今日から また 月曜日 
しかも 7月も はや 晦日ですね。

まずは 旅の思い出から。

一泊二日の 奈良へのひとり旅。
無事に戻ってまいりました。

常磐線で東京に出て 東海道新幹線で京都へ。
またそこから 近鉄線で 奈良へ。

この旅の目的は ふたつあったの。
ひとつは 何と!! ブロ友さんと会うこと。
もうひとつは 薬師寺・食堂(じきどう)の
「阿弥陀三尊浄土図」を観ること。

     ⁂

まず ひとつめ・・・
ブロ友さん(Aさん)とお会いすることは
奈良へ行くことにしたという記事を読んでくださった
奈良在住のAさんからご連絡を頂き 
思いがけなく実現しました。

Aさんとは 昨年ブログで知り合い ブロ友になったの。
非公開コメントで 
「奈良にいらっしゃるのなら・・・」という
お誘いの言葉を頂いた時は 
もう うれしくてうれしくて 天にも昇らんぐらい♪

わたしのなかでは 「薬師寺・食堂の浄土図鑑賞」を抜いて
旅の目的 優先順位第一位になりました♪

     ⁂

Aさんとお会いしたのは 一日目の午後2時
駅の待ち合わせ場所で ドキドキしながら
初めてお会いしたAさん 年齢は 同級生・・・
彼女のブログや わたしに下さるコメントの内容・表現から
思い描いていた通りの 明るく優しい雰囲気の素敵な彼女が
そこにいらっしゃった♪

初めてなんだけれど 初めて会った感じがしない。
それぐらい 何の緊張もなく お互い自然に
挨拶を交わしたように思います。
お互い ブログでいろんなことを書いていて
読み合っているから すごく近くに感じられたのね きっと。
 
奈良の街を ゆっくり散策しながら
ブログのことやら あれこれあれこれ・・・。 
Aさんは とっても気さくで 自然体の雰囲気のひと。
わたしは すご~く こころがなごんじゃった。

それにしても 暑い日でした・・・。
水分摂りつつ 汗を拭きふき 途中 休憩もとりながら
ぐる~りと歩いて 辿り着いたのは
趣のあるホテルのラウンジでした。
そこは 知る人ぞ知る?! 素敵な場所だったの。
カフェで 涼みながら お茶して またまた おしゃべり♪
思い出のケーキとアイスティー
向こう側に 彼女のケーキ モンブランが見えます。

DSC_0855.jpg

ここでも いろいろお話して 気がついたら
午後5時を過ぎている。
また ゆっくり歩いて 興福寺の横を通って 近鉄奈良駅へ。
ここで Aさんとお別れね。
彼女もわたしも ちょっと涙目になっちゃった。
お会いできた嬉しさと 別れの寂しさが混ざって
何だか 切ないような気もちになったの。

別れがあるからこそ その出会いは輝いている。
今 こうして Aさんとのことを書きながら
彼女の 気取りのない優しい笑顔や 素敵な声・・・
そして 様々なシーンが浮かんできて
わたしも 顔がほころんでくるのを感じています。
Aさん 
楽しくうれしいひとときを ありがとうございました

   ⁂

次は ふたつめの目的。

DSC_0868.jpg

薬師寺・食堂に掲げられた日本画
田渕俊夫画伯による 阿弥陀三尊浄土図と
仏教伝来を描いた絵を観ました。

どんなの?と ご興味のある方は このサイトをご覧くださいね。
絵の写真が 見られます。
   ☟
薬師寺・食堂

実際の絵は 写真撮影禁止なので 
ここでお見せすることはできませんが
広々とした食堂の真ん中に 厳かに飾られていました。
たまたま 見学者が少なかったので
わたしは 正面に設置された椅子に座って
阿弥陀様のお顔を見上げることができたの。

ここでも 汗を拭きふきね。
とにかく どこに行っても暑い。
冷房がなく 扇風機の風だけが吹いてくる。
それでも やや汗がひくまで 
その場の雰囲気を味わいました。

わたしは 合掌して
ただただ ご尊顔を拝して そこに居させてもらいました。
それだけで こころが落ち着いてくる
そんな雰囲気をもたらす 優しいお顔の阿弥陀様でした。
仏教伝来を描いた絵も14枚 飾られていたので
ゆっくりゆっくり 鑑賞しました。
詳しい知識があれば もっと深く味わえるのになぁと
反省しきり(^_-)-☆

外に出たら 大きな植木鉢に 大賀ハスが
いくつもいくつも 咲いている。
美しい花に つぼみに 一瞬 暑さを忘れました。

DSC_0867.jpg

蓮は 泥の中から 出て 美しい花を咲かせる・・・
仏教における花は ものごとをありのままに見ることのできる
清らかなこころを表しているといいます。
う~ん わたしは 泥の中 どろどろの煩悩ばかりで
美しい花=悟りは 開けそうにもありません。

    ⁂

これで 旅の目的は ふたつ果たしました。

おまけとしては さらにふたつ。

まず 春日大社の参拝です。

DSC_0860.jpg

ここから またまた20分ぐらい 
大汗かいて玉砂利を歩いたところに ご本殿。
二礼二拍手一礼 パンパン 
その土地に行ったら やっぱり そこの神様にお詣りする。
そんなことを大切に思っているわたしです。

      *

おまけのふたつめは これです。

帰りの京都駅で 新幹線の発車を待つ間のこと。

DSC_0870.jpg

88歳の絵本作家 エリック・カールさんの原画展
駅内の美術館で開催していたので 観てきました。
エリック・カールさんは 
有名な「はらぺこあおむし」の作者です。
鮮やかな色遣いと絵本の世界を 
偶然楽しむことができて ラッキーでした♪

ついでに 駅の中 写真に収めたわ。

DSC_0874.jpg

京都駅というと この屋根が思い浮かぶんです。
今から 15年ぐらい前 母とふたりで京都の旅をしたとき
母が この 駅の景色をみて いたく感動してたの。
そんなことを思い出しながら スマホでパチリ♪

     ⁂

道中 ひとの親切にも触れましたよ。

宿の女将さんが 「薬師寺~春日大社ルートより
春日大社~薬師寺へ行きなさい その方が無駄がない」
と教えてくれたり・・・
近鉄で 駅員さんが 特急券の買い方を教えてくれながら
結局 機械の操作 やってくれちゃったり・・・
近鉄の運転手さんに 「この電車 薬師寺にいきますか?」と
聞いたら 「大和西大寺で乗り換えて 云々」と
教えてくれたので 座席に座って 発車を待っていたら 
乗換時の 正確な時刻と番線を教えにきてくれたり・・・ 
すごうく うれしかったわね。
なんか ひとの温かみを感じました。
関東から来てる ようわからんおばさんを 
助けてくれて ありがとうございました 

