今日のタイトルは 「美醜の境い目」

この本を 少しだけまねています。
   👇
美醜の境界線: 美しい生き方のための規律(ルール)

著者は 昨年の記事 ➡自分の言葉で・・・でも取り上げたことのある
作詞家・エッセイストさんです。
その吉元さんが 
言葉をあやつる魔術師のように思えて 
わたしは ひそかに ちょっぴり尊敬しているの。

この本では 次のような前書きが書かれています。

私たちが自分を高めたいと思った時 迷っている時 
正しいか正しくないか 利益になるかならないかといった
実利的な基準とは別の
自分自身の判断基準が必要になる。
それが「美醜」という判断基準・・・


さらに 彼女は 美醜は正反対に位置しているのではなく
一線を介して隣り合っていると言っています。
その一線を越えてしまうか踏みとどまるか
そこが 美醜の境界線なんですって。

ほほぉと思い 興味をひかれました。
ひとには 表もあれば裏もある 
光あるところには影・陰がある
ひとりのひとのなかにも
明るい×暗い ポジティブ×ネガティブ 親切×意地悪
それらは すべて 一線を介して隣り合っている。
その境界線は どこなのかしらと 読み進めた次第です。

吉元さんは 49の項目で 美醜について述べています。
わたしが 特に 興味をもった項目をいくつか ご紹介。

〇 嫉妬の感情を自覚している人 × 嫉妬に他人を巻き込む人
〇 選ぶ人 × 天秤にかける人
〇 人の話を受け止める人 × 人の話を奪う人
〇 祈る人 × 願う人
〇 自分を落とせる人 × 実は自慢している人
〇 褒める人 × 比較する人
〇 力を借りる人 × 利用する人
〇 距離をおく人 × 逃げる人
〇 打ち明ける人 × 隠す人
〇 「そうね」という人 × 「でもね」という人
〇 にじみ出る人 × 上塗りする人
〇 有難いと思う人 × あたりまえだと思う人
                   Etc
こうして書いてくと 全部書いちゃいそうなので
この辺で やめておこう。
項目の見出しを読んだだけでも こころあたりあるわぁとか
そんなひと いるいるって わたしは 思ったので
あっという間に読んじゃいました。

でもね!!
さきほどの項目の中にも
「そうね」という人 × 「でもね」という人 とありましたけど
吉元さんの書いている49の項目のうち
48の項目についての記述は
まぁまぁ おおむね 100%じゃないけど
とりあえず 「そうね」と了解しました。

でもね ひとつの項目だけ 全く納得できな~~い!!

それは この項目
〇 「-」の人 × 「~」の人 というところ。

彼女はSNSの投稿を見て 気になっているのが
語尾につける「-」(おんびき)「~」(なみせん)だという。

次の文章を読んでね。
彼女の主張は 青文字  黒文字は わたしのこころの声です。

私の感覚でしかないのですが 「~」を使い過ぎるのは
美しくありません。内容ではありません。
「~」を多用することが 「醜」につながるのです。


え~ そうなの?!
わたし 「~」って 結構使ってますよ ブログで。
第一 ハンドルネームのおり~ぶに 「~」入ってるし
楽しもう~ 何とかですよ~ など よく使いますもん。
「~」を多用すると 醜いの?! ありゃあ まいった。

「〇〇さん~」「楽しみ~」「ありがとう~」
これらの文章を声に出して読んでみてください。 
どんな感じがしますか?


どんな感じって いろいろな読み方できるから 
別に問題ないんじゃない?

「~」という記号のもつニュアンスは 
ポジティブに表現されているでしょうか。
語尾をだらしなく伸ばして 何とも甘ったるく しまりがない。


わぁ だらしなくて しまりがない? そこまで言わなくても(>_<)

親しい者同士の 親しい会話だからいいのではないかと
いうことも言えますが 大人の女性の発信する表現として 
わたしは そこに美も粋も遊びも感じることができません。


きゃっ 「大人の女性として」と言われると ギャフンときちゃう。
美も 粋も 遊びも感じないって!!
でも そこまで考えて「~」を使ってるわけじゃないもん。

「-」での表現には 甘ったるさは感じられません。
相手に甘える気もちで書くなら 「〇〇さーん」と書いた方が
かわいいと思うのですが どうでしょうか?


えーっ そうは思いません。
「〇〇さ~ん」の方がかわいい 断然かわいい ものすごく♪ 
ブログ村の方達だって 「~」を使ってる方いらっしゃるけど
一度も違和感もったことないもん。
「~」からかもし出される雰囲気 自然に受け止めてたよ。
それじゃ ダメぇ?

ということで しばし わたしのこころは 
無駄な反撃をしましたが
最終的には この言葉にうなだれました。

表現ですから自由 何をどう書いてもいい。
でも ここで言葉を選別するのは感性であり 美意識です。
自分の感覚的な世界の中で 「これがいい」というものを
書くという意識が大切です。
誰も好んで
「醜」と感じられる表現をしているわけではありません。
内面の美 見えない美に対してもう少し意識を向けると
境界線が見えてくるのです。


はい ごもっともでございます m(__)m

結局のところ
彼女は 主張の初めに ちゃんと
「あくまでわたしの感覚でしかないのですが」と
言っているわけなので
その感覚を 押し付けようとはしていない。
読んだわたしが 
「~」ひとつで 十分に揺さぶられた次第です。

ブログを書いて こうして発信している以上
自分の綴る言葉に 少しは神経を使ってきたつもりですが
さすがに 「~」のことまでは考えませんでした。
まあ それは それで わたしの美意識から出た「~」なので
間違っているとは 全くもって 思ってはいません。

しかしながら 
自分が感じる美というものに もっと意識をむけて
自分の感性や美意識を もっと磨いていきたい。
そのことは 今 かなり感じています。

その言葉は 美なのか醜なのか
その行為は 考え方は 美なのか醜なのか
ほとんどすべては きっかけひとつで 
美にも醜にもかわるでしょう。
そのきっかけをつくるのは
自分の美意識・・・と吉元さんが 言っているので
こころに留めることといたします。

美意識がはっきりしていなかったら
「美醜の境い目」はわからないでしょうからね。

でもね 
これからも 「~」は 使いますよ~
使い過ぎなきゃ 「醜」にはならないでしょう 吉元さん。

おり~ぶも このままよ~
「おりーぶ」ではなく 「オリーブ」でもなく
「おり~ぶ」
わたしの感性から出た言葉だから
これでいいのです💛


   おり~ぶ



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今日から また一週間・・・
今朝は ゆったりした気もちでスタートしました。

起床後 身支度を整えて 
部屋干しの洗濯物を ハンガーから外しました。
いつもより 丁寧にたたんだような気がします。
燃えるごみを収集場所にもっていきながら 
少しだけ朝歩き・・・
ぽつり・・・と雨粒が 落ちてきましたが
家に着くころにはやんでいました。

一面灰色の曇天ではあるけれど
こころは 何だかちょっと さわやかです。

いつもの朝より ゆったりしたこころで過ごせるのには
理由があります。

それは 昨日観に行った 映画のおかげなの。

このドキュメンタリー映画です。
愛知県にお住いの ある建築家のご夫婦と雑木林の物語。
   👇
人生フルーツ 公式サイト

今年の初めには TVでも観られたようなので
ご覧になった方も いらっしゃることでしょう。
そのころは この映画のことを知らずにいて
見逃してしまったようです。

その後 どなたかのブログの記事で知り 
ぜひ観たいと思っていました。
東京の映画館が上映しているという情報を得ましたが
なかなか行けずにいたところ
キネマ旬報シアター(千葉県柏市)が 
ロングラン上映していることがわかったの。
常磐線沿線で なじみのあるところなので 出かけた次第です。

遅ればせながら 
この映画 そして 主人公の修一さんと英子さんに
出会うことができました。

    🍃

映画の中身は 先ほどの公式サイトに書かれているので
ここでは こまごまとした内容については省きますね。

90歳の修一さんと 87歳の英子さんの日常の暮らしぶりを
静かに見つめたドキュメンタリー
修一さんの建築家としての人生にも触れながら 
彼に寄り添う英子さんとのふたりの暮らしを
淡々と かつ 優しいまなざしで撮った映画です。

