昨日のこと
少しぽかぽか温かくなってから ウォーキングスタート
かなり 春めいてきていて 気もちいいですね。

家に着くころ T字路で ふと右前方を見ると・・・
ご近所友達 Mちゃんの家の畑で
しゃがんで ごそごそ動いているひとがいる。

Mちゃんだわ きっと・・・

Mちゃんのことは 昨年の記事で 二度ほど書いています。
わたしと Mちゃんの家の位置関係は こんな感じ。

家3軒

わたしんちは左端 Mちゃんちは 右端。
100m以上離れてます。
前の記事で書きましたが この図の三軒とも
女性のひとり暮らしなのです。
わたしは ひそかに 三婆通りと名付けてるの(^_-)-☆
わたし 60代 お隣は70代
Mちゃんは 60代 離婚していて お子さん達は独立。
65歳で会社を退職し 今は フリータイム満喫中。

あらぁ 久しぶりだから 挨拶しようっと。
近づいて言葉を交わすのは 記事に書いた11月以来かも。
こんなに近くにいても 会わない時はず~っと会わないの。
とは いっても 彼女が畑にいる時など
わたしが車で通った時は ちょっと車をとめて
「こんにちは~」はするけれど「じゃぁね~」と走り去る。

この前は 夕方暗くなってきたので
雨戸を閉めようとしていると 薄暗がりの中から
「こんばんは~」とMちゃんの声がする。
わたしんちの前の道路 散歩コースだから歩いてたみたい。
それにしても 暗くなってるのに 黒い服着てるから
「もっと光る服着たらいいんじゃない 暗くて見えない」
と言っちゃった。彼女「いいのよ これ暖っかいんだから」
あっはっは~と 去っていきました。

    🍃

帽子をかぶっているけど Mちゃんよね・・・

「おはよう」と声をかけたら 
「あらま おはよう」と 「よいしょ!!」って感じで
むっくり立ち上がった。
「腰が痛い~」っていう表情。
草取りしてたんです。

「ちょっとあがってお茶飲んでかない?」と誘うので
少々迷った。前も書いたけれど 彼女 お話好きだから
しゃべり出すと止まんないところがあるの。
こちらに時間の余裕ないと 焦っちゃいます。
午後から仕事だしなあと思ったけど・・・
「まあ いいか 30分だけおじゃましようっと」
図々しくも お茶を頂くことになりました。

リビングのテーブルの上に
失礼かとも思ったけど スマホを置きました。
30分後にアラームをセットしたの。
「午後から仕事なの 30分でおいとまします」と
わざとすまして 彼女に言ったら 
「ほんとに 仕事仕事って そんなに稼いでどうするの?」
って 笑いながら お茶をいれてくれている。
「あらあ だって仕事しなくちゃ 生活できないの。
女のひとり暮らしは 大変なのよ」とむきになって返したら
「そりゃ そうだわ。私なんか もっと会社にいたかったのに
リストラされちゃったもの。年金だけじゃ大変よ」とまじめ顔。
彼女は あと数年 その会社で働きたかったの・・・

緑茶と一緒に 出してくれたのは
かぼちゃの煮つけ こんにゃくのおさしみ こんにゃくの甘辛煮
「えっ どうしたの ごちそうね」と びっくりしていると
「ちょうど あったのよ 味見してみて。こんにゃくは
友達の手作りよ おいしいよ」って 得意満面。
彼女の家に来ると お菓子の他に 必ずひとつは 手作りの
もの出してくれるの。
カリカリ梅とか 福神漬けとか らっきょうとか
いろんなもの手作りしているひとなのよ。

生姜醤油でこんにゃくのおさしみを食べたらすごくおいしい。
小皿にあったの 全部食べちゃったら
「なに あんた 全部食べちゃったの?」って笑ってた。
わたし こんな時 遠慮しないで 頂く方なのですよ。
かぼちゃも こんにゃくの甘辛煮もおいしかったぁ。
味付けが わたし好みかも♪

ところで
彼女は このところ 海外旅行に燃えてます。
娘さんが 海外旅行の達人のようなひとなので
時々 くっついていくんです。
11月に会った時 「来年2月にオーストラリアだあ」
と意気込んでいたので
「ところで 行ったの?」と聞いてみた。
確か雨戸が数日閉まっていて 留守のようだったし・・・

そしたら・・・
オーストラリアじゃなくて 台湾に行っていたらしい。
3泊4日 格安個人旅行です。
彼女たちは ツアーじゃなく すべて 娘さんが計画していくの。
この 旅のお話が わたしは とっても好き。
荷物を極力少なくしたいから
旅先には 捨てるようなショーツを穿いていって
現地に捨ててくるんだって。
だから Mちゃんの箪笥のひとつの引き出しには
古くなったショーツがストックしてあるらしい。
旅先でのいろんなエピソードも楽しいから
飽きずに聴いていられるの。

わたしは 海外に行ったの もう20年近く前になる。
当然 パスポートも期限切れのまま・・・
ふだんは 特別行きたいと思わないけど
Mちゃんの話をきいていると もう一度ぐらい行ってみたいな
と思います。行くとしたら イギリスの田舎・・・

ところで Mちゃんは 「台湾は二度と行かない!!」って。
理由は 食べ物が口に合わないんだって。
「だって うどんにお湯だけかけて食べる そんな感じよ」
と 言ってました。ふ~ん。
そして 4月は ハワイへいく予定とか。
ドイツや フランスや アメリカ 南米など行きながら
やっぱり 以前から ハワイだけは行きたかったんだって。
ちなみに わたしは行ったことありません (>_<)

そんなこんなおしゃべりしてたら
スマホから 無粋なアラーム音がする。
♪ ♪ ♪~
30分・・・ちょうど時間となりました。
「ごちそうさまでした」と言って立ち上がったわたしに
さらに話し続けているMちゃんですが
こころを鬼にして わたしは立ち去るのですよ~(^_-)-☆

外まで見送ってくれたMちゃんの
化粧っ気のない ちょっと日に焼けたお顔
その笑顔が
春の光に ほんのり輝いている。
4月の ハワイ 楽しんできてね~
お土産話 楽しみにしてまぁす。

ひとりぼっち & ひとり暮らしのわたしには
Mちゃんのような ご近所友達の存在は
とってもとっても ありがたい。
彼女は わたしにとって おしゃべり友達でもあるし
わたしのなかの おふざけ元気キャラを
目いっぱい引き出してくれるひと・・・

ひとの内側には 病的な意味ではなくて
いろんなキャラがいるからね。
相手にあわせて話しているうちに ふだんはお休みしている
キャラが出てくること ありますよ。

Mちゃんとの話は ポンポンポン
ああいえば こういって 打てば響くような感じ
そんなふうに話していると
わたしの中の 超元気な子どもの部分が
前面に出てきて 思い切りはしゃいだり 笑ったり
くだらないこといっぱいしゃべって・・・
だから すごく元気になるの。

Mちゃんとわたしは きっと そんな相性なんだと思います。
彼女が どう感じているかはわからないけれど
これからも Mちゃんは 大切なご近所友達よ。

お互い ひとりもの🌸
それぞれに そして一緒に 歳を重ねていきましょう。
つかず 離れず
ほどほどの距離をとって ゆるやかに ♡


            おり~ぶ



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先日のこと・・・

フェイスブックからの通知音が鳴ったので
開けてみると・・・
「今日はM・Kさんの誕生日です。コメントを投稿・・」とある。

M・Kさんとは わたしの次兄の名前です。
そうだったわね・・・いくつになったのかしら?

