れたところに
住んでいることもあり
滅多なことでは会えません。
それこそ 一年に一度 会うぐらい。

実は Aさんとは 特別な思い出があるんです。 
それは わたしが 前職(公務員)についていたころのこと。
同じ部署で働いていた時 
仕事上のことで
喧々諤々 意見を戦わした相手だということ。

こんなふうに書くと かっこいいけれど とどのつまり 
早い話が
喧嘩しちゃった!!相手なの。
何のことで そうなったかは すっかり忘れたのですが
その時は 彼女もわたしも 初めは 一歩も譲らなくて
2日間位 お互いを避けていたような記憶があります。
わたしは 彼女を 「生意気!!」と思い
彼女は わたしを 「わからずや!!」と思っていたかも
しれません。

先ほど 彼女のことを 「後輩」と書きましたが
同じ職種で 彼女の方が 後から入職したので「後輩」
つまり 彼女から見れば わたしは 先輩。

その頃 彼女は20代 わたしは 30歳ぐらいだったか。
Aさんは 若さもあって 鼻っ柱が強いというか 
先輩であろうが 上司であろうが
物おじせず 自己主張できるひと。
言うことはいうし やることはやるようなタイプかな。
実際 仕事のできるひと 今も きっとそうだと思う。
性格は 明るくて 活発。
なおかつ 情にもろいところもある。
実に 伸び伸びと育ってきてるなぁという印象。
・・・と そのころのわたしには 見えていました。

ふたりとも若かったわね。
ひとつのことで ぶつかりあって 言いたいこと言って
折り合いがつかず あとは 沈黙・・・
あくまで仕事のこととはいえ 対立した相手に対する
ネガティブな感情を うまく処理するすべは
今よりずっと 未熟だったと思います。
彼女も わたしも 悶々とした時間を過ごしました。

それが なんのきっかけで また歩み寄り
その後は まるで 何事もなかったような 
平穏で楽しい間柄に なっていったのか
そのきっかけの一瞬すら思い出せないほど 
その出来事は 遠い昔になってしまいました。

ずっと後になってから 
一度だけ 彼女と話したことがあったの。
「喧嘩したこと あったよね」と。
彼女も しっかり その事実だけは 覚えていました。
細かい記憶は やはりなかったけれど こう言ったのです。
「あのことがあってからですよね 仲良くなったの」

確かにそうなのです。
あのことがあって 先輩・後輩という間柄から
徐々に 友達関係になっていきました。
他の友達も交えて いっしょに旅をしたり 山に登ったり
楽しい思い出が たくさんあります。

      ⁂

でも わたしがひとりになって こちらに戻ってきてからは
会う機会も ぐっと少なくなりました。

彼女から たまにメールや電話がある時は
共通の友人の親御さんが亡くなったなどの訃報の連絡。
夫のときにお香典を頂いているから
そういう時にお返ししなくてはと思っていた
わたしの気もちを知っていて きちんと連絡してくれたのです。
何回かは自分で出向きましたが
どうしても行けない時は 
彼女にたてかえてもらったりしました。

そして 
たてかえてもらったお金をお返しするのに 
会いに行ったり 来たりしながら 
ふたりのご縁は 細々と続いていたのです。

でも しばらく 会わない時期もありましたね。
わたしは 退職し 学生生活に突入。
修了後は 新たな職種での仕事をスタートしました。
彼女は彼女で 家庭と仕事の両立など
大変なこともたくさんあったと思います。

わたしたちは 
それぞれの世界で 一生懸命生きていた。

その頃 わたしは 大病も経験したのですが
あえて 彼女には連絡しませんでした。
彼女と言わず 遠方の友人には 一切連絡しなかった。
自ら連絡したのは たったひとりだけ 
最も近くに住んでいる クリスチャンの友達だけ。
他の友人達には 必ず あとで告げることができる。
「実はこうだったのよ」と話すことができる。
元気になったら話すと こころに決めていました。
何があっても生きるのだと 祈るような気もちで。

ずっと後になって Aさんに 病気のことを話した時
彼女は 目に涙をためながら 言ってくれました。
「生きていてくれて 本当によかった」と。
わたしは その言葉に 胸がいっぱいになりました。