おふたりの暮らしは 月並みな言葉でいえば スローライフ・・・
雑木林の中で ちいさな自然を愛で 
野菜や果実を収穫し 丁寧に料理して味わう。
自分たちでできることは 何でもやってみる。
それをずっと繰り返し 暮らしを紡いできています。
そして そこでは 実にゆったりとした時が 流れている
お互いを 時には 名前で呼び合い
同じ方向を見つめて 暮らしているふたり・・・

樹木希林さんのナレーションも ふたりの物語にぴったり・・・

風が吹けば 枯れ葉が落ちる
枯れ葉が落ちれば 土が肥える
土が肥えれば 果実が実る
こつこつ ゆっくり
人生 フルーツ


このフレーズが 何度も繰り返し 語られました。

こつこつ ゆっくり 人生 フルーツ

人生は 自然の恵みを受けて
ゆっくりゆっくりみのる フルーツのようだ。
そういう意味なのかなぁと思います。

映画の終盤で おひとりになった英子さんが 語ります。
「ひとりになっても 今までと同じようにこつこつやっていけば
何か 見えてくるものがあるように思います」というようなこと。

わたしは この言葉が すごく こころに響いたんです。

こつこつやっていけば 何か見えてくるものがある・・・ 

そうよね!!
日常のこまごまとしたことでも 仕事でも 
こつこつとやっていけば 何か 見えてくるものがある。
そんなふうに思ったんです。

「こつこつ」という平凡な言葉を 
英子さんが語ってくれたことで
「こつこつ」が わたしの中で 急に輝きだしたの。
ふだん何となく思っている当たり前のことが 
はっきりと 自分の内で腑に落ちた・・・そんな感じです。

こつこつと積み重ねていることは
先ほどのフレーズでいうと 「枯れ葉」にあたるかもしれないわ。
日常の 仕事上の いろんなことは 
日々どんどん生まれてきて それをわたしはこなしてく。
いろんなことは どんどん 過去の枯れ葉になるの。
でも その枯れ葉が いい土壌を作るんだわ。
そして そこに 美味しい実がなるんですね。

実をならせるためには こつこつと 
ひとつひとつ丁寧に ただ こつこつと 繰り返していくことね。
そんなふうに 思ったら
こころが晴れやかになりました。
日常の暮らしの 面倒になるようなことでも こつこつと繰り返す
それでいいんだと 気が楽になります。
仕事も ひとつひとつのケースを こつこつと丁寧に。

こつこつとやって 積み重ねていくことで
美味しいフルーツのなる 
実りある人生へと歩めるような気がします。
こつこつ ゆっくり・・・
いろんなこと そんなに 急がなくていい。
ゆっくり こつこつ
こつこつ ゆっくり

あっ ブログもそうね。
日々 こつこつと綴っていたら 
何か見えてくるものがあるはず。

最近思うんです。
わたしにとって ブログは こころ育て 自分育てだなって。

ひとつの記事を書くことで 
自分に向き合うから 自己理解も深まるし
何より 自分についての 新たな発見もありますもの。
せっかく見つけた自分のこころ 
せっかくだから 育てたいって思う。
大げさに言うと 書くことでも 自分を育てていくみたいな
そんな感じがしてるんです。
だから こころ育て 自分育て・・・

ひとは 生涯 発達し 成長を続ける生き物でしょ。
こつこつ こつこつ 書いていくことで わたしの成長に
つながるのではないかな。 
まあ おいしいフルーツになるか どうかはわからないけれど。

そんなこんなで
「人生 フルーツ」の映画は こころに残る素晴らしいものでした。
また 折にふれて じわりじわりと思い出し
味わいの余韻を楽しんでいきたいと思っています。

と ここまで書いてきたら
外が明るくなってきました。
曇天から 少し晴れ間が見えてきてます。

お庭の花も おひさまの光を喜んでるかな。

DSC_0772.jpg

かわらなでしこ
もう 十数年 この季節に咲いてくれてます。
枯れそうなんだけど 枯れなくて 毎年驚かされる。
この花も こつこつして 生き延びてくれてるのかしら。
こつこつ ゆっくり ずっと咲いてね。

それでは また♪

日々の暮らしも ブログも 

丁寧に 積み重ねよう
こつこつ ゆっくり💛


     おり~ぶ



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本題に入る前に ちょっと前置きいたします。

昨日は 二週に一度の 朗読スタジオへ

今年のレッスンのテキストは 和ものです。
伝統芸能の出し物の中から いくつかの作品の一部を
読んでいくことになりました。

講師のJ先生は 洋ものの舞台にもたつ役者さんですが
もっともお得意としているものが 「和」の世界

わたしは これまで 読んだり 観たりしたことが
ほとんどなかったので とっても新鮮。
昨日までに 三作品の一部を読みました。

婦系図(おんなけいず)
三人吉三(さんにんきちざ)
源氏店(げんやだな)

よみがなを書いたのは 初めて見た時 
わたし 実は ほとんど読めなかったから(>_<)
朗読仲間には スイスイと読めるひとがいましたよ
ふだんから 歌舞伎などの伝統芸能を見ているひと。
さすがねぇ。
おとなのたしなみとして それぐらいわからないと・・・
とは いわれなかったけど ちょっぴり恥ずかしかったわたし。

    🍃

前置きが長くなってすみません。
今日の話題は レッスンの中身のことではなく
食べるという行為について・・・
なんじゃそれ?と お思いでしょうが 
よろしくおつき合いくださいませ。

    🍃

「食べる」にまつわる J先生のエピソードから

J先生は レッスン日の朝 東京からいらっしゃいます。
午前中のクラスは 午前10時~12時40分
午後のクラスは  12時50分~ 15時30分
何と ふたつのクラスの間は 10分しかないのです。

わたしは 午後クラスなの。
午前クラスが終わってから 部屋に入るのですが 
その時 先生の姿はみえません。
たぶん 急いで別室に行き お昼を食べるのかなあ。
それとも 電車の中で 遅い朝食をとってくるのかなぁ。
そんな想像をしています。

その日も 時刻ぴったりに 先生が着席されて レッスン開始。
でも 先生が 開口一番
「ごめん 昼飯食べられなかったんだ」と言いいながら
バッグから サンドウィッチを取り出したの。
わたしは 今年で 3年目の朗読スタジオだけど
先生が そんなふうにしたのは 初めてのこと。

みんなも え~と 同情的なため息。
「どうぞ どうぞ 召し上がってください」という雰囲気になり
先生は 「すみませんねぇ」と茶目っ気だしながら
おもむろに サンドウィッチの包装をほどきだして
・・・・・
急に 顔をあげると
「やめとこ 裏の部屋で食べてくるから ちょいとお待ちを」
などと言って そそくさと 扉をひいて 姿を消した。
みんなが テキストを黙読していると 
5分ぐらいたって 先生は戻られた。

わたしは この先生の行動が すごく 興味深かったんです。

彼は さすがに 
みんなの見ている前では 食べられなかった。
約40人の生徒の前で 食べるのは それは 恥ずかしいでしょ。
「食べる」という演技を見せるなら 平気なことだけれど
「食べる」という 素の行動は とれなかった。

わたしが 同じ立場でも そうしたと思います きっと。
「食べる」という行為のもつ意味を考えると
先生がとった行動は きわめて自然な行動だと思うから。

「食」は 生命維持に欠かせない本能的・生理的な営み・・・
「食べる」って 「食う」ともいうでしょ。
心理学では 「食う」「食べる」という表現が 
「食」のもつ攻撃性と交流性を
表しているとも とらえられています。

食べる時の 「噛み砕く」呑み込む」という行為・・・
赤ちゃんは お母さんのお乳を吸いつくし
歯が生えれば乳にかみつく・・・どこか 攻撃的な感じがします。
そうやって 生命は 育ってきてます。
生まれた時からの 本能的かつ 攻撃的な行為がなかったら 
ひとは 成長できません。
だから 「食い入る 食い下がる 食いつく 食いつぶす 
食ってかかる その手は食わない」などの比喩の言葉も 
攻撃的な意味合いを含んでいますでしょ。

また 授乳という「食べる」を通して 
母と子の 密接な情緒的な交流が行われ
基本的な信頼感が 育まれていくともいわれています。
「同じ釜の飯を食べた間柄」というような言葉もあるように
「食べること」は 人間関係の最も 根源的な様式・・・