    🍃

子ども時代から次兄のことを Kちゃんと名前で呼んでいるの。
「お兄ちゃん」じゃなく なぜ 名前なのか・・
もうひとりの兄 長兄と区別するのに
名前になったのかもしれません。

わたしには 兄が二人。
でも 長兄は 18年前 52歳で他界したので
今は Kちゃんひとり。

長兄は どちらかというと活発で 腕白少年
これは 母からの情報です。
わたしは 兄の子ども時代はよくわからない。
9歳離れているから 一緒に遊んだ記憶はありません。
Kちゃんはおとなしくて 必要なこともしゃべらないようなタイプ 
機械いじりが好きで ラジオを分解したりしていたような・・・
わたしは・・・外で遊んでばかりいた お転婆少女だった。

Kちゃんとは 時々 後にくっついていって遊んだような記憶も
あるけれど ある時期からは 近所の女の子と遊ぶようになって
・・・以来 きょうだいで遊んだことはないんじゃないかしら。

わたしが高校生の頃は 兄達は 家を出て自活していたので
そのころからの思い出は ほとんどないですね。

Kちゃんは24歳ぐらいで結婚し 
好きな人のお家の婿養子になりました。
生前の母が たまに言ってたの。
「ほんとは お婿にやりたくなかった。でも どうしても
好きで 一緒になるっていうから 仕方なかったよ」
おとなしすぎるぐらいのKちゃんに
そんな情熱があったんだなあと 感心したこともあったわね。

Kちゃんの奥さんに言わせると
「結構 頑固なところある」という一面もあるらしい。
でも 子煩悩で 優しいところもあります。
それと あまり多くを語らないひとなので
何を考えているかわからないようなところもある。
わたしから見るKちゃんは 
すごく辛抱強いひと そんなイメージありますね。

義姉(長兄の妻)には
「お父さんのきょうだいは 淡々としている」と言われます。
彼女のきょうだい達は 女3人男ひとりだから
何かといえば集まったり 行き来したりしているので
義姉いわく かなり濃い間柄とか。
そういうところから見ると
わたしたちきょうだいは あっさりしすぎているみたい。
でも わたしは 子どもの時から ずっとそうだったので
自分にとって 男のきょうだいってこんなふうなんだろうって
思っているし それで 寂しいと感じたことはありません。

仲が悪いわけじゃないけれど 特別仲良しというわけでもない。
でも わたしは 人生の節目節目で 心配してもらったし
兄たちの存在が心強かったなあ。
それにしても わたしは 兄たちに何もしてあげてないわね
甘えるばっかりで・・・

忘れられないシーンがあります。

長兄が病気になって 入退院を繰り返し
いよいよお別れが近づいた時のこと・・・
お薬でもうろう状態になっている彼を みんなで見守っていた。
少し遅れて 病室に入ってきたKちゃんが 
「兄貴」と声をかけると 長兄は ぼんやりとした意識ながら
声のする方に 両手を差し出したんです。
そして 「〇〇・・・」と Kちゃんの名前を呼んだの。
Kちゃんはその手をしっかり握って 長兄と最後の
お別れをしました。
Kちゃんの涙・・・

わたしも もう涙 涙でしたが あとになって 思いました。
長兄は 母とわたしのことを Kちゃんに託していったんだと。
父を早くに亡くしてからは
長男としての責任を一身に感じているようなところが
あったひとだから
Kちゃんに「頼むぞ」と伝えたかったのではないか
そんなふうに思うのです。

Kちゃんは わたしが病気で入院した時も
会社の帰りに寄ってくれたり 必要な物を買ってきてくれたり
いろいろ助けてくれました。
ふだんご無沙汰しているのに きょうだいってありがたいね。

母が 晩年 わたしの家で暮らしていたころは
Kちゃんは時々
お菓子や果物や鉢植えの花をもって 訪ねてくれました。
もちろん 母に会うためよ。
だって 母亡きあとは めっきり来てくれなくなったわね。
来てくれたのは・・・
叔母のことで相談があって わたしが来てもらった時ぐらい。

最近では お彼岸のお参りに義姉の家に行った時
「昨日 Kさんが来てくれて
(わたしが)元気なのかなって言ってたから
元気にしてるって言っといたよ。このきょうだいは
あいかわらず淡白ねぇ」と 義姉に言われる始末。

それで・・・
たまには連絡でもしてみるかと思い 電話をしました。
「もしもし」といつもの低い声。あらぁ なつかしいこと。
私達が身元引受人になっている叔母の事をを報告したり
彼の近況を聞いたりして 4~50分の長電話になっちゃった。
やはり きょうだい 積もる話がありました。

Kちゃんは 会社を定年退職してから 
福祉関係のボランティア活動をやってます。
ちょっとシャイなとこもある彼が そんなことやるんだねと
当初驚いたんだけど まだ続けてるみたい♪
ほんとに ひとって いろんな部分もってるから面白い。
Kちゃんもまた 然り・・・
近くに住むお孫ちゃんのお世話もしているみたいで忙しく
「悠々自適なんて程遠いよ」と言ってました。

    🍃

ところで 誕生日。
フェイスブックのタイムラインに 
「Kちゃん お誕生日おめでとう。いい一年になりますように」
と投稿しました。
しばらくすると 返信コメントが入ってきた。
「いよいよ 介護保険証が届きました。
そんな歳になりました」とあります。
そうか Kちゃんは 65歳になったのね。
祝 65歳

    🍃

わたしたちは これからも
ふだんは 音沙汰なし状態になると思います。
フェイスブックで友達になっていても
ふたりともあまり投稿しないから
細かい近況などわかるはずはございません。
まあ 用事があれば 連絡しますので
お互い健康に気をつけて 暮らしてまいりましょう。

父とは とうにお別れし
長兄とも 母とも お別れして
たった二人きりになってしまったきょうだいです。

兄と妹の このご縁・・・
淡々として あっさりしていても 思いは深く
終生 変わらぬ きょうだいの絆
大切にしていきたいと思います

          ✐ おり~ぶ




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土曜日の午後3時
カフェで 友達と待ち合わせ・・・

友達とは・・・ 以前の記事にある 高尾山に一緒に
行ったひとです。
昨年3月に 公務員を定年退職し 今は再任用で働いています。
そういえば 11月に高尾山に行ってから ゆっくり
おしゃべりするのは 今年になって初めてね。

3時15分・・・いつも時間通りにくるひとなので
どうしたのかなぁと思っているところへ
息せき切って駆け込んできたのか
はぁはぁ言って わたしの前に座りました。
何だか 顔が上気しているみたい・・・
気のせいかもしれないけど ちょっと怒ってる?
いつもの 笑顔 どこ行った?
なんか おかんむり?