     ⁂

しばらく 訃報の連絡はありません。
そのかわり ここ数年は どちらからともなく連絡しあって
一年に一度は お互いの中間地点であって おしゃべりを
するようになっています。

彼女が  昨日のメールの中で
「ご無沙汰しています。
相変わらず 4月からバタバタしていていました」
こう 書いてきたように またもや 重要な役回りで
仕事をしている様子が伝わってくる。
「早期退職したいけれど 
息子の学費 まだまだ続きそうだから
そういうわけにもいきません」と言っていた彼女。

Aさん どうしているかしら?
彼女のことを考えていた矢先の
会おうよメール♪
わたしも 忘れていないわよ Aさんのこと。

若かりし頃の職場で出会った このご縁

すれ違ったまま 
その後 顔も見ずに 別れてしまうかもしれない 
そんな 人生の交差点で
わたしたちは お互いの顔をしっかり見つめ
こころの中で 握手した。
その手の温もり 忘れません。
この ご縁 大切にしていきます。

      ⁑

9月頃 お会いできますか?

もちろんです ♡


       ✎ おり~ぶ




今日も お運び下さいまして ありがとうございます。
どうぞ happyな週末をお過ごしくださいね
 


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本日は ようこそお運びくださいました。

わたしといっしょ♡ブログに
どうぞ おつき合いくださいませ。

このような書き出しをいたしますきっかけは
近頃手にした この本にございます。

   ☟
日本の大和言葉を美しく話す―こころが通じる和の表現

大和言葉とは 日本古来よりの言葉とか。
今日の記事は 
大和言葉を心がけながら 綴ってみたいと存じます。

        ⁂

今朝も曇り空 
今にも雨粒の落ちてきそうな気配でございましたが
家の周りを ぐるりと歩いてまいりました。

道すがら 田園をわたる風が 湿りを帯びております。

DSC_0912_20170817075051f76.jpg

稲の穂は
夜露に濡れて しなだれているのか
それとも 
実り始めて 頭(こうべ)を垂れているのか
いずれにしましても 少し色づいてきております。

暑い暑いと申しましても
季節は 一歩一歩 秋に近づいている・・・
そんな気配が 漂っております。
実る季節の訪れが 待ち遠しく感じられますね。

この頃は こうして歩くこともままならぬ天候もあって
足が重たくなっておりました。
それでも 歩みを進めるうちに 
少しずつ 足元の軽くなるのを覚えます。

そぞろ歩いて 家に戻りますと
門口に このような花が咲いておりました。

DSC_0914.jpg

この花の名を 調べましたが わからずじまい。
いつからか どこからか タネが飛んでまいって
わが庭に 毎年 咲くようになりました。
タネは いつのまにやら どのようにして 旅立つのか
今もって これまた わからずじまいでございます。

玄関の扉を開けようとする すぐ左上には
朝顔が いくつも咲きそろいて お出迎え。

DSC_0911_2017081707515453b.jpg

朝に咲いて 昼には もうしぼんでおりますこの花。

散り際の美学とともに語られる桜の花より
なお その寿命は みじこうございます。
ひとつの朝顔の花
朝に愛で 夕べには
ぽろりと落ちた しぼんだ花が 足元に・・・
そのはかなさゆえの愛おしさはこのうえなく
こころに残る花なのでございます。

朝顔
      八木 重吉

ひかりある
そらはしずかに
ただひとつ
あさがおのさく


      ⁂

朝の歩みを終えて
こうして 記事を綴りながら
あらためて 時の流れのはやさを感じております。

季節が移ろいゆくように
ひとのこころも 
同じところにとどまってはおりません。
いつまでも 同じところに居つづけるとしたら 
そこから眺める風景は
どこか味わいのないもののような気がいたします。
伸びゆく我が そこにはない。

それでも 
移ろいゆくものの中で 決して移ろわないもの
変わらない思いや信じるところ 
それもまた 大切なものでありましょう。
その大切なものを こころの軸にして 
変わっていきたい 伸びていきたい 熟していきたい。
そのようなことを 
思い起こした朝でございます。

     ⁂

このように書いてまいりましたら
いつになく お上品になったような気がいたしましたが
思いのほか 息切れ 言葉切れ!? ああ 難しい。
大和言葉 ♪
まだまだ 修行が足りません (^_-)-☆