このように 「食う」「食べる」は 
「食」のもつ攻撃性と交流性を表現していると
言われているのです。
少々 硬い話になりました (>_<)

「食」のもつ 攻撃性と交流性・・・

J先生のとった行動・・・
そもそも「食べる」という行為が 本能的・攻撃的な行為であり
そこにまた 
口や唇という セクシャルなパーツの組み合わせ・・・
「食べる」顔を 見せたくないと思う その心理
わかりすぎるほど わかります(^_-)-☆
最も プライベートな姿 そうそう 見られたくないですよね。
しかも 40人が いっせいに見るわけですから。

食べてる時の顔・・・見せるの 恥ずかしい?
わたしも 昔々あったわね。
初めておつき合いした異性と 食事をするのが 
恥ずかしくて 恥ずかしくて
どうしたら 食事しないで過ごせるかって
とんでもないこと 悩んだことがありました。

まあ そのころは ただただ恥ずかしいという思いだけで
どうしてそう思うのかは 全くわかりませんでした。
自分の本能的・動物的な姿を 好きなひとに見せたくない 
そんなものを見せて 嫌われたらどうしよう。
そんな無意識が 働いていたのでしょうね。

ちなみに 
J先生が サンドウィッチをもって別室に消える時
こんなことも 言い放ってました。
「男と女が いっしょに焼肉食ってるっていうのは
そのふたりが できてるってことらしいよ」と笑いながら。

「こらこら 先生!! スタジオには うぶな高校生もいるのに
そんなこと言って~」と思いながら
あながち 間違っていないかもという感じです。
焼肉を食べるって いろんなものを食べる中で
かなり 動物的なにおいが ぷんぷんしますもの。
ヒトという動物が 動物の肉に かぶりついてるわけですから
本能丸出し以外の なにものでもないわね。
ふたりの関係性が かなり深まっていないと
なかなか そんな姿見せられないかも 特に女性は?!

ということで
食べる姿を 見せなかったJ先生のエピソードを書きました。

記事を書きながら
かなり 若かりしわたしの 
異性の前で 食事することが恥ずかしかった 初々しい恋など
思い出してしまいました。

    🍃

わたしは ひとり暮らしなので
ふだんは ひとりで食べてます。
むしゃむしゃ くちゃくちゃ 本能的な攻撃性を発揮して
食物の栄養を とりこんでいます。
生命維持には欠かせません (^_-)-☆

そして 時には 親しいひとと
これまた ガツガツ ワイワイ 食べてます。
食べてる顔を見られても 気にならずに
食べて 飲んで おしゃべりして・・・
そんな交流が できること ありがたいわねぇ。

ちゃんと噛んで
しっかり 食べますよ 今日も💛


   おり~ぶ



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はや 週末・・・
いろいろなことがあった一週間。
わたしのブログ記事も
あちこち あれこれ 生きた足跡を残しました。

そして 昨日の 
有名な方の死。
生き方の 真に美しいひと・・・
ただただ 目を閉じ 黙とうを捧げました。
どうぞ 安らかに お眠りください。

     🍃

悲しい夜が過ぎ・・・

こうして 静かな朝を迎えています。

昨夜 いろいろ思い浮かんだことは 
わたしの中で未整理な部分がたくさんあり
この場では まだ文章になりません(>_<)

でも 今はっきりと言えることは ひとつ
ひとは誰でも 生きて死ぬのだということ。
悠久の宇宙の流れから見れば
ひとの一生は 星の瞬きのようだともいわれます。
限りある時間を生きて そして 死ぬ。
このことには 誰であっても 抗いようがないのです。

わたしも やがて 遅かれ早かれ 亡くなりゆく運命なのだと
あらためて 我がいのちのことを思いました。
星の瞬きのごとき 永遠には続かぬ いのち。

光があって影があり 生があって 死がある
光と影の さまざまな色に彩られて歩む わたしの人生も
やがては 必ず終わりを迎えてしまうのだから
死にゆく旅路ともいえようか。
生かされて 生かされて 生きていく。
そして いつの日か 人生の幕はおりるのです。

こんな当たり前のこと 
これまでだって 数え切れないほど
突きつけられてきたけれど
きっと これからは もっともっと向き合わざるを得なくなる。
生老病死・・・ 
この四文字が 今まで以上に重くのしかかってくるだろう。

これからを どう生きて どう終わっていくのか・・・

わたしより 30歳ほども若い 
かの美しきひとが 教えてくれている。

それは 
どういう状況であっても その時その時 
懸命に 家族を愛し ひとを愛し 精一杯生きること 
そして まさしく全身全霊で 生きる思いを伝えること

病との闘いの中で
いのちをかけて伝えてくれたことを 
こころにしっかり とどめておきたい。
強く強く そう思うのです。

生きたくても 生きられなかったひとの 
無念の思いを心に留めて

愛というものの尊さを教えてくれた
美しきひとのためにも

その時その時
精一杯 ひとを愛し 人間を愛し 
ささやかな生きる喜びを見出していきたい。
そうしたら この世から旅立つとき きっと 後悔しない。
そんな気がするんです。

生きたくても 生きられなかったひとのために
わたしができることは
彼女のいのちに感謝すること・・・
そして 自分が
ただ ひたむきに 生きること・・・


多くのメッセージを残してくれた 彼女のまっすぐないのち
それは わたしには こんなイメージです。

はげしく渦巻き
さかんに 泡立ち
しかも 少しも濁らない
透明ないのちでありたい
滝つぼの水のように
      相田みつを


滝の水

病に侵されていても 透明ないのち そして その魂
それが 彼女だったんじゃないだろうか。

そして
澄んで濁りなき いのちのバトンは 
もちろん ご家族おひとりおひとりに渡されたけれど
彼女を知る多くのひとの手にも そっと渡された・・・
わたしは そんなふうに思っています。
もちろん わたしの手にも・・・

このバトンを大事にもって 
わたしは 自分の一生を 歩もうと思います。
時には ゆっくりした歩幅で 時には 走るスピードで・・・
いのちのバトンを落とさずに 
わたしの生きざまを どこかでそっとみていてくれる
その 次の誰かに 渡せるように
しっかり 地に足をつけて 生きていかねば・・・

できるなら こんなふうに楚々として

谷間の百合

人里離れた 谷間の白百合の花は
誰にも みてもらえないのですが
少しのかけひきもなく
精一杯の美しさで咲いています
        相田みつを 


誰にもみてもらえなくても 
大いなる宇宙は見ていてくれるはず。
その時その時を 精一杯 

今を生きる

今日という 大切な一日
新しい わたしのいのちが 時を刻んでいます 💛    


       おり~ぶ




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大事なものを 失うかもしれない
そう感じた時の 胸のはりさけそうな思い・・・
そして わたしは 
新たな決意をいたしました。

大げさな書き方をして すみません。
実は 大好きなボーカルグループ
LE VELVETS(ル ヴェルヴェッツ)のことなのです。
まだまだ 誰でも知っているというわけではない
そんなグループなので
「知らな~い」という方も 数多くいらっしゃると思います。

でも わたしにとっては 
大事なだいじなグループのことなので
またまた 記事にいたします。
ご容赦くださいませ。
読んで頂けると うれしいです。

    🍃

先週 
グループのひとりが不祥事を起こしたことを書きましたが
あれ以来 わたしは 意気消沈しておりました。
5人のメンバーのうち そのひとりが無期限活動停止になり
残りは4人です。
彼らは クラシックがベースなので 4人のうち テノールが3人
バリトンが ひとりになってしまう。
そういった 歌声のバランスも問題だけど
それより何より 問題を起こしたひとのいるグループということで
グループ全体が 否定されてしまうのではないだろうか。
そう 考えると
彼らが これからも活動を続けていけるの?と 
とても気がかりだったのです。

もし 解散というようなことになったら 
わたしは 何を楽しみに 後半生を過ごしていったらいいの?
そんなふうにまで 思ったこともありました。

少しオーバーにいうと
LE VELVETSの歌声は 
わたしの生きる希望を 支えてくれるものだからです。

昨年の10月☛わたし ときめいちゃってる♪ で書いたように
メンバーのひとりの歌声が 亡き夫の声に似ていたことから
わたしは このグループの存在を知りました。
以来 ファンクラブにも入会し 自分のできる範囲で 
LE VELVETSを応援しています。
彼らの歌声を聴き 応援していくことは 
自分自身を応援すること・・・
そんなふうに思うから。