「ごめんねぇ 電話で長話になっちゃったのよ」と
言うので
「どうかしたの?」ときくわたし。
その言葉を待ってましたとばかり 電話の長話の理由が
明かされました・・・

    🍃

それはこういうことなの。
彼女は 2週間ぐらい前に 新車を購入した。
その車は 今とても話題になっているという電気自動車。
電気自動車だけど 電気とガソリン併用らしい。
彼女が それまでの乗っていた車は 普通自動車(ガソリン)
まだ1年半も 車検時期が残っている。
かなり 迷ったけれど 定年まで頑張って働いた
自分へのご褒美として 思い切って購入したんだって。
まあ 奮発したこと!! わたしなんか 目が飛び出ちゃう(>_<)

でも 今必ず買い替えなければならない理由はなかった・・・
では その車を買おうと彼女に決心させたものは
いったいなんだったのか。

それは 車の燃費。
えっ? 燃費???
わたしは 燃費もなにも 
車についてほとんど関心がないけれど 彼女は 違った。
燃費について あんなに熱く語る彼女
わたし 初めて見ました!!
そりゃ 低燃費は 環境にも おサイフにもやさしいけれど・・・

低燃費

その電気自動車の注目点のひとつなのが 低燃費。
カタログには 燃費~37.2km/Lとある。凄すぎる!!
わたしの軽自動車もエコカーだけど 十数キロ/Lかな。
営業マンの説明も 今が買い時というニュアンスだったらしい。
以前から 低燃費の車にしたいと考えていた彼女は
説明をききながら これこそ求めていた車だと思った。
それまで 乗っていた車の下取り価格も魅力的
車検が切れる頃では 価格はぐっと下がってしまう。
試乗した時の走りの印象もいい これなら!!
よし 今が買い・・・思い切って 購入したわけ。

ところが 一週間位走ってみて 燃費を計算してみると
うたい文句の数値とは程遠い。
20km/Lを切っているではないか。
しかも 17Km/L位のときもある。
これでは 以前乗っていた車の方が いいぐらい。
彼女の期待していた 燃費の値は 何度計算しても
出てこなかった。

がっかりして どうしたものかと考えて
数日前に ディーラーに電話で問い合わせをした。
低燃費で走ってないんだけど どうしたらいいの?と。
営業マンの回答は 「エコモードにして運転して下さい」
だったらしい。早速 そうしてみても やはり期待の
燃費で走っていない。

そこで 土曜日 わたしと会う前に
またディーラーに電話をしてみた。彼女は 納得できる
説明や方法を聞きたかったので 長~いやりとりになって
しまったらしいのです。
結局 1週間 その車をディーラーに預けて
燃費を調べてもらうことになったそうな。

わたしは その車がどんな車か知りたいから
途中 スマホで検索して 車を確認。
ついでに 燃費に関しての口コミもチェック。
道路の形態や込み具合 また運転の仕方でも
燃費はかわってくるらしく 市街地の運転では
20km/L切るということも書いてはあるのだけれど・・・
とにかく 彼女は低燃費だから買ったのに・・・という
気もちだから もやもやしちゃうのよね。
車って 大きい買い物だし・・・

でも
はじめ むっとして おかんむり状態だった彼女も
話すうちに 徐々に落ち着いてきました。
「今じゃなくてもよかったかもね 買い替えるの。
燃費の凄さに惹かれて つい 急いじゃった。
でもね なんか納得できないの」と。

その納得のできなさは 営業マンとのやりとりの中身にも
あるのかもしれないわね。
売る側は ポジティブな要素ばかりを強調しがちでしょ。
ネガティブな要素や運転の仕方などもきちんと説明して
くれればよかったのかも・・・。

とりあえずディーラーが よく調べてくれるというので
その結果を待つしかありません。
彼女は もう その先のことも考えて
「結果が出たら どうなるのかしら。わたしの車だけ
欠陥車だったら 新しいのに変えてもらえるの??
もし 欠陥車じゃなかったら そのまま乗るのよねぇ」
と またまた 顔が曇ってくる。
先ほどのオカンムリさんから 今度は ユウウツさんへ・・・ 

結局 「それは その時考えよう なるようになる」
という まとめ!?で この話は終了となりました。

    🍃

わたしと彼女のおつきあいは ここ10年程でしょうか。
仕事関係で知り合って 意気投合。いろいろ話すうちに
同じ高校の同級生だったことがわかったの。在学時は
科が違ったので お互いに知らなかった。
アルバムを見たら
それぞれ ちゃんとおすましして 写ってました♪
彼女は 結婚して義両親さんと同居し3人のお子さんを
育てながら 仕事を続けてきました。
言うに言われぬ苦労がいっぱいあったと思います。
たぶん昔も そして 今も 明るく元気に 生きてます!!

彼女が話した燃費のこと・・・
まあ わたしには
どうでもいいといえば どうでもいいことかもしれない・・・
でも ひとって それぞれ いろんなことにこだわりが
あるのは自然なことだから それはそれで 受け止めます。
まだまだ お互いに 知らないところ 不思議なところ
いっぱいあるよ 彼女にも そして わたしにも・・・

燃費のことで 一喜一憂しそうな彼女の そんなとこ
決して 嫌じゃない むしろ 好きかも。
だって 人間らしいでしょ。
ひとの暮らしって そんなこまごまとしたところにも
楽しみや喜びが いっぱいあるんですもの。

願わくは この燃費話の結末で 彼女がこんな笑顔に
なってくれたらいいなあ。
とにかく なんにしろ
彼女が納得できるということが大事よね。

うれしい

そしたら そのパワフルカーに乗せてもらって
桜のお花見にでも 行きたいなぁと
ちゃっかり ひそかにたくらんでいる わたし・・・

あっ でも わたし 助手席に乗ると
この頃 車酔いするんでした(>_<)
やっぱり わたしの軽自動車でお誘いしようかしら
お花見ドライブ


         ✐ おり~ぶ




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先日のこと・・・

茨城県立近代美術館の
東山魁夷 唐招提寺 御影堂 障壁画展へ・・・

絵画展看板

奈良 唐招提寺では 一年に三日だけ
唐招提寺の開祖 鑑真和上の像と障壁画(襖絵)を
特別公開するそうですね。
唐招提寺は 若い頃に一度だけ行ったことが
ありますが そのときはもちろん 襖絵を見ていない。

今回の美術展では
すべての襖絵とスケッチや下図も展示されるという。
奈良まで行かなくても その襖絵を見られるチャンスは
そうそう ありません。

隣県に住んでいる友達からも
「観てきたよ~」というメールが 早々と来てました。
彼女は お寺巡りや美術鑑賞が趣味なので
今回のような企画には フットワーク 軽い軽い。
そんなメールに刺激を受けて わたしも 
4月2日に終了してしまうところを
あわてて 駆け込んだ次第です。