     ⁂

ということで 
少々 行き当たりばったりなひとり旅を終えて
今日から また 一週間が始まりました。

非日常から 日常へ。

明日から 8月・・・
この日常の中で
小さな 小さな わたしのドラマ 
また 見つけていこう 


       ✎ おり~ぶ



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本日は 旅に出ております。
奈良 薬師寺へ・・・

最近は毎日投稿していたので
ブログをお休みするのはしのびなく
予約投稿にて
記事をアップすることにいたしました。

2年前の 2015年10月に 
通信エッセイ教室に提出したエッセイ ✎
読んで頂けると とってもうれしいです。

     ⁂

題して

「おひとりさまなんです」

「ご家族は?」と聞かれたら 「おひとりさまなんです」と
答えるようにしている。
夫とは 三十代後半で死別して 子供はいない。
「ご主人は?」「お子さんは?」と聞かれることもあるが 
これらの質問をされると困ってしまう。
それは 答えに窮するというよりは
ないないづくしの返答を聞いた人が
「あっ それは失礼しました」などと言ったり
とんでもない事を聞いてしまったというような表情をしたりして
私に気を使うからである。

その点 「おひとりさま」という言葉は 
かなり 市民権を得ているようだ。
質問した人の反応は
「あっ それはそれは・・・」と 平静を装うか
「えっ そうなんですか?」と驚くか
そのいずれかといっても 過言ではない。
相手の反応次第で
自分が話したければ その理由を説明できるし
それだけでも家族構成を伝えられるので
私にとっては便利な言葉である。

しかし シニアのちょっとした集まりなどで 
おひとりさまと伝えると
「あら おひとりさまって 自由でいいわね。
でも 老後は寂しいんじゃないの?」などと言われることもある。
おひとりさまは 世間的には わずかな羨望と
大いなる同情 かつ哀れみを寄せられる対象らしい。

世帯主は本人 家族も本人のみということに慣れてきたものの
好んでそうなったわけでもない。
しかし 再婚して家族をもつことは あまり考えなかったから
ひとりで歩むことが 苦ではなかったのだろう。
もちろん 自ら決めてひとりで行動することに 
不安を感じた時もあった。
しかし 暮らし全般のことを決断し 
いろいろと実行せざるを得なかったのだ。 
家族のいないことなど嘆いている心の余裕は 
ほとんどなかったともいえる。

もっとも 今は ひとりの暮らしに喜びを見つけ 
孤独の時間を 楽しむすべも身についてきた。
私にとっては 大変好ましい状況といえる。
と このように書くと 
まるで 自由な暮らしを満喫しているように思われるが 
実は そうでない時もある。 

何らかの書類に家族欄があって 
ひとつの欄にだけ 氏名を書き 本人と記入する。  
普段はそれほど意識していないことだが 
改めて書面上で文字にすると 否が応でも
おひとりさまを意識させられる。
思いがけなく 寂しい感じを覚えたりするものだ。

四十代半ばで 乳がんと診断された時も 
ひとりで 告知を聞いた。
手術することになった時 医師が 
家族同席で説明をしたいと言う。
当然 自分だけで聞くつもりだったが 
家族の同意書が必要だから 本人だけでは駄目なのだ。
仕方がないから 兄と義姉に来てもらった。
「ひとりなんです。ひとりでも大丈夫です」と言い張っても
通用しないこともあるのだということを 
その時 初めて体験した。

しかし この時は 身内のありがたみも知った。
ひとりでできるという思いをもっていたとしても
意地を張らず
甘えたい時は 甘えてもいいのだと 素直に思えた。
入院中や退院時は 兄や義姉 姪が
何かと手伝ってくれたからである。
私も 一族の中で生きているのだと 
あらためて 実感できた出来事だった。

長年のひとり暮らしに変化があったのは
母と暮らした時である。
高齢になり 見守りが必要になったので
我が家にきてもらうことになり
約一年七か月余りの間 母が亡くなるまで同居した。

この間は 久しぶりに 家族というものを存分に味わった。
それまでは 自分だけの時間を自由に過ごしてきていたから 
多少窮屈に感じることはあったが 家族として共にいることの
安らいだ気持ちが とても新鮮に感じられた。
自分を待ってくれている人のいる家に 帰るうれしさ。

ひとつ屋根の下で 娘として 
最も身近な家族に甘え 甘えられる時間。
朝・昼・晩 そして 春・夏・秋・冬をともに過ごしている
それだからこそのエピソードの数々・・・。
もし その時 「ご家族は?」と尋ねられたら もちろん
「母と二人です」と 堂々と答えただろう。
ひとり暮らしだった私の 家族生活のハイライトとして
忘れられないひとときだった。

これからも 私の家族欄は おひとりさまである。
やがて 「おひとりさまなんです」などと 
にこやかに話してはいられなくなる 
予測不可能な出来事が 待ち受けていることだろう。
老いは 確実にやってきている。
せめて 私のせいで 
親族を揺るがすような事態にはしたくない。
日々健康に留意し 
終活とやらも心がけたいとは思うが 
どうなることやら・・・。

    ⁂

以上です。
読んで下さって ありがとうございました。

ふたたび読み返しても 同じ思い・・・

はてさて どうなることやら
おひとりさまの 老後 


   おり~ぶ
 


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唐突ですが
縁起物・・・招福 & 厄除けの置物について 
書こうと思います。

たまたま気になったものがあって
それを見てみたら ほこりがついてたので
きれいにしてあげました。

ついでに 家の中にある 縁起ものの置物も
拭き拭きしたので 写真をとってみたの。
それだけの話で すみません。

まず これです。

DSC_0847.jpg

これは 手ぬぐいなんです。
何と 4つの目の招き猫!!