全員が音楽大学で学び クラシックから民謡まで 
幅広い曲を歌い上げる その歌声に 魅了され 励まされ 
勇気づけられてきた わたし・・・

そのグループが もしかして なくなってしまうかもしれない
もう あの歌声を聴くことができなくなってしまうかもしれない
そんなことが頭をよぎり 悲しくて 何度も涙が出ました。
部屋に飾ってある 5人で写っている彼らの写真
それを見るのが辛くて つらくて・・・

彼らの歌声を 
ライブで聴くひとときがなくなってしまうのではないか 
もう二度と あの感動を味わうことができなくなってしまう・・・

大事なものを失ってしまうかもしれないという恐れ
そして 失ってしまった時のわたしはどうなるの?
・・・予期的な不安に襲われもしました。
本当に ほんとうに 胸を締めつけられるような 悲しさ・・・

グループの公式サイトに 何度も何度もアクセスして
謝罪文の他に 何か書かれていないか
彼らが今後どうなるのか わからないだろうか・・・
PCの画面とにらめっこ・・・そんなことを 毎日やってました。
どうぞ グループが存続しますようにと 祈るような思い・・・

そして 今週 20日 
HPを見たら 何か書いてある!!
「彼らの今後について 関係者と協議しており 21日の午後に
最終結論に達するので その後に発表予定」というコメント。
わたしは 翌日の午後は仕事なので HPは見られません。
どうなるのか 活動できるのかと考えると 
もう いてもたってもいられない気もちでした。

21日の夕方 ドキドキしながら 
PCの画面を食い入るように見つめると
そこには 書いてありました。

・・・4人で活動を続けることになりました・・・

わたしはそれを読んで またまた 涙が出ました。
また あの歌声を聴ける・・・
4人になってしまったけれど それでも LE VELVETSの歌声
新しい 彼らの歌声が 聴けるんだと思うと
うれしくて 飛び跳ねたいような気もちになった。

そして あの出来事が起こってからの 彼らの心情にも
あらためて 思いを馳せました。 
どんなにか悲しく 悔しく
わたしの辛さなど比べ物にならないほどの
苦しみや痛みを味わったことだろう。
彼ら ひとりひとりもまた 傷ついているのです。
 
これからも活動していく・・・そうはいっても
ある程度の 負のイメージは 拭い去れないだろう。
それを払拭するまでには 長い時間がかかるかもしれない。
様々な場で あの出来事で 失ったものの大きさを知り
打ちひしがれる時もあるだろう。
彼らの前途を思うと また 切ない気もちになるわたし・・・

でも メンバーの こんな決意を読んで
わたしのこころも 元気を取り戻しました。

メンバーのひとり 佐賀さんのコメントより

・・・何を考えても、申し訳なさと悲しみしかありません。
でも 今は 進むしかありません。踏ん張るしかありません。
未来を信じて、泥水を這ってでも 歩き続ける覚悟です。
また このような状態でありながら
4人でのステージの可能性を感じてくださっている皆様に
心から感謝致します。
ご期待にお応えできるように そして一日も早く
皆様からの信頼を取り戻せるように
アーティストとしていかに生きるかを問いながら
決意の一歩を重ねていきます。
 

他の3人も 同じような決意をコメントしています。

そして わたしも決意しました。

これからも LE VELVETSを応援していきます。
これまでと変わりなく 否
これまで以上に 熱いこころで エールを送り続けます。

これが 新しい LE VELVETS
PCの画面を 撮りました。

LE VELVETS

それぞれの表情は いつもに比べたら 明るさがない
厳しい顔をしています。
それだけに 彼らの決意の大きさが感じられて
わたしは 身の引き締まる思いです。
 
一度は失った グループのこころ
さらに 失うかもしれなかった 活動の場
苦しんで苦しんだ末に 救いの手は差し伸べられたのです。
今度こそ 4人一丸となって
素晴らしい歌声と 歌のこころ そして 幸せをはこぶ
素敵なグループになっていってほしい。
それが ファンのひとりとしての わたしの願いです。

    🍃

失うかもしれない・・・
そう 思った時に あらためて 気づきました。
わたしにとって LE VELVETSが 
いかに大切な存在であるかを。

大事なものを 失うかもしれない・・・
そう 思ったときの 胸のはりさけそうな思いを
わたしは 忘れない。
LE VELVETSの歌声は
わたしにとって 大事で大事で必要なもの♪

これからも 彼らを 応援し続ける。
その歌声が 
わたしを鼓舞し 癒し続けてくれるから 💛


     おり~ぶ



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夜の電話について書いたのは 一昨日でした。
めったに電話はないと書いたのに 
友達からの電話・・・続くものです。

今日は 友達関係について 書こうかな。

昨夜の8時半 着信あり。
           👇
3月の記事 友はおかんむり に登場した友達 
電気自動車購入後 燃費の悪さに悩んでたひとです。 
Aさんとしましょう。わたしと同い年。

昼の間に 彼女からラインが入っていたの。
「お元気ですか?週末のご都合は?」というもの。
たぶん ランチのお誘いだろうと思いましたが
週末は 朗読スタジオやら お出かけで 
ランチの時間はとれない。
「ありがとう。土曜の夕方なら 空いてるんだけど 
それじゃ無理ですよね」と返信しておいた。

彼女は 平日 フルタイムで仕事をしている 一家の主婦。
義両親とも暮らしている 長男さんの嫁殿なのですよ。
親御さんが元気なので 夕方でも出られないこともなく
以前 夕方 我が家に来てくれたこともあります。
だから ダメでもともとで 土曜の夕方は?と
ラインに書いてみたわけ。
お誘いに乗る気は 満々ですから。

それにしても
Aさんは 最近 娘さんにbabyが生まれて 
初孫だ~と喜んでいる。
近くに住んでいるので 何かとお世話を頼まれているらしい。
そんなこんなで やっと この週末に 
自分の時間が作れたのでしょう。
だから ラインの返事に
「週末は無理だから 来月 どう?」
とは 書けなかったんです。
来月は来月で 何かと予定もあるでしょう 
それは わたしも同様です。

そうそう それで 彼女からの電話は
「ねぇ 夕方って 何時から?」というもの。
夕方という言葉の定義から 入ったわねと面白く感じながら
いろいろと 話をして 
結局 この週末は 見送りになりました。
来月また あらためて連絡を取り合うことにしたの。

それらの話の中で わたしは 
Aさんの記事を書いた時以降
彼女と会っていないことに気がつきました。
3月末の記事だから あれから3か月・・・
記事の最後には 桜の花見に彼女を誘いたいなどと書いたのに
有言不実行でした(>_<)

Aさんが気をもんでいた車のことについては 
一度わたしのほうから 
「どうなった? 車のこと 落ち着いたの?」
という電話をしています。
その時の返事は 
「まだまだ 問題は未解決 どうなるかわかんない」
というもの。

以後 お互いにやりとりはなく経過して 
昨日の電話という次第。
わたしは 車のことも思い出して そのことを聞いてみたら
「やっと気もちの整理がついて 
いい車だなと思って乗ることにしたの。
燃費も22Kmはいくから その辺で妥協したのよ。
いろいろ心配してもらったのに
そういえば 連絡しないでいたわねぇ 
ごめんごめん」とちゃっかりしてる。
そんなふうに あっけらかんとしているところ 彼女にはあって
Aさんらしいわ そういうところ 彼女の持ち味 いい感じ。
そんなふうだから 友達として続いていられるかもね。

    🍃

というように 今 友達関係の一例を書きました。

わたしの友達関係は 概ね そんなところ。
まず 頻繁には会わない。 
会う間隔は 平均2か月に一度ぐらいかなぁ。
友達とは 無理して頻繁に会うことはないと 思ってます。
そのほうが 長続きするような気がしてる。

わたしの場合 用事がない限り 連絡しないの。 
例えば「空の色が素敵だよ~」などと 
ラインしたい気になる時もあるけど まずしない。 
要するに そういうマメさはないかも。
あっ でも 「どうしてる?」というようなことは 
メールで送ったりはします。