ということで
このあたりで失礼いたします。

あなた様の またのお越しを 
幾重にも お願い申し上げます。

  *

それじゃあ また 明日~♪
     ♡


      おり~ぶ



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今朝は 4時半に目が覚めてしまった。
ええい 起きてしまえと そのままベッドから離れました。

外は 薄明の頃
近くの林から
セミの鳴き声がきこえます。

カナカナカナカナ

わたしは カナカナゼミと呼んでいますが
「日暮らし」ともいいますね。
一日の中で 朝と夕方の短い時間帯だけ 鳴いています。
日の出前 日の入り前に鳴くから 日暮らし・・・かな。

カナカナカナカナ・・・夏の音

ふと こどもの頃のことが思い出されました。
50年以上も前のこと。

その頃 わたしの家(実家)は 林の中にあったの。
夏になると 父が 
木々に囲まれた暮らしならではの
あるものを作ってくれたんです。

それは・・・何と言ったらいいのだろう?
今でいうと ツリーハウス?
ハウスとはいえない ツリー縁台というところでしょうか。

こんなイメージ。

DSC_0837_20170727080523b2b.jpg

4本の杉の木が ちょうどよく並んでいたのね きっと。
そこに 何かしら工夫をして
厚い板の台を取り付けたくれたの。
板は 頑丈なロープでくくりつけられていて
こどもが2~3人乗っても 大丈夫🎶

高さは どのくらいだったんだろう?
地面から 1メートルぐらいかな。
たいした高さではなかったけれど
子どものわたしには 宙に浮いているようなその場所が
特別な場所でした。
約2メートル弱四方の板・・・
わたしは そこを「舞台」って 呼んでたの。
夏休みになると 父に
「父さん 舞台 はやく作って~」とせがんでました。

台の上に ゴザを敷いてくれたから
そこで寝っ転がったり 漫画本を読んだりしてた。
座布団を枕がわりにしたり
蚊がいたりするので
蚊取り線香をつけたこともあったわね。

野外ですから 風が通るでしょ。
木々の緑の間をぬってくる風が 
そこだけは 特別に涼しい気がして 
夏休みは そこに入り浸り・・・というときもあったわ。

少し薄暗くなってくる時間帯に
そこにいると
カナカナカナカナと 日暮らしの声がする。
その舞台での 今日の時間が終わる・・・ 
そんな合図に聞こえたものです。

中学生になる前に そのツリー舞台はなくなったかな。
兄たちは もう こどもじゃない年齢になっていたし
わたしも 夏休みは 部活部活で
小学生の頃のようには 遊んでいられなかった。

ただ 大人になって
その4本の木を見るたびに
「ああ ここに 父さんが舞台を作ってくれたんだな」
と 思い出していたわ。
そんな父とは
わたしが高校に入学する直前の春休みに 
脳疾患による ほぼ突然のお別れをしたんです。
ツリー舞台を作ってくれる 優しく 器用な父でした。

      🌻

カナカナカナカナ
セミの鳴き声をきいて 遠い昔を思い出してしまった。

セミは 幼虫として 地中で数年を過ごした後
地上に出てきて木に登り 脱皮して成虫になるんでしょ。
地上で生きるのは 2~3週間といわれています。

そんなセミの一生に比べたら
わたし 申しわけないほど 長生きしてますね。
50年以上も前の思い出を 綴ったりして・・・

     🌻

さて そろそろ 朝歩きにいこうかしら。
実は この記事
カナカナカナをききながら 早朝に書いています。
でも 今は もう カナカナカナはきこえない・・・
カラスと山鳩の声 遠くの車の音だけ。

予約投稿に設定してから 
田んぼ道をひとまわりしてこよう。

セミのごとく

わたしの夏を 
精一杯生きようっと 
 

     おり~ぶ




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昨日は 叔母の施設への訪問日でした。
毎週月曜日の午前中 ほんの少しの時間ですが
顔を見に行きます。

叔母のことは これまでに4回記事にしています。
最近のだと 6月に。
未読で お時間の許す方は よろしかったら ぜひぜひ♪
  ☟
叔母を通してあらためて知った尊厳