実は わたし 結婚生活をしていたのは
千葉県の銚子 お魚が美味しいところです🐟
これは 4~5年前 
亡き夫とわたしの 共通の友人宅にうかがった時
頂いたものなの。
彼の家は 商売をしているので 手ぬぐいの端っこに
屋号が 記してあります。

額に入れて飾ろうと思ってのですが
4つのおめめ👀がこわいので!? 
見えないところに飾りました。
それじゃ 飾ったことにならないわね(^_-)-☆

場所は 玄関の靴箱(背が高いもの)の上・・・
天上を向けて 広げてあるから ふだんは見えてない。
大掃除の時は 忘れずに ほこりを払って整えます。

なぜ 今頃 この手ぬぐいを思い出したかというと
先日 何気なく TV・BSをかけたら
タレントさんが 銚子の旅をしていたの。
ローカル線で巡る 懐かしい場所やお店が
たくさん映されていて 最後まで
ふんふん ウキウキ 見ちゃいました。

昨年は お墓参りに行かなかったから
しばらく 銚子にいってないなぁと考えていたら
ふと 思い出した。
友人にもらった 招き猫の手ぬぐい・・・
それで 靴箱の上から下ろしたわけです。

手ぬぐいの濃い藍色がくっきりとしていて
安心しました。
4つのおめめ 計12個の目・・・
相変わらず わたしには こわ~い。

    ⁂

次に きれいにしたのが これ♪

DSC_0848.jpg

これは 張り子の招き猫
この家をつくった時に 東京の張り子専門店から
ネット購入したもの。
これも 玄関に飾ってあります。

白い招き猫は 福を招き 赤い招き猫は 病を除ける
と いわれているそうな・・・
右手を挙げているのは お金を招き
左手をあげているのは ひとを招くそうな・・・
まあ 諸説あると思いますが
病を除けるから 赤い招き猫だわと 選んだような記憶あり。
大病して2年後だったから
お願いだから 転移・再発しませんように・・・
そんな思いは 強かったわね。 
当時も そして 今も。

     ⁂

次は これです。
北海道に旅行した友達からの お土産の頂きもの。

DSC_0849.jpg

猫ちゃんが 鈴を抱いて 台の上で丸まってる。
台には Lucy cat って書いてあります。
幸運の猫 木彫りの猫よ。
台の裏側に 製作者の名前が書いてあるんですが
これが 何と わたしの姓と同じなんです。
なんか ご縁があったのでしょうか。
これも きれいに拭いてあげました。

     ⁂

そして これ・・・ちっちゃすぎる カエルくん

DSC_0851.jpg

「無事かえる」とかいうでしょ。
カエルくんも 縁起もの♪
ほこりを拭きながら なでなでしておきました。

     ⁂

ということで
わが家の招福・厄除けの縁起ものを整えましたところで
わたしは 本日から 1泊2日の旅に出かけます。
もちのろんろん ひとり旅
楽しい旅をして また 戻ってこれますように
無事帰るの カエルくん よろしくね。

     ⁂

それでは
あなたにとっても
わたしにとっても
happyな週末でありますように ♡


      おり~ぶ



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ぐんぐん 伸びる 何が伸びる?

それはね・・・朝顔のつる

6月の初め頃にタネを蒔いた朝顔が
蔓をぐんぐん 伸ばしています。

7月の初めには こんなでした。
   (7月1日の記事内に掲載)

DSC_0791.jpg

それが 今は ここまで伸びてます。
玄関わきの小さな窓の柵に からまってくれました。

DSC_0843.jpg

いつもの夏は ここに すだれをかけてるんです。
東側なので 朝の陽ざしが強いの。
でも 今年は 朝顔で覆ってしまおうという魂胆。

ところで この朝顔は ご近所から頂いた朝顔
どんな色の花だったか忘れてます。
だから だから 咲くのが楽しみです。
     
       ⁂    

わたしの庭には 他に 2種類の朝顔が育ってます。
育ち方は やや遅い。
というか タネを蒔いた時に 
土に栄養がなかったみたいなんです。
土づくりをはしょっちゃったから
あまり 育ってない ごめんなさい。
お向かいの家では 
フェンスに 色とりどりの朝顔が 咲き出しています。
ちなみに そこのご主人が 大の花好き。

わが家は まだまだ。
双葉が出てからは せっせと肥料 あげてます。
そのうち 咲いてくれるでしょう。
よく母が言ってました。
「タネを遅くまけば 遅くまで花が楽しめるよ」
そうね きっと そうね♪

     ⁂

2種類の朝顔のうち
ひとつは こんな感じです。

DSC_0838.jpg

この 朝顔は 母の形見の朝顔です。
母がタネを蒔いて 咲かせた花だから 形見・・・
毎年 タネをとっておくの。
ちょっと ひょろひょろしてるけど
最近 やっと フェンスにからまってくれました。
南側の一番 日当たりがいいところ。

     ⁂

もうひとつは こんな感じで 
やっと 本葉が大きくなってきたところ。

DSC_0845.jpg

この朝顔は 散歩道で見つけたもの。
その狭い道の左側に 花いっぱいの家があるのだけど
可愛い小さな朝顔が咲いていたの。
いつもそこの道を通るので 楽しませてもらってました。

そして 昨年 見つけちゃった。
何と 同じ朝顔が 
道の右側にある ツツジの枝に絡まって
咲いているじゃないの。
白い色にポチッと赤い模様のある朝顔
コンクリートの道路なんだけど 端っこに土が残ってて
そこに ドウダンツツジが3本植わってる。

そのツツジは 誰んちのものかは不明(''_'')
右側の家のツツジ?というふうでもない感じ。
田舎って どこからが誰の土地?って 
一見わからないような土地があるんですよ。
・・・というのをいいわけにして
ツツジにからまった朝顔のタネ
わたしが 一個 頂いちゃったわけ。
花泥棒に罪はない・・・なんて うそぶいて。

それにしても 花のタネ
はじけて そこまで飛んだのかしら。
道の幅は 2メートル位。
タネにいのちあり タネに 力あり♪

     ⁂

ということで 計3種類の朝顔の蔓が
ぐんぐん 伸びているというお話でした。

あさがおも
それぞれ 葉っぱの色や形も 微妙に異なりますね。
もちろん花の色も その名前も違います。
伸び方だって 違います。
あさがおも ひととおんなじね。
それぞれに 個性あり。

ところで
こんな詩をご紹介♪

あさがお
      星野 富弘

一本の茎が
一本の棒を登っていく
棒の先には 夏の空
私もあんなふうに 登っていきたい


    ⁂

朝顔の蔓よ
伸びて伸びて ぐんぐんと
上へ 上へ
そして
前へ 前へ

わたしも 
伸びていきたい
前へ  ♡


    おり~ぶ



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今朝は 4時半に目が覚めてしまった。
ええい 起きてしまえと そのままベッドから離れました。

外は 薄明の頃
近くの林から
セミの鳴き声がきこえます。

カナカナカナカナ

わたしは カナカナゼミと呼んでいますが
「日暮らし」ともいいますね。
一日の中で 朝と夕方の短い時間帯だけ 鳴いています。
日の出前 日の入り前に鳴くから 日暮らし・・・かな。