要所要所は 押さえる傾向あり。
忘れなければ 誕生日のメールとか。
それでも 忘れちゃうこと あり。
しばらくやり取りしてないなぁと気づいたら
自分から連絡して 会うようにするとか そういうことはする。
友達関係は 続ける努力も必要って思ってるから。
要は その友達と 
ずっとおつきあいしていきたいかどうかだから
そう思う相手には 自分なりのメッセージを 
何気に送り続けるということ。

友達とは 一対一の交流が中心だけど 
あまり執着はしない 干渉しない。
とにかく 近寄りすぎず 遠ざかりすぎず 相手を想ってる。
そんな関係が わたしには 楽なんですねぇ。

ここ数年は
朗読スタジオに参加するようになって 
仲間という存在が増えました。
例えば 街の中で朗読仲間に偶然会った時 
親しく挨拶をかわすひとは 数十人いるけれど
その中で ふたりきりで カフェでお茶を飲めるひとは
今のところ たったひとり。
それで 十分なの。 
シンプルでしょ。
よりプライベートなおつき合いは
ごちゃごちゃ ひとをまぜすぎない。
ちょっと 閉鎖的かしら(>_<)

このひととずっと友達でいたいって思えるひとが 
数人いるだけで わたしは Happyです。
そして 会った時は それは真摯に そのひとに向き合いたい。
頻繁に会わないからこそ 大事にしたい そのひととき。

若い時に 異性と付き合った時(これは また別)以外は
子どものころから ずっと
こんなふうな友達関係だったような気がします。

そういえば わたしは 幼友達だったひとと 
今もつきあっているひと いませんね。
ひとりだけ 今も年賀状のやりとりをしているひとがいるけれど
きっと この先 会うことはないように思います。
距離的にもかなり離れているし 心理的に遠い感じ。
共有した時間が少なすぎて・・・
でも なつかしさはあるから 続いています。

     🍃

幼友達っていえば・・・
この映画(2015)の中の 友達関係には 
こころを揺さぶられたことがあります。
   👇
マイ・ベスト・フレンド [DVD]
 
幼少期から仲良しのふたりが 不妊治療を経ての妊娠や
乳がん発症という人生の局面・運命 
そして友情の危機を乗り越えて
さらに深い友情を気づいていく物語。

それこそ 近からず遠からずとは 真逆の 
女性同士の友情の姿 しかも 濃密な。
でも ふたりが 危機をこえて 
さらに深いかかわりになっていくのを見て
とっても 感動したの。
人生って ひととの関係って 理屈じゃないって思いました。
友達関係は つかず離れずなんて 思っていることが
妙に ちっぽけに見えてしかたなかった。

もしかしたら わたしは 
映画のふたりのような
何から何までさらけ出し 葛藤さえもバネにして 
ふたりの友情を再構築していくような
そんな ふか~い関係を 
ほんとうは 欲しているのかもしれない。
そんなふうにも 思った次第。

でも それは あくまで 映画の世界。

実際は やっぱり・・・

濃密すぎず 
つかず離れずの 程よい距離がいいな。

    🍃

友達関係について 書き始めましたが
何だか とりとめなく 綴ってます。
まあ 女性同士の友情も 
人生の永遠のテーマだと思うので
この先 また 記事に書きたくなるでしょう。

今日のところは この辺で。

友達は 人生の宝物♪
つかず 離れず ほどよく
ゆる~い おつき合い
なが~く つづけていきたいです。

友達のいない ひとりものの老後は 
きっと 寂しいと思うから
大事にしていきたい・・・
いまの 友達💛



       おり~ぶ



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今日は 雨・・・
確か 先週の水曜日も雨でした。
小雨降る中 とことこ歩いて 初めての場所に行ったから
よく 覚えているのです。

そのことを書きましょう。

初めての場とは 近くの小学校・・・
読み聞かせのボランティアの方々に 会いにいったのです。
以前から 学校などで 
絵本の読み聞かせができたらいいなと思っていたの。

昨年の12月ごろ 朗読仲間のAさんにその話をしたら
彼女の友達が わたしの住んでいる学区の小学校で 
読みきかせのボランティアをやっているという。
Aさんは もう20年以上 学校や図書館で 
読み聞かせを続けているので 顔が広いのです。

わたしは 彼女に
「そのひとに 新しいボランティアを募集していないか 
きいてくれるかな」
と 思い切って頼んでみました。
Aさん 「わかった。聞いといてあげるよ」と答えて 
まかしときって感じだった。
頼もしいなぁ。

それから 暫くして 「話しといたよ」とラインが来て・・・
それ以降は 
その件に関しては何の連絡もありませんでした。
Aさんは お仕事もしているから 何かと忙しいし
わたしも ボランティアを 
今すぐやりたいというわけでもなかったので 
そのままにしていたの。

2月になって Aさんから 連絡がありました。
「読み聞かせ ひとが足りないようなこと言ってたから 
もしかしたら できるかもよ」
あらぁ それはよかった。
いよいよ チャンス到来かなと 期待していましたが・・・

そこから またまた連絡は途絶えました。
まぁ ご縁がなかったのかもしれないわね。
わたしの方でも 
読み聞かせをやる準備が十分とはいえないから
別に 今じゃなくても いいのよ。
仕事を減らして 時間が作れるようになってからでもいいさ。
そう 思うようになっていました。

ところが 5月になって Aさんから連絡あり。
「友達に 〇〇さんの電話番号 教えていい? 
連絡取りたいって言ってるの」と言うではないの。
あらぁ 急転直下 もしかして決まるの? 
採用!?してくれるのかしら。
でも 面接受けてないけど(^_-)-☆と思いながら
電話番号を伝えて 今度こそはと 電話を待ちました。

が これまた 電話はない・・・。
どうなってるのかしらねぇ でも みんないろいろ忙しいからね。
絵本の読み聞かせのことだけ 
日がな一日 考えているわけじゃあ ありません。
もう この件に関しては 待つのに慣れてきてるから
待つともなしに待っていたら・・・

やっと 5月の末 
Aさんの友達から 電話が掛かってきました!!

「ずいぶん前に聞いていたのに 
すぐ ご連絡できずにすみません。
やって頂くことになりましたので 
とりあえず 一度 見学なさいませんか?」
何という あたたかいお言葉。

    🍃

それで 先週の水曜日
その初めての場に出かけていった次第です。

集まった方々は その小学校の保護者OBのお母さんたち。
40代~50代 10人の方々です。
初めは PTA活動の一環として 
読み聞かせをやっていたようですが
現在は ボランティア活動として行っており 
もう15年になるという。
保護者OBだから お互いの子どもさんのこともよく知っている
気心しれているお仲間という感じ。

読み聞かせの時間は 8:20~8:35 の15分。
一年に 6回 開催しているようです。
基本 ひとクラスにひとりのボランティアが 入ります。
みなさん パート勤めもしながら
続けてこられているとのこと 頭が下がります。
「代表の方のお人柄で こんなに続いているんですよ」と 
電話をかけてきてくれた Aさんの友達が話してくれました。

わたしが 見学したのは その代表の方の読み聞かせ・・・
2年生のクラスでした。
進め方が とても お上手で 子どものこころを きゅっと
つかんで とても楽しい雰囲気。
見学しているわたしも 楽しんじゃいました。
子ども達も かわいい かわいい。
教室の後ろで見学していたわたしにも にこにこした顔で
挨拶などしてくれて わたしのこころもほっこりよ♪

読み聞かせが終わると みんなで集まって 
しばし ティータイム。
用事のあるひとは すぐ帰ってもいいというお約束なので
帰られた方もいました。

読み聞かせの初心者で みなさんとは初対面
初めてづくしの時間が流れる・・・

わたしは ほんの少し 緊張してました。
Aさんの友達が みなさんに紹介してくれたので とにかく
笑顔で・・・を意識して ふるまったわ。
みなさんは 保護者OBという共通点があるけれど
わたしは 全くの部外者ですもの。
学校の近くに住んでいるというだけのひとだからね。
心臓は ドキドキよ(>_<)