それでね 
まず 話は 一昨日のことにさかのぼります。
つまり 日曜日の夕方近く
施設から 電話があったんです。
ドキッとしながら スマホをとると
「お伝えしたいことがありまして」と スタッフの声・・・
おそるおそる 「何でしょうか?」と 声が少し震えちゃう。

こんなお話でした。
昼食後 部屋に戻って横になる時のこと
要介護5なので 全介助で 車いすからベッドへ。
スタッフが 叔母の身体をベッドに寝かせて
タオルケットをかけて ベッド周りを整えて
それでは・・・と部屋を出ようとした時
叔母の顔が真っ青になっていた!!
ハッとして 名前を呼んだが返事がない
意識がない状態!!
しかも 無呼吸が 数十秒? 
別のスタッフが 急いで 看護師さんを呼びに行き
部屋に到着した時には・・・
叔母の意識は 戻っていて 声掛けに返事をしたそうです。
血圧を測り 血液中の酸素濃度を測ったら
ほぼ 普段通りになっていたとのこと。
顔色も戻り 会話ができるようになったので
医師の往診も依頼しなかったらしい。

わたしは 話を聞きながら
今すぐ出向いた方がいいのかと思い 聞いてみた。
すると スタッフからは
「今は 落ち着いて眠っていらっしゃるので
すぐにいらっしゃらなくても大丈夫かと思います。
とりあえず お伝えしておいた方がいいかと思い
お電話を差し上げました」とのこと。

わたしは 絵本セラピーから 戻ったばかりで
少々疲れていたこともあり
その言葉に 素直に従った。
今 急を要する状態というわけではなさそうだからと
この時は 
すぐ 施設に駆けつけることはしませんでした。

      🌻

実は 数年前も 同じようなことがあったんです。
叔母が 突然 意識消失してしまったこと・・・
この時は 叔母が千葉の施設に居る時。
叔母の姉である わたしの母が まだ存命の頃。

そのころ 叔母は病院に通院していて
その通院先の病院で 意識消失したらしい。
この時も 原因は不明。
同行していたのは 施設の看護師さんだったんですが
医師に 家族を呼んだ方がいいと言われたのか
そうでないのか
わたしのところに電話がかかってきたの。
たまたま 母と家にいた 午前中のこと。

「すぐこちらに向かってほしい」とのことだったので
急ぎ 母を義姉宅に連れて行きました。
母もひとりでお留守番は 心細いでしょ。
今夜は母のこと お願いしますと頼んで
わたしひとり 千葉に向かいました。
帰りが遅くなるか それとも 帰れないか・・・
そんな緊迫感があったんです。

ところが 電車で向かっている途中
その看護師さんから 
「意識が回復されたので 今日は おいで頂かなくても
大丈夫かと思います」との連絡あり。
「えーっ もう向かってるんだけどぉ」って感じです。
看護師さんは 平謝りでしたよ。
その時が 初めての意識消失だったらしいです。
それで慌てて 「すぐ来て」コールになったのかな??

でも その日 病院に出向いたことは正解でした。
持病が悪化していて そのまま入院になったので
タイミングよく 家族の同意書 書いてきました。

入院の手続きを済ませて 部屋に行くと
叔母は力ない表情ながら けろっとしています。
意識消失する直前までは 覚えてたけど
そのあとは・・・? 当然よね。

そんなことも ありました。
あの頃は 何度か 千葉に通いましたっけ。

   🌻

そして 昨日・・・

ともかく 
呼吸も意識も戻って 落ち着いているとのことなので
昨日の訪問は 普段通りの時刻に出向きました。

叔母は 臥床し 目をつむっていました。
顔色も悪くない。

スタッフに聞くと 朝食も普段通りの量を摂ったとのこと。
以前に比べたら だいぶ量は減っているみたいだけど。
でも 途中までは 自分の手でスプーンを使って
疲れたら スタッフに介助してもらう。
相変わらず 頑張り屋の叔母・・・

声をかけると 薄目を開けた。
「ミツさん 息吹き返してよかったね」というと
「うん?」という感じの 少々怪訝な表情。
「覚えてないの?」
「何を?」
・・・・・・・
あえて伝えることもないか 
本人が覚えていないんだものと思い
「よかった よかった」とだけ 言うと
彼女は なんのこっちゃという感じで 目を閉じた。