カナカナカナカナ・・・夏の音

ふと こどもの頃のことが思い出されました。
50年以上も前のこと。

その頃 わたしの家(実家)は 林の中にあったの。
夏になると 父が 
木々に囲まれた暮らしならではの
あるものを作ってくれたんです。

それは・・・何と言ったらいいのだろう?
今でいうと ツリーハウス?
ハウスとはいえない ツリー縁台というところでしょうか。

こんなイメージ。

DSC_0837_20170727080523b2b.jpg

4本の杉の木が ちょうどよく並んでいたのね きっと。
そこに 何かしら工夫をして
厚い板の台を取り付けたくれたの。
板は 頑丈なロープでくくりつけられていて
こどもが2~3人乗っても 大丈夫🎶

高さは どのくらいだったんだろう?
地面から 1メートルぐらいかな。
たいした高さではなかったけれど
子どものわたしには 宙に浮いているようなその場所が
特別な場所でした。
約2メートル弱四方の板・・・
わたしは そこを「舞台」って 呼んでたの。
夏休みになると 父に
「父さん 舞台 はやく作って~」とせがんでました。

台の上に ゴザを敷いてくれたから
そこで寝っ転がったり 漫画本を読んだりしてた。
座布団を枕がわりにしたり
蚊がいたりするので
蚊取り線香をつけたこともあったわね。

野外ですから 風が通るでしょ。
木々の緑の間をぬってくる風が 
そこだけは 特別に涼しい気がして 
夏休みは そこに入り浸り・・・というときもあったわ。

少し薄暗くなってくる時間帯に
そこにいると
カナカナカナカナと 日暮らしの声がする。
その舞台での 今日の時間が終わる・・・ 
そんな合図に聞こえたものです。

中学生になる前に そのツリー舞台はなくなったかな。
兄たちは もう こどもじゃない年齢になっていたし
わたしも 夏休みは 部活部活で
小学生の頃のようには 遊んでいられなかった。

ただ 大人になって
その4本の木を見るたびに
「ああ ここに 父さんが舞台を作ってくれたんだな」
と 思い出していたわ。
そんな父とは
わたしが高校に入学する直前の春休みに 
脳疾患による ほぼ突然のお別れをしたんです。
ツリー舞台を作ってくれる 優しく 器用な父でした。

      🌻

カナカナカナカナ
セミの鳴き声をきいて 遠い昔を思い出してしまった。

セミは 幼虫として 地中で数年を過ごした後
地上に出てきて木に登り 脱皮して成虫になるんでしょ。
地上で生きるのは 2~3週間といわれています。

そんなセミの一生に比べたら
わたし 申しわけないほど 長生きしてますね。
50年以上も前の思い出を 綴ったりして・・・

     🌻

さて そろそろ 朝歩きにいこうかしら。
実は この記事
カナカナカナをききながら 早朝に書いています。
でも 今は もう カナカナカナはきこえない・・・
カラスと山鳩の声 遠くの車の音だけ。

予約投稿に設定してから 
田んぼ道をひとまわりしてこよう。

セミのごとく

わたしの夏を 
精一杯生きようっと 
 

     おり~ぶ




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昨日は 隣市での仕事
午後5時過ぎには 職場を出られたので ラッキー♪

早く帰れる日は やっぱりうれしいなぁ。
まだまだ 陽も高いから 
どこか 寄り道しちゃおう 道草しちゃおう。
そう 思って お気に入りのカフェへ。

夕食は家でと 思っていたし 
それほど 空腹でもなかったから
ハーブティーだけ 頂くことにしました。

このお店は 珈琲専門店で有名なところなのに
コーヒーは頼まない わたし。
お店のたたずまいや雰囲気が好きなので 
たまに お立ち寄り♪

店の片隅の 小さなテーブル
空いていれば 店の隅っこに席をとっちゃうんです。
なぜか 落ち着くんですよ 隅っこ。

運ばれてきた ハーブティー
たっぷり入っているティーポット ありがとう♪

DSC_0577.jpg

どうして この席に座ったかというと
隅っこというのもあるけど
写真に写っている ステンドグラスのスタンドランプ
それが 目にとまったの。
ステンドグラスのスタンドランプ・・・って 
何だか ことば遊びみたいね。

そのステンドグラス 素敵だなって思った。
ぶどうの実と葉っぱのモチーフ。
着席した時は 電気がついていなかったので
自分で ONしちゃいました。
その灯りを見ながら ティーを待ってたの。
ほんのりと 優しいひかりです。

灯りを見ながら ゆっくり ティーを飲んでいたら
ある言葉が 頭に浮かびました。
それはね
一隅を照らす」という言葉・・・
スタンドの灯りから 連想したんです。
好きな言葉のひとつなの。

昨年 9月の記事で この言葉について書きながら
わたしの 過去のつまづきの一部分も
お披露目してます。
その記事の中では 特に
センセーショナルな出来事は書かれていませんが
それもまた わたしの来し方の一端です。
未読で お時間の許す方は よろしかったら ぜひぜひ♪
    ☟
ささやかな灯りをともし続ける。

一隅を照らす・・・
自分が今いる場所や立場で 
自分なりのベストを尽くしながら生きて・・・
世の中の片隅で ちいさな灯りをともし続ける。

この言葉は 今は亡きシスター 渡辺和子さんの
置かれた場所で咲きなさい」という言葉にも
通じるところがあるなぁと いつも思います。

自分の置かれた状況が どんなに逆境であっても
その置かれた場所で 根を張る努力をする。
いつか 根は伸び そして 花を咲かせることができる。

自分の人生も 大波小波 いろいろありました。
おそらくは 多くの方がそうであるように
まさしく 逆境・・・も いくつか経験してきています。
そして その中で 出会った言葉に 
今まで ずっと支えられてきているの。

ほのかな光でも 一隅を照らす  
そんな小さな灯りになりたい。
置かれた場所で精一杯咲く 
そんなちっちゃな花になりたい。

スタンドライトの灯りのしたで ティーを頂きながら
そんな思いを あらためて 思い起こしました。

     🌻

ところで
もし 昨日 
カフェに寄ろうなんていう道草をしなかったら
とりたてて それらの言葉が 
クローズアップされることはなかったかもしれません。
自分のなかに いつもひっそりと横たわって居る言葉では
あるけれど 時には こうしてスポットライトをあてて
ほこりをかぶらないようにしてあげなくてはね。