少し前に行った 成川美術館でも
東山魁夷画伯の絵が展示されていたこともあって
襖絵の実物  どうしても観たかったの。

     🍃

多くの苦難を乗り越えて来日し
唐招提寺を開祖した鑑真和上 
その御心を慰めるための 御影堂の襖の絵・・・
画伯が その障壁画を依頼されたのは 昭和46年
62~3歳頃でしょう。
約10年という歳月をかけて完成した
全68面からなる襖絵のテーマは 海と山・・・
画伯が 日本と中国各地を巡ってスケッチを重ね
生涯のすべてをかける気もちで取り組んだ作品と
いわれています。

鑑真さんが日本に来る時 わたってきた海・・・
そして 生まれ育った 中国の山々・・・
画伯は 鑑真和上の慰霊にと
日本と中国の美しい風景を描きあげたのです。
それはそれは 祈るような気もちで。

展示会場に足を踏み入れたわたしは・・・
何枚もの襖に描かれた風景に 涙が出そうになりました。
言葉にならない感動に ふわっと包まれた感じ。 
ほんとうに言葉に表せないような不思議な感覚です。
とっても 静かなところにいるようで
それでいて 海の波の音が聞こえてくるような・・・
桂林の山々や風にしなる柳の枝葉は 水墨色なのだけれど
若緑の葉の色が見えてくるようで・・・

鑑真和上像の両眼は 閉じている。
御影堂の襖絵に囲まれて
その閉じた目は
故郷・中国の山の青さを見たのではないか。
その耳は 海の音を聴いたのではないか。

鑑真和上を想う 画伯の祈りの襖絵は
きっと その魂を癒し 慰めているのに違いない。

  🍃

美術館の売店で 
画伯の小画集・文庫本を買いました。
   👇
唐招提寺全障壁画 (新潮文庫―東山魁夷小画集)

記事を書きながら 小休止して ページをめくっては
あの時の感動を 思い返しています。

     🍃

そして この日 帰路につきながら
ふと考えたことが 蘇ってきました。

それは 画伯が 60代になってからの約10年間で
襖絵を完成させたということ・・・
「60代」 と「10年間」というキーワードが
気になって仕方ない。

展示室で解説を読んでいる時も
「へぇ~10年も襖絵に取り組んでたのねぇ」と
妙に そこのところに意識がいっちゃった。

それは やっぱり わたしが これからの生き方
いろいろ 考えたりしているからだわ。
この頃 特にね・・・

15年程前に大病してから 10年というスパンで 
物事を考えたことはなかったです。
3か月後 半年後 一年後というように考えるのが
癖になってしまった。
術後の10年生存率が極めて低いという身体だったから
10年先のライフプランなど考えられなかった。
一年 また一年 生きられるかもしれないと思って
生きてきたようなところがあるんです。

でも 本当に久しぶりに
これからの10年間 どう生きていくのかなと思ったの。
画伯が 襖絵の制作に費やした時間は10年間・・・

それに こんな絵 画伯の作品にありますもの。

  「道」
道

わたしの人生の道は どこに向かうのだろうか。
どう 歩んでいくんだろう。
どんな10年になるのだろうか。

10年後は 71歳・・・
それまで どんな時間を積み重ねていくのかなあ。
これまでの10年間と おそらくは かなりの部分違ってくる。
身体も変化してるし 仕事もここ数年で辞めるだろうし・・・ 
わたしは どんな人生にしていきたいのかな。
これからの 10年という歳月・・・

まあ 考えても その通りにはならないのが人生だから
あまり深くは考えない。
それに あと10年 生きていられたらの話です。

明日の命がわからない・・・それは ほんとにそうだと思うので
いつ そうなってもいいように!?
今日という日を 精一杯 楽しんで生きていく。
そして ちょっとだけ欲張って
「10年後 こんなふうになっていられたらいいなぁ」ぐらいの
ビジョンをもって 暮らしていくことにしようかな。
ビジョンは おいおい 考えます。
とりあえず そんなとこ・・・

    🍃

今日いちにち ちょこっとだけ頑張ろうっと。
明日につながる 今日だもの
10年後につながる 今日だもの

今日という時間
大切につかいます  ♡


           ✐ おり~ぶ



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先日 胃の内視鏡検査を受けました。
通称 胃カメラをのみました(>_<)

胃粘膜下腫瘍の経過観察のため 一年に一度検査しているの。
検査までの経緯など 以前の記事に書きました。
未読で お時間のある方は ぜひぜひm(__)m

  👇
まず内科受診

読まなかった方のために・・・
わたしの胃にある粘膜下腫瘍は
1cm未満 正体は不明 原因も不明です。
ガンは胃粘膜の上にできるけど これは下にできているので
ガンではないそうです。でも まれに ガンの親戚のような
ものもあり 症状が進むと転移する。
腫瘍が大きくなってくる場合は
悪性の可能性が大きい・・・ということなのです。
怖いよぉ(-_-;)

この胃粘膜下腫瘍が 大きくなっているか いないか
それが 問題です。

    🍃

内視鏡センターで 本人確認が済んだら まずすること
それは ガスコン水という液体を コップ一杯飲むことです。
食道を洗うため。
次に 喉に麻酔をかけます といっても注射ではない。
ゼリー状の麻酔薬を口に含み のみこまずにそのままいて
5分後にのみこみます。すぐ 喉は麻酔状態に・・・

そして いよいよ検査台に横になります。
左を下にして 横向きになると 看護師さんが
「もうちょっと 横になってください」と身体を直してくれたり
して・・・この辺までは 少し ドキドキ。
でも このところ毎年検査しているから もう慣れてます!!
と言いたいところだけれど
今回は そんなに順調にはいかなかったんです。

横になって少しだけ待っていると 男性医師が登場。
瞬間 思ったこと「わっ 若い!!」とても若い医師・・・
「もしかして研修医 もしかして 練習中のひと?」
なんて 勝手な想像しちゃったんですよ。

そしたら 自分が 一気に緊張してきてるって感じたの。
リラックス リラックスって 思ったんだけど
身体は正直です。緊張したまま 検査が始まってしまった。

「では 始めますよ」と医師が言って
マウスピースを加えた口の中にカメラが入っていく・・・
喉の入り口で「では ごっくんしてください」というんだけど
何と そのごっくんができないんです どうしても。
苦しくて苦しくて(>_<) でも ここをカメラが通過しなければ
検査はできません。入り口ですからね。
2~3回 ごっくんしようとするんだけれど どうしても無理。
苦しくて 涙はじわっと出てくるし 鼻水まで出る始末。
医師は「身体に力が入ってますよ。力抜いてね~」と
言ってくれるんだけど 言われるほどに
とうとう 無理で 一旦中止。

彼は 「肩に力が入ってはいけない あごをこうしてね」と
優しく教えてくれました。
そして「今までも こうだったんですか?」と聞くので
「いいえ」とだけ 弱々しく答えるわたし。
まさか 「あなたが あまり若いから不安になっちゃったの」
なんて言えないでしょう。
だから 「深呼吸していいですか?」と聞いたら
「どうぞ どうぞ」と言ってくれたので
横になったまま目をつぶり 深い呼吸を5~6回
ゆっくりゆっくりしました。吐いて~吸って~吐いて~吸って~