ベッドサイドで 叔母の顔をまじまじと見ていたら
鼻が丸いところとか 額が広いところとか
母に似ているなあと あらためて思いました。
やっぱり 姉妹よね・・・

わたしは だんだん母に似てきたといわれるし
自分でも そう思ってる。
ということは 
わたしは 叔母にも似ているということね。

そんなことを考えながら じっと見ていると
寝息を立て始めている。

最近は とみに毒舌も聞かれなくなり 寂しい限り。
痰もたびたびからむし 食事中もむせている。
窒息などの危険は大と スタッフからもいわれてます。
からだの中だって 
きっと いろんなところが弱ってきてる。
それこそ 明日をも知れぬいのち・・・
叔母自身が 一番それを感じてるんだと思うけど
どうしてあげることもできない。

でも・・・
叔母が生きていてくれる それだけで
わたしも励まされているのです。

そこに 生きていてくれる
そこに 居てくれる

息を吹き返してくれた叔母に
とりあえず ほっ 


   おり~ぶ



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今日は 今朝読んだ ある新聞記事から
感じたことを書こうと思います。

それがね・・・ 今朝の新聞ではないの。
昨日の新聞を 今朝 読んだ( ˘ω˘ ) 

昨日は 朝はやくブログを書いてから 
絵本セラピーの準備をしていたら 新聞読むの忘れちゃった。
というより 慌ただしくて 時間がなかった。
昼過ぎに 絵本セラピーのため隣市に行って・・・
セラピーを終えて帰宅しても いろいろあって・・・
昨日の新聞 今朝読むことになった次第です。

読まないともったいないような気がして 手にとったら
第一面に 書かれていた言葉 それは

「生きていてよい それが人権なんだ」

この新聞 こういうテーマの記事 第一面に出してくるから
何となく 好きなんですよ。

その記事は 
神奈川の知的障害のある方の施設で起きた
19人が亡くなられた痛ましい事件に関連したもの。
もうすぐ一年になるんですね。

新聞社に届いた 事件の被告からの手紙には
障害のある人は不幸だから安楽死させるべきなどという
差別的な意見が述べられていて 
反省の言葉は 全くないそうです。

自らも障害があり 障害者支援に取り組む専門家の方
お二人が その手紙を読んだ感想を述べておられる。
大学の先生をしている 熊谷晋一郎さんと
NPOで障害のある方の支援活動をしている 海老原宏美さん

熊谷さんは言う。
「価値があろうがなかろうが生きていてよい。
それが人権なんだと認めあえる社会にしなくてはいけない」


このように 述べながら
自分勝手な線引きで人を評価する考え方は
被告だけにとどまらないのではないかと危惧の思いも
吐露されている。

海老原さんは言う。
「世話をされないと生きていけない人は世の中にいらない
そうなりたくないと考える人はたくさんいる。
・・・自分が障害者でなくてよかったと
多くの人が感じているのであれば 亡くなった十九人は
浮かばれない」


彼女は 被告と同じような考えをしている人が
社会に潜んでいるのではないかと憂慮しているのだ。

わたしは このお二人の言葉を読んで
はたして 自分は どうかと 胸に手を当てた。

職業柄 精神的な障害のある方々と
かかわらせて頂いた経験もあるし
仕事上 傾聴という基本スキルの上でも
そのひとをあれこれ評価しないというスタンス。 
まずは ニュートラルな立ち位置を意識しているので
自分の中には 差別的な意識はないつもり・・・。
あくまで ひとりの人間として向き合う。
そこに 障害の有無という ものさしはない。

でも 本当にそうかと問われると はたと考え込む
そんな感じもあります。
障害の有無というようなこと以外の場面では
自分勝手なものさしで 
他者を見てしまうというようなことは あるような気がする。

ただ これまでずっと
生きているだけで価値がある
そんなふうに思って 生きてきてはいるのです。

ひとは 誰でも 価値のある人間で
生きている価値のないひとなどいない。
価値のある人間と 価値のない人間などという
見方は これまでだって してこなかった。
・・・と思う。