道草って 寄り道って 大事だわ。
遠い昔 学校の帰りに よく道草して 
クローバーを摘んで編んでたりしていたら 
母に叱られたことがあったっけ。
「道草しないで 暗くならないうちに帰ってきな」って。
でも 道草は 無駄じゃあ ないのよ。
道草こそ 楽しいんだから♪

それにね
もし わたしが ブログを書いていなかったら
・・・カフェでお茶を飲みながら 
「一隅を照らす」という言葉を思い出した・・・
と 日記に書く それだけで終わることかもしれない。

でも 「ああ この言葉 以前記事に書いていたわ」と
思い出して その過去記事を読んでみたら
また そこに気づきが生まれるのよね。

自分が書いていた内容や 書いた時の思いを
再び読み返すことで 
あらためて 自分の生きる信条を再確認できる。
初心に戻り リフレッシュできるという感じ。

そして また そのことを記事に書いてみようかなと
思って 今 書いているわけなのです。
書くことで ますます リフレッシュして 
前に進もう。
再スタートって感じ。
ブログを書いていてよかったなぁ。
本気(マジ)で そう思いました。

とういうことで
自分にとって大事なことを
道草で
ブログで
再確認できました。

道草って いいね♪
ブログって いいね♪

       ♡ 


     おり~ぶ



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昨日は 叔母の施設への訪問日でした。
毎週月曜日の午前中 ほんの少しの時間ですが
顔を見に行きます。

叔母のことは これまでに4回記事にしています。
最近のだと 6月に。
未読で お時間の許す方は よろしかったら ぜひぜひ♪
  ☟
叔母を通してあらためて知った尊厳

それでね 
まず 話は 一昨日のことにさかのぼります。
つまり 日曜日の夕方近く
施設から 電話があったんです。
ドキッとしながら スマホをとると
「お伝えしたいことがありまして」と スタッフの声・・・
おそるおそる 「何でしょうか?」と 声が少し震えちゃう。

こんなお話でした。
昼食後 部屋に戻って横になる時のこと
要介護5なので 全介助で 車いすからベッドへ。
スタッフが 叔母の身体をベッドに寝かせて
タオルケットをかけて ベッド周りを整えて
それでは・・・と部屋を出ようとした時
叔母の顔が真っ青になっていた!!
ハッとして 名前を呼んだが返事がない
意識がない状態!!
しかも 無呼吸が 数十秒? 
別のスタッフが 急いで 看護師さんを呼びに行き
部屋に到着した時には・・・
叔母の意識は 戻っていて 声掛けに返事をしたそうです。
血圧を測り 血液中の酸素濃度を測ったら
ほぼ 普段通りになっていたとのこと。
顔色も戻り 会話ができるようになったので
医師の往診も依頼しなかったらしい。

わたしは 話を聞きながら
今すぐ出向いた方がいいのかと思い 聞いてみた。
すると スタッフからは
「今は 落ち着いて眠っていらっしゃるので
すぐにいらっしゃらなくても大丈夫かと思います。
とりあえず お伝えしておいた方がいいかと思い
お電話を差し上げました」とのこと。

わたしは 絵本セラピーから 戻ったばかりで
少々疲れていたこともあり
その言葉に 素直に従った。
今 急を要する状態というわけではなさそうだからと
この時は 
すぐ 施設に駆けつけることはしませんでした。

      🌻

実は 数年前も 同じようなことがあったんです。
叔母が 突然 意識消失してしまったこと・・・
この時は 叔母が千葉の施設に居る時。
叔母の姉である わたしの母が まだ存命の頃。

そのころ 叔母は病院に通院していて
その通院先の病院で 意識消失したらしい。
この時も 原因は不明。
同行していたのは 施設の看護師さんだったんですが
医師に 家族を呼んだ方がいいと言われたのか
そうでないのか
わたしのところに電話がかかってきたの。
たまたま 母と家にいた 午前中のこと。

「すぐこちらに向かってほしい」とのことだったので
急ぎ 母を義姉宅に連れて行きました。
母もひとりでお留守番は 心細いでしょ。
今夜は母のこと お願いしますと頼んで
わたしひとり 千葉に向かいました。
帰りが遅くなるか それとも 帰れないか・・・
そんな緊迫感があったんです。

ところが 電車で向かっている途中
その看護師さんから 
「意識が回復されたので 今日は おいで頂かなくても
大丈夫かと思います」との連絡あり。
「えーっ もう向かってるんだけどぉ」って感じです。
看護師さんは 平謝りでしたよ。
その時が 初めての意識消失だったらしいです。
それで慌てて 「すぐ来て」コールになったのかな??

でも その日 病院に出向いたことは正解でした。
持病が悪化していて そのまま入院になったので
タイミングよく 家族の同意書 書いてきました。

入院の手続きを済ませて 部屋に行くと
叔母は力ない表情ながら けろっとしています。
意識消失する直前までは 覚えてたけど
そのあとは・・・? 当然よね。

そんなことも ありました。
あの頃は 何度か 千葉に通いましたっけ。

   🌻

そして 昨日・・・

ともかく 
呼吸も意識も戻って 落ち着いているとのことなので
昨日の訪問は 普段通りの時刻に出向きました。

叔母は 臥床し 目をつむっていました。
顔色も悪くない。

スタッフに聞くと 朝食も普段通りの量を摂ったとのこと。
以前に比べたら だいぶ量は減っているみたいだけど。
でも 途中までは 自分の手でスプーンを使って
疲れたら スタッフに介助してもらう。
相変わらず 頑張り屋の叔母・・・

声をかけると 薄目を開けた。
「ミツさん 息吹き返してよかったね」というと
「うん?」という感じの 少々怪訝な表情。
「覚えてないの?」
「何を?」
・・・・・・・
あえて伝えることもないか 
本人が覚えていないんだものと思い
「よかった よかった」とだけ 言うと
彼女は なんのこっちゃという感じで 目を閉じた。

ベッドサイドで 叔母の顔をまじまじと見ていたら
鼻が丸いところとか 額が広いところとか
母に似ているなあと あらためて思いました。
やっぱり 姉妹よね・・・

わたしは だんだん母に似てきたといわれるし
自分でも そう思ってる。
ということは 
わたしは 叔母にも似ているということね。

そんなことを考えながら じっと見ていると
寝息を立て始めている。

最近は とみに毒舌も聞かれなくなり 寂しい限り。
痰もたびたびからむし 食事中もむせている。
窒息などの危険は大と スタッフからもいわれてます。
からだの中だって 
きっと いろんなところが弱ってきてる。
それこそ 明日をも知れぬいのち・・・
叔母自身が 一番それを感じてるんだと思うけど
どうしてあげることもできない。