胃カメラ

身体の力をゆるめて 再びトライ。
医師は 「麻酔の効きがよくないのかもしれないな」と
口の中にスプレー式の麻酔液をシュッシュッとかけてくれた。
看護師さんも わたしの肩に手を触れていてくれて・・・
手のぬくもりを感じられたわ。
 
さて 今度は どうか・・・ちょっと苦しかったけど
やっと ごっくんできたの。
そこからは 特別苦しいところはなかった。
胃の中をカメラが動いていく時 少し押されるような感じだけ。
ごっくんの苦しさに比べたらなんのその。
この時は 涙も鼻水も出ず
看護師さんも「順調にいってますよ」と言ってくれて
安心して 終わるのを待ちました。

でも 終わる時にもハプニングが・・・
医師が カメラを口の中から引くとき
ちょっとだけ勢いがあったのか マウスピースが
カメラと一緒にスポーンと抜けて 床に転がっちゃったの。
それが妙におかしかったけど
笑っちゃ悪いかなと思って こらえました。
だって いっぱい面倒かけちゃったからね。

画像をみた医師からのコメント ➡ 
「腫瘍の大きさに変化がないから 一年後でいいでしょう。
腫瘍が良性だと 中に水や脂肪がたまっている可能性がある。
それかもしれませんね」
確かに一個 ぽこんと下から盛り上がっている塊が見えた。
正体不明だけれど とりあえず変化なしで ほっとしました。

OK胃

ちなみに 医師は 思ったほど若くもなかったの。
しっかりわたしの目を見て はきはきとした口調で
分かりやすく説明してくれて 中堅って感じの先生でした。
検査台付近は 映像を見るために薄暗くしてたし
わたし 眼鏡をはずしてたから よく見えなかったのね。
またしても 一瞬の思い込みで
勝手に緊張しまくっていたという次第です。

     🍃

それにしても 今回の胃カメラ検査であらためてわかったのは
わたしの身体とこころの関係です。
まさに 心身一如  こころと身体はつながっているのですよ。

こころの不安や緊張から 身体・筋肉も緊張する。
若すぎる医師という思い込みで わたしは不安になり
からだも緊張でこちこちになってしまった。
リラックスしようとしたけど見事に失敗し ガチガチしまくりで
胃カメラをスムーズにごっくんすることができなかった。
緊張して 肩や喉にも力が入るから 喉は閉まってしまう・・・

胃カメラ検査の時に
医師の熟達した技術が必要なのは 言うまでもないこと。
今回の医師に それが あったかなかったかは
わたしには判断できません。
わかるのは 自分の身体が どう反応したかということだけ。

あ~あ まだまだ修行がたりないなあ。
こころや身体の緊張をとる簡易な技は
会得しているつもりでいたけれど
いざ 自分の緊張場面で うまく使うことができなかったもの。

ふうむ・・・

ふだんから 身体やこころの緊張を軽くするトレーニング
仕切りなおして 意識的に取り組もう。

身体の緊張をゆるめる ➡ こころがゆるまる
まずは 腹式の深い呼吸から・・・

来年のことを言うと 鬼が笑うというけれど・・・
一年後の 今頃 
心身共にリラックス状態で
胃カメラ検査を受けられるように・・・
そう 平常心でね(^_-)-☆

      🍃

なんて書いているけれど・・・

できることなら 胃カメラ検査 受けたくないわ~( 一一)

自然消滅してほしいよ 腫瘍のシュヨッチさん 
お願いだから もう 消えて・・・ 


        おり~ぶ

 長々とおつきあい頂いて ありがとうございましたm(__)m



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いきなり 写真から 失礼します。

DSC_0557.jpg

先日の明治神宮の結婚式
花嫁さんは白無垢のお衣装です。
この写真は 控室のある建物から 式場へ向かうところ。
宮司さんの持つ 赤い傘 なんともいえず 素敵です。
こうして 外を歩くので 参拝の人達が集まってきて
シャカ シャカと写真を撮っていました。
多くの外国からの人達も 笑顔 笑顔です。

わたしは この列の後ろの方にいるんですが・・・
 
出発を待っている時 実は こんなことがあったの(>_<)

お天気はよかったのだけれど 少し風が冷たかったので
式場に着くまでは コートを着て行ってもいいと
説明を受けました。

洋装の方は ほとんどコート着用。
わたしも コートを着て ショールを巻きました。
首が寒かったの。
ちなみに こんな洋服を着てました。

DSC_0565.jpg

紺色のレース生地のツーピース。
下は 膝の隠れるスカートです。
これを着て
おすましエレガントモードのはずだったのだけれど・・・

出発前 コートの襟の上に
ショールをぐるぐる巻いていたら 友達が
わたしの首のあたりをじーっと見ているの。
「何? おかしい?」ときくと
「おかしくはないけど・・・」と言いながら
ショールから何かを つまみだしたんです。
友達は そのつまんだのを見て
「なあんだ のりかぁ」と言うのです。
「のり?」って何・・・?と思いながら
友達の指の先にあるのを みたら ほんとに海苔の切れ端。
3cmぐらいの長さだった。
「黒いのが見えたから 葉っぱかなと思ったよ。
それにしても なんで海苔なんかくっつけてきたの?」と
きかれて 思い出しましたぁ。

前の日の 午後4時ごろ常磐線で 東京に向かいました。
そのとき 普通電車のグリーン車両に乗ったんです。
到着するまでに おにぎり食べて
簡単な夕食にしちゃおうと思ったの。
普通の車両だと さすがに おにぎり 頬ばれないでしょ。
それで ひとりでゆったりしながら
駅で買ったおにぎりを食べたとき
なぜだか知らないけれど 
海苔が ショールにくっついたんですね。
もしかして おにぎりのパッケージを開ける時かも。
ちょっと 三角形の角を引っ張るじゃない。
その時 海苔が少し切れて 落っこちたのかもしれないわ。
わたし あれを開けるのが苦手で 変なとこを
無理にひっぱっちゃったりするから
それで 海苔も切れちゃったんだわね。

DSC_0566.jpg

こんな色で編んであるショールだったので
海苔がうまくひっかかって 翌日になっても
くっついていたというわけ。
海苔の色も ショールの色とりどりに紛れてしまったのかな。

海苔とわかって 私達は声を潜めながらも
くすくす ガハハハと 笑っちゃいました (^◇^)

それにしても
おめかしして ちょっと気取ってすましてたのに
首に海苔つけてたんじゃ 台無しだわね むはは(-_-;)
あー 恥ずかしい(>_<)

      🍃

挙式は 凛とした雰囲気の中で おごそかに行われました。
巫女さんの舞いや 雅楽の生演奏は初めてだったので
感激しまくり♪

お式の後は また 先ほどの写真のように
外をあるいて 控室に戻りました。
両側から 大勢の参拝の人達に囲まれて いい気分。
みんなが見ているのは もちろん主役のお二人よ。