でも みなさんは 特にわたしに気を遣うわけでもなく 
たぶん普段通りに読み聞かせをして 
ティータイムでおしゃべりをして・・・そんな感じでした。
それが わたしにとっては ラクでした。
あまり 気を使わせたら 申し訳ないですから。
  
ティータイムのお茶は コーヒーが配られたの。
「コーヒーでよかったですか?紅茶もあるんですよ」
そう 言ってくれたのだけど
さすがに 「じゃあ 紅茶で」とは言えませんでした。
やっぱり 初日から そんなことは言えないなぁ。
わたし ふだん コーヒーは ほとんど飲まないんだけどね。
こんな時は もちろん コーヒー 頂きます。
インスタントコーヒーだったけど 意外においしく感じられたわ♪

近くに座った方々も それぞれ明るい雰囲気のひと・・・
話しながら わたしともアイコンタクトをとってくれたので 
それが とってもうれしかった。
居心地は 初めてにしては まずまずだったかな。

わたしより齢の若い先輩たちと お仲間になれるかなぁと
不安だったけれど 何とか なりそうかしら。
年6回だけ 読み聞かせという目的のために集う 
それだけのことだからね。

特にわたしの場合は 
そのお仲間同士の人間関係などには 
これまで一切無関係だし 気楽といえば 気楽な立場です。
近からず 遠からず ただ 読み聞かせ仲間のひとりとして
そこに いさせてもらえれば それでいい。
ゆっくり ゆっくり お仲間入りさせてくださいね。
どうぞ よろしく お願いします。

    🍃

わたしは 初対面でのドキドキ感はあるものの
こんなふうに ぽつんと違うひとが ひとり・・・
そんなシチュエーションには
結構 平気なところがあるんです。
病院の職場も わたしだけ 職種が異なっていて 
しかも ひとりしかいない いわゆる ぼっち職場。
みんなのなかに ひとりだけ違うひと・・・ 
わたしらしいあり方なのかもしれません。

そうはいっても 
長く続いてきた 読み聞かせのみなさんの中に
年6回だけとはいえ お仲間にいれて頂くのは 
やっぱり心構えが必要ね。
まずは 
ある意味 どこの馬の骨だかわからないような 
初心者のわたしを受け入れて下さった
そのことに感謝しつつ
みなさんにいろいろと教えて頂くという 謙虚さをもって
自分の役割を果たしていきたい。
こういうときは ただただ みなさんについていくだけ 
とりあえず。

何よりも 子ども達に
絵本を通して happyな気もちを感じてほしい
そして わたし自身も happyに なりたいわ。

    📖

初めての読み聞かせは 7月♪
4年生のクラスを担当します。
さあ どうなることやら。
まずは 絵本選びから 始めよう ぼちぼちね。

なんてたって 読み聞かせボランティアは 初めての経験
今から ドキドキ ハラハラ
そして ワクワクしています。

まず はじめの一歩を踏み出したけど
今は まだまだ 未熟で あおいわたしです。

ほら こんな感じ
先週 小学校からの帰りに 通り道で見つけたの。

DSC_0761.jpg

この緑の柿だって やがて 真っ赤に熟すでしょう。
読み聞かせを 少しずつ重ねていけば 
「伝える」というスキルも 少しは上達していくかな。

そんなことを 思いながら 記事を書いている

梅雨らしい雨の降り続く 朝です。

恵みの雨だといいね💛


     おり~ぶ




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昨夜 9時
読まないでしまった新聞を広げていた。
朝刊を 夜に読むって 朝 どれだけ忙しかったのかしら。

そうなの そうなの。
月曜の朝は 
いろいろとやることがあって 新聞はあとで読も・・・
そう思って 放り投げておいたのですよ。

夕ご飯食べて お風呂も入って さあ くつろぎタイムとばかり
どっしり 椅子にすわったら 新聞が目に入った。
見ないままにしておくのも もったいないわと思ったんだけど
朝刊は やはり 朝読むべきね。
何となく 出遅れ感が否めない。
そうこうするうちに 眠くなってしまい 
うとうとしていたら・・・

     🍃

携帯の着信音が鳴った。

わたしのスマホ 電話の着信があるのは まれですよ。
ほとんどの通信は メールかラインですもの。
たまに かかってくるときは 
文字打つのが面倒なほど 話の中身の濃い時や
逆に 待ち合わせの場所や時間の調整の時などの 
打ち合わせの電話
あとは 緊急の場合
最近だと 叔母のいる施設からの緊急連絡・・・・

その電話も 「え~ 叔母さん どうかした? 
今朝 会ってきたばかりで特に変わりなさそうだったけど」
ってなもんで・・・
半分眠った頭が とび起きた。

     🍃

「はい もしもし」と おそるおそる 
かつ 緊迫した感じで電話に出ると 
相手は 仕事仲間 & 友達の Aさん(50代半ば)だった。
過去記事にも登場してきてますよ~ 
自称―地震雲研究家!?の彼女です。

Aさんかぁ ♪
ほっとして わたしの声のトーン 2倍は上がったわね。
「こんばんは~」

それにしても Aさん どうしたのかしら?
彼女はラインをやっていないので いつもはメール 
それも PCのメールがほとんど。

「もしかしてもう休んでました? すみません 遅くに」
と 申し訳なさそうに話す彼女。
わたしが 早寝早起きで
遅くまで起きていられないのを 知ってます。

わたしは うたたねして まどろんでたので
もう 声は 眠り姫状態 ちょっとだけ ハスキーになってます。
それで もう寝ちゃったのかと 思ったんでしょうね。

Aさんの話は 急を要することでもなく 
メールで事足りる内容だった。
月1回やっている 心理職仲間の勉強会のこと
午後7時開始なので これまでは各自 
食事してから集まっていたのだけど
今回は みんなで食事しながらやろうということになった。
その時の お弁当 何がいいかという質問・・・
コンビニの仕出し弁当というのがあるらしく 
いくつかの種類の中から選ぶので「どれがいい?」と聞かれた。
値段は1000円台と800円台 へぇ 結構なお値段だわ。
もちろん 800円をチョイス 中身は ちらし弁当よ。

まあ 彼女の要件は それだけだったの。
読んで下さっている方も 
なぁんだ それだけ~と お思いでしょうか。
実は わたしも 一瞬 「なぁんだ そのことだけ」と思ったの。

でも 彼女が
「メールのやり取りに疲れちゃう時あるから 
たまには電話かけようかなと思った。
それに ○○さんの声 聴きたかったので~す」
と言ったので 電話だったわけを了解しました。
彼女は 相談者と メールで相談している事例を
一件もっているので なかなか 大変なのですよ。
相手の文章を読んで 思いを受け止め 
さらに文章で伝えるって難しいからね。
「疲れちゃうよ」って 同職の仲間にしか言えません。
よくぞ 言ってくれました。
そう 疲れます 疲れちゃうよね。
わたしは 彼女を こころからねぎらいました。

     🍃

彼女とのやりとりを終えるころには
わたしは 眠り姫から目覚めて 頭がすっきりしちゃってた。
そして ふと 思いました。
「たまには 電話で」と言った彼女。
メールじゃなく 電話で・・・
しかも 声が聴きたいって ふざけて言ってたけど
ほんとに 誰かの声を聴きたかったのよね。

彼女のご主人は 単身赴任中 
息子さんも遠方の大学に行ってます。
大きなお家に ぽつんとひとりの夜・・・
だからといって あれこれと 孤独を嘆くひとではありません。

でも 彼女にとって ご主人の存在は 
とても大きいものがあるのです。
「夫と結婚して初めて 人生って楽しいんだと思った」
と言うくらい。それまで どれほど 辛かったのかまでは 
詳しくわかりませんが
ご主人との出会いが 彼女の 真の人生の始まりだった・・・
それは確か。
価値観を共有できるひとと 出会ったのね 彼女は。
「夫といると 自分の中のいろんなバランスがいい感じ。
だから 単身赴任は 私にとっては ちょっとつらいわね」と。
もちろん ご主人は 毎週帰宅しているようです。
平日とて 電話やメールのやりとりをしていることでしょう。

でも それでも ふと 
ひと恋しくなるってこと あるんじゃないだろうか。
結婚して家庭があって 夫がいて 子どもがいて
すぐ 電話でやりとりできる相手がいても・・・