だから 2月の新聞記事で
先ほどの海老原さんが
新聞に寄稿したという文章を読んだ時も
「ああ そうよ まさしくそうよ」と思いました。
そこには こう書いてある。

価値を創り出すという能力は 唯一
人間にのみ与えられている。
そう 考える時 
ただ そこに静かに存在するだけの人間に
その尊厳を見いだすことも 人間だからできること。


海老原さんご自身 難病による重度障害を抱えながら
障害のある方の自立を支える活動をしているのです。
彼女の言葉が
くさびのように わたしのこころに打ち込まれた。

生きていてよい。
どんなひとでも どのようになっても 
生きていてよい。
たとえ 障害のあるひとであっても
そうでなくても なんら変わることはない。
それが 人権というもの。

    🌻

ところで
数年前のことになりますが
某大学の死生学講座に通ったことがあります。
その時のレクチャーで
こころに残っている言葉があるの。

その時のテーマは
できることがなくなっていく私を いかに肯定するか
哲学が専門だった その教授が言われた。

居ることはできる。
居るのは 人々の輪の中にいるということ。
周囲の人から肯定され 受容せられること。
私にできる社会貢献は 堂々と皆に世話をかけ
社会的資源にたより そのようにして 私たちの社会が
「誰一人を切り捨てず 仲間として支える」社会であることを
身をもって示すことである。
そのように理解すべし。


わたしは これを聞いた時 目からうろこでした。
特に 私にできる社会貢献~ というところ。

こんな切り口があったのかという驚き。
どんなひとでも どんなふうになっても
そこに 居る そこに 生きることで
生きる姿をありのまま見せていくことで
それが 社会貢献になっていく というところ。

人間の社会は 人間の生きる姿から 変わっていく。
そのひとの生きる姿が
社会のシステムをより良い方向に変えていく
そんなことが 起こってくるでしょ 実際に。

生きているだけで 価値がある・・・
そんな漠然とした思いに 
はっきりとした道筋ができたような気がして
忘れられない言葉になっています。

わたしだって やがて 
世話をされなければ生きていけない・・・
そんな状態になるかもしれません。
病気で寝たきりになるかもしれないし
老いてからだが弱ったり
認知症になったりして
ひとの手を借りないといけなくなる。
そんなことが 徐々に現実味を帯びている年代に
さしかかっているのです。

そうなった時 わたしは 生きる価値がないひとなの?
そうじゃない 断じて。

わたしは 究極の自己肯定で
堂々とお世話になろう そう思ってます。
からだもあたまも どよどよになっても
「ああ わたしは何の役にも立たなくて 
無価値な人間になり果てた~」など
嘆きすぎないようにしたいわ。
だって 生きてるだけで 価値があるの。
そのわたしのいのちの尊厳を 見いだしてくれるひとが
かならずいてくれることを信じて
「ありがとう ありがとう」といって お世話になろう 潔く。

     🌻

ふうっ 何だか 一気に書いてしまった。
少々 まじめなこと。

ところで こんな詩も あるの。

ぼくが ここに
         まど みちお

ぼくが ここに いるとき
ほかの どんなものも
ぼくに かさなって
ここに いることは できない

もしも ゾウが ここに いるならば
そのゾウだけ
マメがいるならば
その一つぶの マメだけしか
ここに いることは できない

ああ このちきゅうの うえでは
こんなに だいじに
まもられているのだ
どんなものが どんなところに
いるときにも
その「いること」こそが
なににも まして
すばらしいこと として


そこに居ること 生きること
それこそが すばらしいこと
価値あること
わたしは そんなふうに この詩を受け取っています。

    🌻

みんな みんな 生きててよい
障害があってもなくても 同じです。
みんなみんな 生きててよい
それが 人権♪

昨日の絵本セラピーで読んだ絵本
「いいから いいから」の 超ポジティブおじいちゃんも
きっと 言うと思う。

誰だって どんなふうだって
そこに居ていいよ 生きてていいよ。
いいから いいから♪
生きてるだけで 価値があるのさ。

ひとりひとりのそんな思いが
生きづらい社会を 少しずつ変えていけるといいな。

誰だって どんなひとだって
生きてるだけで 価値がある。
そのことを 忘れない ♡


   おり~ぶ



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