この日は 10組ぐらいの結婚式があったようで
戻る途中で また別のカップルの赤い傘が見えました。

次は マイクロバスに乗って 同じ敷地にある
桃林荘へ。ご披露宴の会場です。
森の中のお家・・・庭で写真撮影などしました。
ご披露宴の人数は 40名位。
和室に テーブルで お食事は和食中心。
和の雰囲気のしつらえが とても素敵でしたよ。
お琴の生演奏が 初めから終わりまで 続いていたのには
これまた びっくり。

花嫁さんは もともと笑顔のキュートな明るいひと♪
いつにも増して かわいくて 素敵でした。
花婿さんは わたしの勤務している病棟に
以前 研修医として来ていたことのある方なのです。
花嫁さんは 看護師さん・・・
そこで初めて お二人は出会ったというわけ。

約2時間30分の宴は あっという間だったように
思うほど うれしく 楽しく おいしく 
そして ほろっとした場面もありました。
花嫁さんのお色直しは1回 白無垢から色打掛けへ。
これまた 素敵だったわぁ。

ご披露宴では サプライズが三つありました。
一つ目は・・・
お席に着いた時 名前の札の下に 何やら あるのです。
それは 花嫁さんからの ミニ封筒・・・
中には メッセージカードが入っていて そこには
「・・・・・・・・・ありがとう」と手書きで わたしへの言葉が
書かれていました。
・・・・・は内緒ね。彼女とわたしだけの秘密です(^_-)-☆
もちろん 列席者の皆さんおひとりおひとりにもありましたよ。
彼女のこころ遣いに じーんときました。
 
二つ目は お餅つきのパフォーマンス・・・
わたしは 初めて見ましたよ。
パフォーマーは プロなのかな。
楽しい見せ場をつくりながら お餅をついてくれたの。
花嫁さんと花婿さんもちょっとだけ つきました。
お餅のように 粘り強~く 二人のこころを練ってね
ということかしら。
つきたてのお餅 あんこときなこ 頬張っちゃいました。

三つめは・・・
何と ひとりひとり お二人にお祝いコメントを
スピーチしたんです。ひとり 30秒(>_<)
聞いてないぞ~と 皆ザワザワ え~っ
どんどん順番が回ってきて ドキドキドキ
「おめでとうございます。お二人が初めて出会われた場に
ご一緒させて頂いたご縁を 大変うれしく思います。
どうぞ 末永く お幸せに♪」と 述べました。はい 20秒。

ご両家のお父様とお母様も
とても とても お幸せそうでしたよ。
親御さんのお喜びは いかばかりかと・・・

和やかで あったかで アットホームな雰囲気の中
ご披露宴がお開きになり
お見送りの時に頂いたのは これなの。

DSC_0567.jpg

かわいいでしょ。チョコなんです。
もったいなくて 食べられません(^_-)-☆

    🍃

病棟で苦楽を共にしてきた 若き友の
新たな愛の旅立ちに立ち会わせて頂いて
ほんとうにうれしく すがすがしい気もちです。
何だか わたしまで フレッシュな愛に包まれる
そんな感じまでしてきます。

とにかく無事に 滞りなく過ぎた一日・・・
彼女がメッセージカードに書いてくれた ありがとうの言葉
こちらこそ ありがとう ありがとう ありがとう
この日に起きた すべてのことに感謝したいです。

そして
幸せは 幸せを呼ぶよ~♪

わたしも
ありがとうの言葉を大切に
幸せなこころで暮らしていきたいです💛


          おり~ぶ




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18日土曜日の午後 この記事を書いています。

というのも
今書いておかないと 19日に記事の更新ができないの。
一日おきの更新と決めたからには・・・
またしても 涙ぐましいわね 我ながら(-_-;)

19日の記事なら 19日に書けるでしょとお思いでしょうが
ところがどっこい そうはいかない。
なぜかというと
18日は 東京のホテルに宿泊するからです。
スマホからの投稿 できないことはないでしょうが
一度もやったことがないのです。
PCでやるようなわけにはいかないだろうな。
長文を書くのは時間もかかって 疲れそう。
あくまで わたしの場合は・・・

ところで なんで 東京に泊まるのさ?
そうそう そうでした。
東京泊には わけがある。

それはね・・・19日に元同僚の結婚式があるのです。
挙式とご披露宴が行われるのが 
何と かの明治神宮なのですよ。
客殿への集合時刻が 9時10分・・・はやっ
どうも 披露宴だけじゃなくて 神殿の結婚式にも
参列させて頂けるらしいのです。
結婚式って親族だけじゃないの?と聞いたら
「友達もいいらしいよぉ」と ありがたぁいお返事・・・

9時10分に明治神宮の客殿に集合するということは・・・
19日の朝早く 電車で行っても
間に合わないことはないけれど ちょっと不安よね。
常磐線も この頃よく遅れます いろんなことで(>_<)
お式に遅れるようなことがあったら 大変だわ。
だから 東京に前泊することにしたのです。

それでね・・・
17日から 春のお彼岸でしょ。
わたし お彼岸とか お盆とか 旅行に行くの
抵抗感があるのですよ 昔から。
日帰りなら あまり気にならないんだけど
お泊りするのは 何となく嫌で 今まで一度も
彼岸中 お盆中に 旅のお泊り したことがありません。
仏さまが おうちに帰ってきているという
根拠のない 勝手なイメージがあるから
家を空けたら悪いかしらなんて 思っちゃう。
こんなとき ほんとは 他所に泊まりたくないのです。

そうは言っても
父母たちのお位牌は 義姉の家のお仏壇の中なのよ。
それでも 我が家にお仏壇があるかないかの問題ではなく
お彼岸中というのが 気になるわけ。

だから
お泊りにいく前に お墓参りして
出かけてしまう失礼!?をわびようと思いました。
変なところが 気になってしまうわたしです(>_<)

ということで いつもだったら
お中日(20日)にお墓参りにいくのですが
今朝 早くに出かけました。
墓前に手を合わせ
「これこれしかじかで お泊りに行くので
その前にお参りにきました。彼岸中にお泊りして
ごめんなさい。道中の無事をお守りください」と
ぶつぶつと語りかけてまいった次第。

その足で 義姉の家へ。
お仏壇の前にちょこんと座り
仏前に またまた手を合わせ
むにゃむにゃとこころの中でお祈りし チーンとしてから
義姉お手製の大好きなお赤飯を頂いてきました。

そして
義姉の家も そうそうにおいとま。
いつもだったら 根っこが生えたように
のんびりおしゃべりしちゃうのに
今日は そういうわけには いかんのです。

なぜって 次は 美容室へ。
予約したら この時間しか空いてない。
午前11時30分。
ここで 髪を揃える程度にカットしてもらい 白髪染め。
前回からは 3週間しか経ってません。
でも 額の生え際が やっぱり気になる状態よ。
晴れのおよばれだから きれいにしていきたいじゃない♪