家族でない相手に ぽそっと何か言いたくなる時
声をきいて話したくなる時
彼女の電話は そんな電話だったかもしれないなぁ。

そもそも ひとは とどのつまりは ひとりでしょ きっと。
他の友達が言っていたことありますもの。
「あのね 夫がいたって 孤独よ。 
いるからこそ 孤独ってこともあるのよ」と。
わたしは 名言だわ~と思った次第です。

わたしの愛読書のひとつ
   👇
堀文子の言葉 ひとりで生きる (「生きる言葉」シリーズ)
にも 書いてあります。

みんなひとりが寂しいといいますが 
人といれば本当に寂しくないかしら?
人はそもそも孤独なんです。


彼女は 昨夜 そんな孤独感を身にまとっていたのかしら。

わたしだって うたたねして よだれ垂らしそうになりながら
そりゃあ 孤独でしたよ。
彼女の電話がなかったら 
帰宅して 眠りにつくまで 誰とも話さなかった。
声すら出さなかったかもしれません。
もう その暮らしには すっかり慣れているけれど
彼女の電話が 何だかすごくうれしくて 
こうして誰かとつながっていられるんだと思ったことで
あらためて 自分の孤独感や寂しさを再確認しました。

わたしも 
誰かの声を聴きたくて 電話かけたい時 あるよ。

でもね 
わたしは 寂しい時でも 誰にも電話したりしないの。
用事はないけど 電話して声を聴きたいなぁとは 思うのよ。
でも しない。
本当は 甘えんぼちゃんなのに・・・
そういうとこ 可愛げがないのよねぇ 昔から。
まあ そんな感じで 過ごしてきたから 
このまま いくね 最後まで。

ところで
先ほどの本には このようにも 書いてあります。

ほかの人といて感じる寂しさ 
感性の違う人に接する辛さに対して
自分の気もちをごまかさないでいられる
ひとり暮らしという選択もあってもいいと思います。
「自分」は「ひとり」しかいないんですから 
わたしはひとりでものを考え
怠け 喜びや悲しみを確かめたいと思い 
その暮らしを続けることを望みました。


わたしは 著者のような孤独の達人にはなれないと思うけど
これからも ひとりの夜を過ごしていくということは
間違いないと思います。
ひとり暮らし 自分が望んで始めたわけではないけれど 
今は その暮らしを 自分で選択したという思いがあるから。

    🍃

彼女との電話のやりとりで 頭はしばらく冴えていましたが
ベッドに入って あっという間にコテンと眠ってしまったよう。
朝まで ぐっすりでした。
彼女の電話で わたしの孤独も ちょっと癒されて 
身体も ほんわか リラックスしたのでしょう。
安心して 眠ったんだと思います。
誰かとちゃんとつながっているんだという 安心感 ♡

一夜明けて 雨戸を開けたら またまた 今朝も 晴れてます。
昨日の記事の最後に 
うっとうしい梅雨の日々・・・と書いてしまい
間違ってる~ うっとうしくないじゃん と思ってましたが
案の定 今日も うっとうしくありません。
爽やかな 風も吹いてます。

DSC_0768.jpg

庭のねじり草
ピンクのらせん階段が 上へ 上へと 伸びてます。

さあ 今日も
 
人生のらせん階段を 一歩一歩 上ります 💛 



   おり~ぶ




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野次馬しちゃって・・・ちょっとだけ恥じてます。

昨日は曇りで ちょっと涼しかったので 絶好の草取り日和。
午後から 庭に出て 
しゃがんで這いつくばって 草取り作業をしました。
雑草を抜いたり ブロック塀の際の 
芝の伸びたのを刈り取ったり 結構 頑張っておりました。

そこへ フェンス越しに 声がした。
「〇〇さん あのさぁ  △△さんちの車が 
田んぼに落っこちちゃったんですって」
「え~っ」と 立ち上がったわたし。
声の主は 斜め後ろの奥さん Aさんとします。
70代前半の方です。
△△さんちは ちょっと離れた ご近所・・・

「今 JAFの車が通ったでしょ。 きっと そこに行ったのよ。
さっき娘が帰ってくる時 田んぼ道に 車 落ちてたって
言ってたから」と Aさん。
Aさんは 娘さん家族と同居していて 
その娘さんからの情報だった。
彼女が 実際に見たわけではない出来事・・・

JAFの車!? 
あっ そういえば さっき 白と水色の車 ブ~ッと通ったわ。
黄色いレスキュー車も行ったような・・・
家の前の市道は 日曜日は あまり車が通らないから 
シーンとしてる。
だから 車の音が妙にはっきり耳に入ってきて 
思わず顔をあげて その車を見たのです。

Aさんの話を聞いて なるほど あの車 
田んぼに落ちた車をあげにいくわけかと 納得。
彼女によると 怪我人がいるかどうかはわからないらしい。
でも 救急車の音はしなかったから きっと大丈夫なんだろう。

と 話はここで終わればよかったのですが・・・

Aさんが 「ちょっと見てこない?」というから・・・
わたしも一緒に見に行っちゃったんです。
手には 芝刈りのハンディバリカンもったまま 
玄関の鍵もかけず。

「ちょっと見てこない?」と言われて 一瞬だけ迷いました。
見に行って どうするの?
わたしが 何か手伝えること あるの?
車が落ちちゃったという△△さんは 
以前引っ越してきた時に会っただけ。
町内会に入会するご挨拶に来た時だけ 
ちょっと顔を合わせただけだわ。
それに 草取り ちょうど気分がのってきたところなのよ。
「行かない」って断りたい気もち・・・

でも 
迷ったけど 行っちゃいました(>_<)
Aさんの誘いを断ることもできたんだけどねぇ。
「わたし 草取りしてるから 行けないわ」
それだけ言えばいいんだけど
それが言えなかったんですよね あんな時。

「行かない?」に 「うん 行く 行く」というばかりに
とんとんと ついていってしまう。
完璧な同調行動 とっちゃった。

行くか行かないかという選択権は 
わたしにあったんですけど
今 やっている草取りをほったらかして
わざわざ 数分かかるところまで出向くという面倒くささ
それを上回るほどの好奇心という こころの魔の手!!

それを ひとは 野次馬根性 と呼ぶのでしょう。
はたまた 見ないと損!?
怖いもの見たさ!?
物見遊山!?
のぞき趣味!?
果ては ひとの不幸は蜜の味!?

Aさんもわたしも とにかくその現場を見ていないから
見たくなっちゃったんですねぇ。
そこに行けば 
リアルタイムに ひとつの現実を見ることができる。
その 強力なこころの誘いに のっちゃったわけ。

   🍃

現場は 徒歩5分の田んぼ道
道は狭く 対向車が来たら すれ違えないようなところ。
両脇は 田んぼのあぜ道 
しかも 道路よりちょっとだけ下がったところに水田がある。
わたしも そこを通る時は 細心の注意を払います。
雨の日などは その道を避けて 別の道路を走るの。
タイヤがすべって 落っこちちゃったら大変だもの。

かの軽自動車は あぜ道につんのめっていました。
ほんの少し 車体が 水田にはまってる。
Aさんの娘さんが言っていたように 誰も乗ってはいなかった。
どうやって 車から降りたのかと不思議なほど・・・

△△さんのご主人がいて JAFのひとと話していました。
運転していたのは △△さんの奥さんだったとのこと。
幼稚園のお子さんを 後部座席に乗せていたので
その子が 座席にぶつかり あごを少しけがしてしまったらしく
奥さんは 親御さんにきてもらって その車で 
病院に連れていったということでした。
話をきいて お子さんのけがは心配だけど
おふたりとも いのちに別状なくてよかったなぁと
野次馬なりに ほっとした次第です。

JAFのひとたちが 車を引きあげる相談をして 
その作業にとりかかるのを 少し見ていました。
でも 
それをずっと見ているのも時間がもったいないなと思い
「玄関の鍵 開けたままだから 先に帰りますね」と
Aさんに告げて 駆け足で 家に戻りました。
Aさんは そのまま しばらくの間 そこにいたんだと思う。
帰るわたしに 同調しなかったから (^_-)-☆