でも・・・
叔母が生きていてくれる それだけで
わたしも励まされているのです。

そこに 生きていてくれる
そこに 居てくれる

息を吹き返してくれた叔母に
とりあえず ほっ 


   おり~ぶ



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今日は 今朝読んだ ある新聞記事から
感じたことを書こうと思います。

それがね・・・ 今朝の新聞ではないの。
昨日の新聞を 今朝 読んだ( ˘ω˘ ) 

昨日は 朝はやくブログを書いてから 
絵本セラピーの準備をしていたら 新聞読むの忘れちゃった。
というより 慌ただしくて 時間がなかった。
昼過ぎに 絵本セラピーのため隣市に行って・・・
セラピーを終えて帰宅しても いろいろあって・・・
昨日の新聞 今朝読むことになった次第です。

読まないともったいないような気がして 手にとったら
第一面に 書かれていた言葉 それは

「生きていてよい それが人権なんだ」

この新聞 こういうテーマの記事 第一面に出してくるから
何となく 好きなんですよ。

その記事は 
神奈川の知的障害のある方の施設で起きた
19人が亡くなられた痛ましい事件に関連したもの。
もうすぐ一年になるんですね。

新聞社に届いた 事件の被告からの手紙には
障害のある人は不幸だから安楽死させるべきなどという
差別的な意見が述べられていて 
反省の言葉は 全くないそうです。

自らも障害があり 障害者支援に取り組む専門家の方
お二人が その手紙を読んだ感想を述べておられる。
大学の先生をしている 熊谷晋一郎さんと
NPOで障害のある方の支援活動をしている 海老原宏美さん

熊谷さんは言う。
「価値があろうがなかろうが生きていてよい。
それが人権なんだと認めあえる社会にしなくてはいけない」


このように 述べながら
自分勝手な線引きで人を評価する考え方は
被告だけにとどまらないのではないかと危惧の思いも
吐露されている。

海老原さんは言う。
「世話をされないと生きていけない人は世の中にいらない
そうなりたくないと考える人はたくさんいる。
・・・自分が障害者でなくてよかったと
多くの人が感じているのであれば 亡くなった十九人は
浮かばれない」


彼女は 被告と同じような考えをしている人が
社会に潜んでいるのではないかと憂慮しているのだ。

わたしは このお二人の言葉を読んで
はたして 自分は どうかと 胸に手を当てた。

職業柄 精神的な障害のある方々と
かかわらせて頂いた経験もあるし
仕事上 傾聴という基本スキルの上でも
そのひとをあれこれ評価しないというスタンス。 
まずは ニュートラルな立ち位置を意識しているので
自分の中には 差別的な意識はないつもり・・・。
あくまで ひとりの人間として向き合う。
そこに 障害の有無という ものさしはない。

でも 本当にそうかと問われると はたと考え込む
そんな感じもあります。
障害の有無というようなこと以外の場面では
自分勝手なものさしで 
他者を見てしまうというようなことは あるような気がする。

ただ これまでずっと
生きているだけで価値がある
そんなふうに思って 生きてきてはいるのです。

ひとは 誰でも 価値のある人間で
生きている価値のないひとなどいない。
価値のある人間と 価値のない人間などという
見方は これまでだって してこなかった。
・・・と思う。

だから 2月の新聞記事で
先ほどの海老原さんが
新聞に寄稿したという文章を読んだ時も
「ああ そうよ まさしくそうよ」と思いました。
そこには こう書いてある。

価値を創り出すという能力は 唯一
人間にのみ与えられている。
そう 考える時 
ただ そこに静かに存在するだけの人間に
その尊厳を見いだすことも 人間だからできること。


海老原さんご自身 難病による重度障害を抱えながら
障害のある方の自立を支える活動をしているのです。
彼女の言葉が
くさびのように わたしのこころに打ち込まれた。

生きていてよい。
どんなひとでも どのようになっても 
生きていてよい。
たとえ 障害のあるひとであっても
そうでなくても なんら変わることはない。
それが 人権というもの。

    🌻

ところで
数年前のことになりますが
某大学の死生学講座に通ったことがあります。
その時のレクチャーで
こころに残っている言葉があるの。

その時のテーマは
できることがなくなっていく私を いかに肯定するか
哲学が専門だった その教授が言われた。

居ることはできる。
居るのは 人々の輪の中にいるということ。
周囲の人から肯定され 受容せられること。
私にできる社会貢献は 堂々と皆に世話をかけ
社会的資源にたより そのようにして 私たちの社会が
「誰一人を切り捨てず 仲間として支える」社会であることを
身をもって示すことである。
そのように理解すべし。


わたしは これを聞いた時 目からうろこでした。
特に 私にできる社会貢献~ というところ。

こんな切り口があったのかという驚き。
どんなひとでも どんなふうになっても
そこに 居る そこに 生きることで
生きる姿をありのまま見せていくことで
それが 社会貢献になっていく というところ。

人間の社会は 人間の生きる姿から 変わっていく。
そのひとの生きる姿が
社会のシステムをより良い方向に変えていく
そんなことが 起こってくるでしょ 実際に。

生きているだけで 価値がある・・・
そんな漠然とした思いに 
はっきりとした道筋ができたような気がして
忘れられない言葉になっています。

わたしだって やがて 
世話をされなければ生きていけない・・・
そんな状態になるかもしれません。
病気で寝たきりになるかもしれないし
老いてからだが弱ったり
認知症になったりして
ひとの手を借りないといけなくなる。
そんなことが 徐々に現実味を帯びている年代に
さしかかっているのです。

そうなった時 わたしは 生きる価値がないひとなの?
そうじゃない 断じて。

わたしは 究極の自己肯定で
堂々とお世話になろう そう思ってます。
からだもあたまも どよどよになっても
「ああ わたしは何の役にも立たなくて 
無価値な人間になり果てた~」など
嘆きすぎないようにしたいわ。
だって 生きてるだけで 価値があるの。
そのわたしのいのちの尊厳を 見いだしてくれるひとが
かならずいてくれることを信じて
「ありがとう ありがとう」といって お世話になろう 潔く。