マスターが
「どこか お出かけになるんですか?」と聞いてくれたので
得意満面で答えました。
「明治神宮のご結婚式に行くのよ~」
って わたしが自慢してどうするのって感じ。
彼が 「へ~」と間髪を入れず 相槌をうってくれたから
ひとしきり 楽しいおしゃべりができました。
マスター さすが 接客のプロよ♪

それで 髪ができあがり よしよしこれでよし。
髪型は 2月の末に 記事で 写真を載せましたっけ。
未読で お時間のある方は ぜひぜひ♪
    👇
できたてほやほやわたしの髪

そして
今 帰宅して PCに向かい この記事を書いています。
これを書き終えて
「19日の12時に予約投稿」の記事保存をポチッとしておくと
日曜日のお昼に 記事がアップされるのです。
便利よねぇ 今更ながら 感謝 感謝。

この記事が新着記事に紹介されるそのころは
わたしは ご披露宴の真っただ中でございましょうか。
一緒にご招待された仲良しの元同僚たちと共に
花嫁さんと花婿さんに うっとり見とれながら
晴れの門出をお祝いしていることでしょう。
お酒もちょっぴり頂いて
ほろ酔いほろほろ 明治神宮。

それでは そろそろ
電車の時刻が迫ってきていますので
この辺で 失礼いたします。

春の佳き日
若き友の晴れ姿が 楽しみです


         おり~ぶ




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ブログを書くの 一日休んだだけなのに
何だか 新鮮な気もちです。

    🍃

昨日の午前中は 完全なフリータイムでした。

    🍃

ふだんは 朝8時ごろからブログに向かい
約90分は PCに向かっている。
イラストなんか選んでいると もっとかかることもあります。
短い時間で パパパ~とまとめたいのだけれど
自分には それができないということが
10か月やってみて わかりました。

書き出すと ついつい長くなる・・・
長ければ 細部を削って 短くまとめればいいのだろうし
初めから ちょこっと記事でもいいのだろうけど・・・
へなちょこ記事でも 自分なりの書き方にこだわるから
あーでもない こーでもないと四苦八苦していて
時間がかかるのです(>_<)
ついに これが わたしのスタイルだと あきらめた次第・・・

記事をやっと書き終え 12時に予約投稿してからは
ちょこちょこ 家の中の雑事があるわけで・・・
10時45分ごろには 一合炊きの土鍋をガスにかけ
ご飯を炊きます(25分位で炊き上がる)。
麺類などのときも この時間から そろそろ準備します。

11時過ぎには 早めの昼食をとるの。

昼食の後片付けもきちんと終えて 部屋も整える。
12時30分に家を出て 仕事に出かけるためには
そういう流れでないと 気もちの余裕がもてないんです。
ざわざわっとしたこころで 仕事をスタートしたくないから。

このルーチンが毎日だと 少々辛くなってきました。
午前中にやらなければできないことだってあるし・・・

    🍃

それでね
昨日は こんなふうに過ごしました。
8時~ ●駐車スペースの掃き掃除や玄関まわりの拭き掃除
     ●家の中のちょっとした片づけ
9時~ ●銀行に行って 一万円札3枚の新札への両替
      (日曜日 結婚ご披露宴にお呼ばれしてるの)
     ●ドラッグストアで 買い物
     ●郵便局で振り込み
      (所属している職能団体の年会費)
10時~●書類作成
      (特別支給の老齢厚生年金の請求書
       誕生日が近づいてきたので 書かなきゃね)
11時15分~●ゆっくり食事

はやくやらなくちゃと 気になっていたことができたので
ほっとして しみじみ こころが落ち着きました。
するとね まわりの景色の見え方が違うんですねぇ。
もう咲き終えてしまった紅梅の下に
沈丁花が咲いていて いい香りを漂わせています。
さらに 下には ミニ水仙が どんどん咲きそろってきてる。
吹いてくるのは 春風よ~
思わず 庭の椅子に腰かけて 数分間の瞑想も・・・

ブログを休んだことで
こんなひとときを また 味わえるようになった。
そう 思えた午前中・・・

    🍃

ブログを休んで得た ひとときの影響は
こんなところにも・・・

休んだことで あらためて 気づいたの。
ブログは休めても 生きていくことは 休めないって。
当たり前でしょって 言われそうだけど(>_<)

生きていくことは休めない・・・
休みたくても休めない そんな状況の時
人生の中で 何度か 必ず ありますよね。
わたしだって ありました。
休まずに突っ走った そうせざるを得なかった時・・・
あるいは
休むどころか この人生をやめてしまいたいと
思ったことさえありました ホントです(-_-;)

でも そうしなかった。
生きていくことをあきらめなかったし
生きていくことそれ自体を 休んだりはしなかった。
というか 休んでしまったら ずっと眠り続けてしまいそう。

猫のお休み

生きていくことは やめられないし
休めないんだって あらためて 今 思ってます。
やめたくなくたって 休みたくなくたって
やがて 必ず 永遠のお休みは訪れるのですからね。
だから 休まずに生き続けるしかありません。

生きていくことは 休めない。

くたびれてきた 老いてきているわが機械・・・
その こころとからだに油をさすように
ほんの束の間でも 何かを休むことで
生き続けることができるのさ。
生きる希望も湧いてくる(^^)/
リフレッシュしながら この人生を生きていかねば・・・
少しずつ休みをとりながら 休まずにいきていく!!

休む  息を抜く  静止する  ゆっくりする・・・
どこかで 何かを ちゃんと休むって大事ね。
休みながらなら 遠い道のりも行けるかなぁ。

休む時は ちゃ~んと休みます


           おり~ぶ




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今朝のTV
歌手の小田和正さんが 写っていました。
思わず ひき込まれてしまった・・・

小田さんの特別なファンというわけでもなく
コンサートにも 行ったことはないけれど
あの 透明感のある高音を 聴いたら
誰だって 魅了されますよね。

1979年の「さよなら」
わたしが社会人になった翌年だったか
爆発的な ヒット曲でした。

♪ さよなら さよなら さよなら
もうすぐ そとは 白い冬~
愛したのは たしかに君だけ
そのままの君だけ~  ♪

学生時代の淡い恋なんて思い出しながら
この曲聴いて 涙 流してましたもん。


ピアノを弾いて歌うひと
  このイラスト 髪型が小田さんのと ちょっと違うわね。

ところで その小田さん 70歳になるらしい。
BSプレミアムのロングインタビューの
ほんの一部を 今朝 放映していたのです。

小田さん 70歳といいますが
お若いです やはり♪

「ラブストーリーは突然に」「言葉にできない」など
次々とヒット曲を生み出してきた 小田さんにも
売れない時代もあったそう。
そんな時 彼は 思った。
「売れないのは 自分たちの音楽がまずいからなんだろう」と。

わたしは この言葉を聞いた時 ハッとしました。
ああ この言葉が
小田さんの たゆまぬ音楽への追究の源だろう。
多くのひとに聴いてもらえる音楽
多くのひとのこころに残る音楽
とにかく いいものを創ろうと思ってきたから
今の小田さんが あるんだわ。