手にはずっと 芝刈りハンディバリカンをもっていたから
そのまま 作業に戻ってもよかったんだけど・・・
ぽつり ぽつりと 雨粒が落ちてきたし
何だか 草とり気分が減退してしまって 作業は中止。
予定の範囲の半分だけしかできませんでした。

      🍃

野次馬化して 30分という時間
ちょっともったいなかったなあ。
30分 集中してやってたら 
草取り きれいに終わってたかもしれない。
そう 思うと ちびっと反省(>_<)

折しも 昨日の朝読んだ新聞のコラムに
時間のことが書いてあったんです。

時間は円環する命・・・
時間が大切なことは これからも変わりないが
お金のように大切なのではない。
命のように大切なのです。
時間は生まれ出づるもの 
私達を生かし続ける貴重な 大きな円を描く命です


このような文章を読み 
時間のとらえ方に いたく感銘を受けたのに
ちょいとばかり なさけない わたし・・・
野次馬なんかして 時間を無駄にしたようで
なおさら ちょっち 恥じてます 自分自身に。

たかが 30分じゃないかとは 思うけど
されど 30分・・・
時間は 貴重な生きものよ。
時間にいのちを吹き込むのは
他の誰でもない わたし自身なのだからね。

でも まぁね
30分の 野次馬的同調行動のおかげで
ああ わたしにも 野次馬ごころあるわぁと気づけたし
素敵に断るスキルで No と言えたらいいわねと思えたし
時間の大切さを あらためて考えることができたし
車の運転 気をつけようと実感できたし
ブログの記事も 楽しんで書けたし
そう とらえると いいことづくめではないの♪
草取りは予定通りできなかったけど
こんな時は よかったことに目を向けちゃう(^◇^)

まあ しいて言えば
野次馬ごころも 好奇心!!
老いて枯れ行く 我が身 我が脳 我がこころ
好奇心は 大事です(^_-)-☆

野次馬ごころ 恥じることなし!? 
でも やっぱり ちょっと恥じてます(>_<)

ということで 今日のお題は この辺でお開きといたします。

うっとうしい梅雨の日々・・・
あなたにとって
わたしにとって
こころ晴れるひとときが 訪れますように💛

 
    おり~ぶ




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6月も はや後半にさしかかろうとしています。
今年も 半年が過ぎようとしているんですね。
時の流れが 加齢とともに速まってきている。
そう 感じてしまうのは 気のせい?

ところで
6月になると 必ず やることがあります。
これまで やっていたことを まず ひとつ。

それは 茅の輪くぐり 
ちのわくぐり・・・
確か 昨年の6月にも ちょこっと記事にしましたが 
また書いちゃいます。

茅(かや)で編んだ こんな輪っかをくぐるんです。

茅の輪

神代の昔 須佐之男命(すさのおのみこと)が 一夜の宿を借り 
厚いもてなしを受けたお礼に 茅で作った輪を授けたら 
その家は 後の世までも栄えたという神話があるそうなの。 
そこから 茅の輪は 疫病を払うと言われているとのこと。

この輪をくぐる時には お作法があって 
左からくぐり くぐったら右に出て
また 左からくぐる つまり 八の字を描くようにくぐるの。
それを 3回。
また 輪をくぐりながら 和歌を唱えるんです。
水無月の夏越の祓する人は千年の命延ぶというなり 
(拾遺集より)
みなづきのなごしのはらいするひとは
ちとせのいのちのぶというなり

わたしは毎年くぐっているので ほぼ暗記しているかなぁ。
何も見ずに この歌を小さい声で唱えながら くぐります。
とちゅうわからなくなったら ムニャムニャとごまかしちゃう。
歌の書いてあるカードも用意されているので 
それを片手にくぐるひともいます。

この夏越の大祓式は 6月30日が本番ですが 
わたしはその日 仕事で行けないことが多いので 
毎年6月中の都合の良い日に
八幡様に詣でることにしています。

あっ そうそう
この輪くぐりと合わせて やることがあるの。 
白い紙の人形(ひとがた)に名前を書いて 
その人形で 左の胸 右の胸を触って 
最後に 名前のところに息を吹きかけます。
それを 気もちばかりの初穂料とともに納めておくと
30日のお式の時に お祓いをしてくれます。

人形を納めて 輪くぐりをしたら お守りも買います。
夏越の祓いの季節限定 茅の輪お守り
数量限定に弱いんですよ わたし。

DSC_0757.jpg

この6月の儀式 
もう10数年 やっています。
それまでは お正月に初詣に伺うぐらいでしたが 
ある時から 時々 お参りに行くようになったんです。

それは やはり 病気をしてから・・・
乳がんと分かった時 手術の前 術後の再発予防の治療・・・
その間 何度となく 八幡様を訪れました。
それは やっぱり 神頼み♡
それこそ 藁をもすがる思いですもの。
これまで それほど眼中にないこととて 
必死でおすがりいたします (^_-)-☆

わたしの場合は 初期ガンではなかったので
治療終了までは 10年間 検査と治療の繰り返しでした。
初めの頃は 3か月ごとに 検査そして治療
後に 半年 そして 一年・・・
というように 間隔は開いていきましたが
検査の度ごとに どうぞ悪い結果が出ないようにと
病院にいく前に 八幡様に寄って 
二礼二拍手一礼をリフレイン♪
お社が 病院への通り道にあるので 好都合だったの。

神道を宗教として 信仰しているわけではないけれど
そうして 八幡様に詣でることでも 
こころの安定を図ってきたように思います。
病への恐れも不安も お詣りすることで 
一瞬でも軽くなったことは 確かですから。
病に向き合う歩みの中で わたしにとっては 
必要な場だったのだと思います。

八幡様は 街中のこんもりとした森の中に 鎮座しています。
樹齢数百年という銀杏や桜 木々の間に咲くたくさんの紫陽花
こじんまりした境内に入ると そこには おごそかで清新な空気
が満ちていて とてもこころが落ち着くんです。

わたしは 今こうして生きていることができる。
そう思うと 八幡様は わたしにとって 
まさしく パワースポットといえるのかもしれません (^_-)-☆
これからも 折にふれて 八幡様のちいさな森に
こころを 休めにまいります。

    🍃

そして もうひとつ
これは 今年初めて やること。

あじさいの魔除け なの。
以前 新聞で 読んだんです。
紫陽花を 薬玉に見立てて 飾ってお祈りし 魔除けをする
そんな地域があるようなの。 

ネットで調べてみたら ありました♪
天満神社(兵庫県)のHPに 出てました。

天満神社

古来より七夕の頃に 紫陽花を軒下につるしておくと 
あじさいのもつ霊力により
その家の魔除け 厄除けができるらしい。
まだ 七夕じゃないけど 
ちょうど 我が家のガクアジサイが 咲きそろってきたところ。
切り取ってつるすのは ちょっとかわいそうな気もしましたが
あじさいの こういう愛で方も 許されるかしら。

さっそく 庭に出て お花を切って このように
準備はしたのだけれど・・・

紫陽花魔除け

これを どこにつるすかなぁ と ただ今思案中。

あじさいは 日本が原産の花。
咲きはじめから だんだん花の色が変わったり 
土壌の酸性・アルカリ性で色違いがあるからか 
頭に浮かんだ花言葉は 移り気・・・
ちょっとネガティブな花言葉としては 高慢 無情 冷淡・・・

でも 小さい花が寄り添って 
ひとつの美しい花になっているからか
仲良し 友情 家族団欒 辛抱強い愛情 謙虚 などの
ポジティブな花言葉もあるようです。
母の日には お花屋さんに カーネーションと並んで
あじさいの花がお目見えするのは 
そのポジティブな方の花言葉のおかげかな。

この6月は あじさいで 魔除け(^_-)-☆
高慢 無情 冷淡などの こころの魔が来ないように
あじさいの花を飾ります。
謙虚なこころで 友情を育み 
ひとり暮らしでも ひとり団欒できますように(^^♪
こころの魔を 追い払いますよ~

茅の輪といい あじさいといい・・・
季節の訪れを味わいながら 
厄払いや魔除けができるなんて
日本に生まれて よかったなぁ。

大いなるものに守られて
この日本の四季を 味わうことのできる暮らし

生かされていることへの感謝の思いが湧いてくる
しみじみとした 朝です 💛

  
    おり~ぶ



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