     🌻

ふうっ 何だか 一気に書いてしまった。
少々 まじめなこと。

ところで こんな詩も あるの。

ぼくが ここに
         まど みちお

ぼくが ここに いるとき
ほかの どんなものも
ぼくに かさなって
ここに いることは できない

もしも ゾウが ここに いるならば
そのゾウだけ
マメがいるならば
その一つぶの マメだけしか
ここに いることは できない

ああ このちきゅうの うえでは
こんなに だいじに
まもられているのだ
どんなものが どんなところに
いるときにも
その「いること」こそが
なににも まして
すばらしいこと として


そこに居ること 生きること
それこそが すばらしいこと
価値あること
わたしは そんなふうに この詩を受け取っています。

    🌻

みんな みんな 生きててよい
障害があってもなくても 同じです。
みんなみんな 生きててよい
それが 人権♪

昨日の絵本セラピーで読んだ絵本
「いいから いいから」の 超ポジティブおじいちゃんも
きっと 言うと思う。

誰だって どんなふうだって
そこに居ていいよ 生きてていいよ。
いいから いいから♪
生きてるだけで 価値があるのさ。

ひとりひとりのそんな思いが
生きづらい社会を 少しずつ変えていけるといいな。

誰だって どんなひとだって
生きてるだけで 価値がある。
そのことを 忘れない ♡


   おり~ぶ



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昨日は 何かと慌ただしい時間を過ごしました。
朗読スタジオから 美容室へと
車の移動が多かったの。

その運転中 目にとまった言葉から あることを考えました。
それを書こうと思います。

    ✎

運転していると
前を行く車のリアウインドウ(後ろのガラス)が
どうしたって 目に入ってきます。

その車は バンタイプで どこかの会社の車らしい。
会社名なのかしら?
こんな文字が書いてあったの。

「流流幸運」

何と 読むの?
りゅうりゅうこううん?

会社名ではなさそうだわ。
だって よく見ると
ウインドウの上の方に 会社名が書いてある。
ただ 会社名からは 何の会社かわかりません。

流流幸運・・・
おそらく キャッチフレーズなんでしょう。
りゅうりゅうこううん
物流の会社? 幸せを運ぶ運送会社・・・みたいなこと?

そんなことを考えながら走っていたら
赤信号でとまったの。
あらためてじ~っと 見たら
流流の上に 英数字で読み方が書いてあった。
書いてあったのは・・・ Ryuー 2
つまり りゅうつう
流(りゅう)が二つ並べてあるから りゅう2➡りゅうつう
流流と書いて りゅうつう・・・

なぁんだ と へぇ~が 同時にきた。
なぁんだ そういうことか。
へぇ~ よく考えたこと。 

でも 幸運が流れちゃうって感じで
どことなく こころもとないような言葉のような気がした。
申しわけないけど・・・。
りゅう2というのは 面白いなと思ったけどね。

一生懸命 考えたんだろうな。
どうしたら インパクト与えられるかってね。
確かに 後ろから行く わたしの目 釘付けになりましたから
ひとの目をひくという 「流流幸運」の初期の目的は
何とか 達成されてます。

     ✐

ところで
この漢字だけの言葉で
思い出したことが あります。

それは 以前宿泊した ビジネスホテルでのこと。
研修会に参加した時の 千葉のホテルだったかな。
エレベーターに乗ったら
こう書いたプレートが 掲げてあったの。

「撮影中請微笑」

わたし その言葉を初めて見たので
何のこと?と びっくりしました。
漢字だけだから 中国語?
それって どんな意味?

そして 気がついた。
ああ 防犯カメラ撮影中っていうこと?
わたし 思わず ほほえんじゃった。
それこそ 微笑♪

「撮影中ですから どうぞ 微笑んで下さい」
という 意味ですよね。
でも その優しい言い回しの裏には
「しっかり監視してるゾ」という警告のメッセージが
あるのです。

監視カメラがあると告げて 犯罪を抑止する。
そんな本来の目的を ストレートに言わずに
こういう形で表現してあったわけ。
わたしは それを 好意的に受け止めて
ユーモアだわと感じたので
思わず こころが和んで 微笑んでしまった次第。

この 「撮影中請微笑」という言葉
あとで調べたら 
台湾などでは よく使われているそうです。
行ったことがないので 確認したわけではありません。
ネットには この言葉を掲げてあるところの写真あり。

日本では どうかしら。
「監視カメラ稼働中」
「防犯カメラ作動中」ぐらいしか 
目にしたことがないような気がします。
わかりやすい表現ではありますね。
ちょいとひねりがある表現を・・・といっても 難しそう。
やはり ずばり そのまんまが
最も有効な伝え方かもしれません この場合。

警告や注意喚起したいことを
ストレートに表現するか
ジョークやユーモアで表現するか
どちらが効果的かは 難しいところでしょうね。
内容が 社会の秩序にかかわることですから
真面目に正面から伝えた方が いいような気もするし・・・
でも
伝える側も それを受け取る側も
そのユーモアに クスッと笑えるような
こころの余裕のもてる社会であってもほしいし・・・
むむむ むずかしい。

      ✏

ものの言い方 伝え方ひとつで
何かが ちょこっと変わるということもありますよ。

例えば
モラルやエチケットの面でも
伝え方ひとつで 受ける感じが違ってきます。

ちょっとしたカフェや 公民館のトイレなどで見かけた
こんな張り紙を思い出しました。

「汚さないで」という 禁止でもなく
「きれいに使って下さい」という お願いでもなく
「きれいに使ってくれて ありがとう」という 感謝の言葉。

先にお礼を言われちゃうと
汚さないように きれいに使おうかっていう気になるから
不思議です。

     🌻

ものの言い方 伝え方ひとつで
ひとのこころは 動かされますね。
そういうことを踏まえて 言葉をつかえたらいいな。
できたら やわらかい言葉で♪
できたら ユーモアを交えて♪

撮影中請微笑・・・
それを読んで 
ほんとに微笑んじゃったわたしです 


    おり~ぶ



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もう土曜日 また土曜日 うれしい土曜日

確か 先週の土曜日にブログに投稿したのは
花の金曜日の様子を書いた記事でした。

今日の記事も まずは昨日のことから・・・

退勤後の夕方 
実は 巨大商業施設の宝くじ売り場に行きたかった。
先週買った 人生初のロト6 
日曜日が抽選日だったから
ネットでチェックしていたら・・・
何とまぁ 当たってたんです。
5口で1000円 買って 1口だけ 5等が当たったの♪
5等は1000円
ということは プラマイゼロなんだけどね。
損はしなかったということで まずまずよ。
だから 当選金はどうやって受けとるのか
宝くじ売り場に行きたかったわけ。