ものごとがうまくいかない時
何かがうまくできない時
何かのせいにするんじゃなく ひとのせいにするんじゃなく
まずは 自分のことを 省みる・・・
何がまずいのか どこがまずいのか
どうしたらできるようになるのか そこからじっくり考える。

もし 小田さんが
「自分たちの音楽は いけてる!!のに
それをわかってくれる人がいないんだ」と
考えてしまったら その先はなかったかもしれません。

そして・・・
小田さんが 昔 自動車事故に合った時
大勢のファンが言ってくれたんですって。
「とにかく生きててくれるだけでよかった」と。
それを手紙で知った彼は
「ファンに喜んでもらいたい!!」と思ったそうです。
「それまでは かっこつけたところでたたかってきたけれど
そうじゃないんだ 喜んでもらうんだ」と
コンサートの中身を変えていった・・・
ファンサービス全開のコンサートの映像 楽しそう♪

小田さんは 70歳!!
これからも 理想の音楽をもとめて
日々 進化なさっていくことでしょう。

「キーを下げて歌うようになったら 潔く身を引くかな」
とも 言っていましたが
インタビュアーに 「引退は?」と聞かれて
「へへへ・・・」と お茶目に答えていました。

たぶん・・・・引退はしないですよ。
まだまだ「さよなら」はしてほしくな~い。
70代になっても 輝き続けて
甘く 切ない 素敵な高音を響かせてほしいです。

小田さん
まだまだ「さよなら」は なしよ

わたしも ブログ
こころを込めて 綴っていこうと思います 

くもこブログ楽しい

      🍃

(お知らせ)
わたしといっしょ♡ブログ
ご訪問頂きまして まことに ありがとうございます。
今日で ブログスタートからちょうど10か月が経ちました。
拙い記事を読んで頂き そして 育てて頂き
本当に 感謝の気もちでいっぱいです💛

つきましては お知らせがございます。
わたしの 暮らし・仕事・趣味 のバランス調整のため
本日から 一日おきに更新することにいたしました。
更新の回数は少なくなりますが・・・
これからも 時折 お立ち寄り下さいますよう
どうぞ よろしくお願い申し上げます m(__)m 

   
         ✐ おり~ぶ 



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今朝 洗った茶碗を拭きながら
ふと思い出しました。

亡き夫のお母さんのこと・・・
つまり わたしにとっては 義母だったひと。
名前を マサさんといたします。

マサさんは 青森の下北半島生まれで
魚料理が大得意。
ほとんどの魚をちょちょいのちょいと
料理して 食卓にのせてくれました。

「のせてくれました」というのは・・・
わたしは 魚をさばけませんし レパートリーもなし。
焼き魚ぐらいはできたけど 焼き方は???
それに 結婚生活をしていた12年間は
めちゃくちゃ忙しい職場だったから
帰りも遅かったんです。
だから 同居していたマサさんに
おんぶに抱っこで 甘えてました(>_<)

日曜日ぐらいは と思って台所に行くと
もう マサさんが 動いてるから
いっしょに お手伝いはしたけれど・・・
わたしがメインで 食事を作ったのは
数えるぐらいだったかも・・・
でも 少しはやりましたよ 少しはね。

結局 魚料理は マサさんにおまかせだったから
何も できない(>_<)
というか わたし 生臭いのだめなんですよ。
さしみとかお寿司とか 食べるのはOKだけど
料理する時の はらわたとか 血の色とか
手についた魚やいかのにおいとか・・・ダメなの。

そんな感じだから
当時 時々帰ってきていた 義弟に
「おねえちゃん 少しは魚料理 覚えたら」なんて
言われる始末。 トホホ 主婦失格だったわね。

でもね
マサさんと台所に立っていて
覚えたことがあるんです。
それは 皿を洗って 拭いて ちゃんと戸棚にしまうこと。

そんなの当たり前でしょって言われそうね。
マサさんはね
皿や茶碗を使って 洗ったのを 拭いてから
その都度 戸棚にしまうのよ。
水きり籠に入れておくのは 水を切る一瞬だけね。 

それまでのわたしは 洗ったら 水切り籠に入れておく。
その後は
すぐ また使うような器は 戸棚には入れずに
そのへんの棚にちょこんと置いておいたりしていたの。
例えば 朝 洗った茶碗を水きり籠から取り出して
そのまま 昼に使うということもあったわね。
それが普通だと思っていたから
マサさんが 拭いた茶碗をそのつど 戸棚にしまう
その行為は 驚きだったわねぇ。

ひとそれぞれ いろんなやり方 あるのねぇ。
カルチャーショック!!
というか 単にわたしが テキトーだっただけ。

でも 台所は わたしの台所じゃないでしょ。
そこは マサさんのお台所って 思ってたから
郷に入れば 郷に従えということで
わたしも 洗った器は すぐ拭いて すぐ 戸棚にしまう。
それを やるようになったんです。

皿をふく

初めは 面倒だったわよ。
食器を洗い終わると どっと 疲れが出るでしょ。
少し そのままにして くつろぎたくなっちゃうもん。

そこをぐっと こらえて
器を戸棚にしまうという 最終場面まで頑張るの。
そうすると わかったことがあります。
まず 気もちいい 何にもない すっきりした流し台・・・
次に 料理する時 茶碗をガチャガチャ片づけなくて済む。
スムーズに始められる。
マサさんのピカピカのお台所で
そんな 当たり前のことに気づいて・・・

以来 ず~っと そうしてます。
洗って すぐ拭いて すぐ戸棚にしまう習慣。

この習慣 心がけてます といった方が正しいかな。
慌ただしくしてると すぐ 崩れてきますから。
習慣通りにできているかは
わたしにとって 暮らし& こころの落ち着き度のバロメーター
忙しい時は 拭いたまま 戸棚の中じゃなくて
棚に ごちゃごちゃ置いたままになってます。
あっ 今 そうかも(>_<)

ところで 家には食洗機を置いていないので
洗ったあと 水を切ってから すぐ拭くでしょ。
ふきんには わたしなりに 結構 こだわりがあります。
今 使っているのは これです。
  👇
かや生地ふきん3枚組 福市ふきん綿100% 奈良 ふんわり柔らかな肌触り、吸水性抜群、乾きの早い優秀ふきん

蚊帳織のふきんは 水を吸い取るし 乾きやすい!!
さらに 手触りがいいんですよね。
写真のふきんは 頂き物で出会ってから 気に入って
リピートしてます。30cm×40cmで 大判です。

    🍃

ということで
マサさんの魚料理は覚えなかったけど
「洗って 拭いて しまう」というマサさんのこころは
しっかり わたしに根づいているのです。

マサさんは 10年ほど前に旅立たれたので
もう 会うことはできませんが
こうして 茶碗を拭きながら
こころの中では マサさんに再会しているのです。

甘えっぱなしで ぐうたらな へなちょこ嫁のわたしを
怒りもせずに 寛容に見守ってくれたマサさんの

優しいおもざしを 思い出します

      
          ✐ おり~ぶ




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