でも 昨夜は いろいろとやることがあって
宝くじ売り場行きは 断念しました。

実は
日曜日に 【大人のための絵本セラピー】の予定あり。

大人のための絵本セラピーって 何?
聞いたことないよとおっしゃる方
まだまだ多いかと思われます。
以前 こんな記事を書いていまので
未読で お時間のある方は よろしかったら ぜひぜひm(__)m
   ☟
大人のための絵本セラピー

大人のための絵本セラピーは
絵本を通したコミュニケーションによる
気づきと癒しのワークショップ・・・

どんな絵本を使うかは ほぼ決まりつつあるのだけれど
もう一歩 詰めないとね。
プログラム作りと 準備・・・
そのためには 時間が必要だから
「今日は花金だぁ」と ゆっくりしていられなかったの。

    📖

入浴 夕食 後片付けを とんとんとんと済ませて
いざ いろいろと 絵本を並べて にらめっこ。
頭の中では あーでもない こーでもないと
知恵をしぼるのだけれど だんだん行き詰ってくる。

注意散漫になってきたので 気分転換。
何かいい情報ないかなぁと
SNSの 絵本仲間の交流ページに行ってみた。
すると ちょうど 
絵本セラピスト協会の代表が投稿したところだった。

この本を書いた方です。 
   ☟
大人のための絵本セラピー 絵本はこころの処方箋

彼の投稿から・・・

どれだけたくさんの視点をもてるか
どれだけ視野を広げられるか
そこが分かれ目
いつもいつも 同じような情報源に触れていたら
知らず知らず偏ってくる
意識して 視点を増やしに行こう
自由に生きるためには
視野を広げて 選択肢を増やすこと考えなきゃ。


ほんと 当たり前のことなんですよ。
書いてあること。

でも 誰が それを書いているかで 
言葉の重みが違ってくる。
代表の言葉は まさしく それなんです。
「大人のための絵本セラピー」というワークを
考え出したひとだからね
わたしにとっては 彼の言葉が
ダイヤモンドのように 輝く言葉になってしまう。

投稿された言葉の中で
わたしが ドキッとしたのは

知らず知らず 偏ってくる・・・というところ。

それで 頭に浮かんだのは
なぜか 自分のブログ記事のことでした。

わたしは 昨日 
ヤマユリのことを書いたのですが
その記事内で 昨年書いた やはり同じように刈り残された
アザミの記事を 紹介しました。

去年も 今年も 同じようなことを書いていた・・・

まぁ 日記ブログだから それでOKなんです。
それに
同じ人間が書いているのだから
同じような視点で 同じようなことをリフレインするのは
当然と言えば 当然のこと。
その見方 とらえ方 書き方が わたしの個性といえなくもない。

でも その視点だけが わたしらしさと決めつけて
自分で満足してしまっていないだろうか?
ふと そんなふうに思った次第。

ひとつのものの見方にこだわって 凝り固まって
他の多様な見方ができなくなっているかもしれないな。
そんな気がしたんです。

例えば 読もうと手にする本 一冊だって
好みの域を出ないもので 満足している。
自分の嗜好と違った本の中に
全く別の
素晴らしい出会いがあるかもしれないのにね。

年齢を重ねて 
関節や筋肉の柔軟性が低下してきているように
わたしの頭も偏って 固まって
柔軟性が なくなってきているかも。
考え方の癖のようなものも 
がんこに身についているかも。

例えば こんなとこ・・・
固定観念から 型にはまった考え方をしていることがある。
思い込みの強いところがあり それで失敗することがある。
何かひとつのことにこだわってしまい 
前に進めないことがある。
                 etc

わたし もともと そんなところがある上に
疲れた時の肩凝りのように
パツンパツンに 凝り固まっている
そんな感じの見方や考え方をしている時 ありますもの。

知らず知らず 偏ってきているのは 確かです。

頭がカチカチでは 新しいアイディアは生まれない。
絵本セラピーのプログラムをつくりながら
あらためて 身に沁みます。
柔軟性のなさ。

    🌻

とりあえず 視野を広げて 考えてみるか
ということで
意識して 視点を増やしに行こう・・・
これを 実行してみました。
といっても 身近なところです。
今 わたしにとって 最も身近な情報源♪

ブログ村で 絵本のカテゴリー 探したの(^_-)-☆
何で 今まで 思いつかなかったんだろう。
ほんと 頭が カチンコチンだわ。

そしたら 何と 
「絵本・児童書」のカテゴリーがあったんです。
そして その中に ひとつだけ見つけた。
絵本セラピストさんのブログがあるではないの。
これには うれしいやら 感激するやら♪
その方のブログ 過去記事まで読みふけり 
ただただ 時間が過ぎていきました。

結局 絵本セラピーのプログラムは
未完成と相成りましたが
ひとつ 重要なポイントを見つけることができたの。

それは
大人のための絵本セラピーを受ける側の
そのひと達の立場に立って
考えるという 最も大事な事。
相手の立場に立って 絵本を選び プログラムを作る。

それって あたりまえのことなんだけど
意外と忘れてしまうかもしれない。
自分が 何の絵本を読みたいか
何を伝えたいか
そればかりを 自己中心的に考えていくと
相手のためじゃなく 
自分だけのための絵本セラピーに陥ってしまう。
それじゃ 自己満足だけで終わっちゃうよ。
「セラピー」とはいえなくなります。

ああ そのことに あらためて気づけてよかった。
相手の立場に立って考えられるというのも
視野を広げたことで得られた 柔軟性だと思うから。

      📖

知らず知らず偏ってきて 柔軟性がなくなってくる。
それも 老化と いえなくもないかな。
でも そんな状態は できるだけ遅らせたい。
これ以上 老け込んではいられない 老け込みたくない。
わたしの脳

だから 意識して 視野を広げること しなくちゃね。
これが自分のものの見方・考え方と 決めつけず
自由自在に 多様な視点から考えられたら素敵だわ。
まあ そんなとこまでは 望みようもないけれど
少なくとも 
視野を広げて 柔軟な見方ができるように
自分なりの努力はしていきたいな。

例えば
今度 手にする本は 全く読まなかったジャンルのもの
その程度の チャレンジだけでも する価値 あるかな。
ブログ村のお散歩も
行ったことないカテゴリーにも たまには訪問してみましょ。
そんなところから ぼちぼちね。

知らず知らず 偏ってきてる・・・
まずは そのことを意識することから。

ダメよ ロト6当たったから また買おうかな
そんなことばっかり 考えていたんでは (^_-)-☆

        ♡

 
       ✏ おり~ぶ



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