昨日は 叔母の施設への訪問日でした。
毎週月曜日の午前中 ほんの少しの時間ですが
顔を見に行きます。

叔母のことは これまでに4回記事にしています。
最近のだと 6月に。
未読で お時間の許す方は よろしかったら ぜひぜひ♪
  ☟
叔母を通してあらためて知った尊厳

それでね 
まず 話は 一昨日のことにさかのぼります。
つまり 日曜日の夕方近く
施設から 電話があったんです。
ドキッとしながら スマホをとると
「お伝えしたいことがありまして」と スタッフの声・・・
おそるおそる 「何でしょうか?」と 声が少し震えちゃう。

こんなお話でした。
昼食後 部屋に戻って横になる時のこと
要介護5なので 全介助で 車いすからベッドへ。
スタッフが 叔母の身体をベッドに寝かせて
タオルケットをかけて ベッド周りを整えて
それでは・・・と部屋を出ようとした時
叔母の顔が真っ青になっていた!!
ハッとして 名前を呼んだが返事がない
意識がない状態!!
しかも 無呼吸が 数十秒? 
別のスタッフが 急いで 看護師さんを呼びに行き
部屋に到着した時には・・・
叔母の意識は 戻っていて 声掛けに返事をしたそうです。
血圧を測り 血液中の酸素濃度を測ったら
ほぼ 普段通りになっていたとのこと。
顔色も戻り 会話ができるようになったので
医師の往診も依頼しなかったらしい。

わたしは 話を聞きながら
今すぐ出向いた方がいいのかと思い 聞いてみた。
すると スタッフからは
「今は 落ち着いて眠っていらっしゃるので
すぐにいらっしゃらなくても大丈夫かと思います。
とりあえず お伝えしておいた方がいいかと思い
お電話を差し上げました」とのこと。

わたしは 絵本セラピーから 戻ったばかりで
少々疲れていたこともあり
その言葉に 素直に従った。
今 急を要する状態というわけではなさそうだからと
この時は 
すぐ 施設に駆けつけることはしませんでした。

      🌻

実は 数年前も 同じようなことがあったんです。
叔母が 突然 意識消失してしまったこと・・・
この時は 叔母が千葉の施設に居る時。
叔母の姉である わたしの母が まだ存命の頃。

そのころ 叔母は病院に通院していて
その通院先の病院で 意識消失したらしい。
この時も 原因は不明。
同行していたのは 施設の看護師さんだったんですが
医師に 家族を呼んだ方がいいと言われたのか
そうでないのか
わたしのところに電話がかかってきたの。
たまたま 母と家にいた 午前中のこと。

「すぐこちらに向かってほしい」とのことだったので
急ぎ 母を義姉宅に連れて行きました。
母もひとりでお留守番は 心細いでしょ。
今夜は母のこと お願いしますと頼んで
わたしひとり 千葉に向かいました。
帰りが遅くなるか それとも 帰れないか・・・
そんな緊迫感があったんです。

ところが 電車で向かっている途中
その看護師さんから 
「意識が回復されたので 今日は おいで頂かなくても
大丈夫かと思います」との連絡あり。
「えーっ もう向かってるんだけどぉ」って感じです。
看護師さんは 平謝りでしたよ。
その時が 初めての意識消失だったらしいです。
それで慌てて 「すぐ来て」コールになったのかな??

でも その日 病院に出向いたことは正解でした。
持病が悪化していて そのまま入院になったので
タイミングよく 家族の同意書 書いてきました。

入院の手続きを済ませて 部屋に行くと
叔母は力ない表情ながら けろっとしています。
意識消失する直前までは 覚えてたけど
そのあとは・・・? 当然よね。

そんなことも ありました。
あの頃は 何度か 千葉に通いましたっけ。

   🌻

そして 昨日・・・

ともかく 
呼吸も意識も戻って 落ち着いているとのことなので
昨日の訪問は 普段通りの時刻に出向きました。

叔母は 臥床し 目をつむっていました。
顔色も悪くない。

スタッフに聞くと 朝食も普段通りの量を摂ったとのこと。
以前に比べたら だいぶ量は減っているみたいだけど。
でも 途中までは 自分の手でスプーンを使って
疲れたら スタッフに介助してもらう。
相変わらず 頑張り屋の叔母・・・

声をかけると 薄目を開けた。
「ミツさん 息吹き返してよかったね」というと
「うん?」という感じの 少々怪訝な表情。
「覚えてないの?」
「何を?」
・・・・・・・
あえて伝えることもないか 
本人が覚えていないんだものと思い
「よかった よかった」とだけ 言うと
彼女は なんのこっちゃという感じで 目を閉じた。

ベッドサイドで 叔母の顔をまじまじと見ていたら
鼻が丸いところとか 額が広いところとか
母に似ているなあと あらためて思いました。
やっぱり 姉妹よね・・・

わたしは だんだん母に似てきたといわれるし
自分でも そう思ってる。
ということは 
わたしは 叔母にも似ているということね。

そんなことを考えながら じっと見ていると
寝息を立て始めている。

最近は とみに毒舌も聞かれなくなり 寂しい限り。
痰もたびたびからむし 食事中もむせている。
窒息などの危険は大と スタッフからもいわれてます。
からだの中だって 
きっと いろんなところが弱ってきてる。
それこそ 明日をも知れぬいのち・・・
叔母自身が 一番それを感じてるんだと思うけど
どうしてあげることもできない。

でも・・・
叔母が生きていてくれる それだけで
わたしも励まされているのです。

そこに 生きていてくれる
そこに 居てくれる

息を吹き返してくれた叔母に
とりあえず ほっ 


   おり~ぶ



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今日は 今朝読んだ ある新聞記事から
感じたことを書こうと思います。

それがね・・・ 今朝の新聞ではないの。
昨日の新聞を 今朝 読んだ( ˘ω˘ ) 

昨日は 朝はやくブログを書いてから 
絵本セラピーの準備をしていたら 新聞読むの忘れちゃった。
というより 慌ただしくて 時間がなかった。
昼過ぎに 絵本セラピーのため隣市に行って・・・
セラピーを終えて帰宅しても いろいろあって・・・
昨日の新聞 今朝読むことになった次第です。

読まないともったいないような気がして 手にとったら
第一面に 書かれていた言葉 それは

「生きていてよい それが人権なんだ」

この新聞 こういうテーマの記事 第一面に出してくるから
何となく 好きなんですよ。

その記事は 
神奈川の知的障害のある方の施設で起きた
19人が亡くなられた痛ましい事件に関連したもの。
もうすぐ一年になるんですね。

新聞社に届いた 事件の被告からの手紙には
障害のある人は不幸だから安楽死させるべきなどという
差別的な意見が述べられていて 
反省の言葉は 全くないそうです。

自らも障害があり 障害者支援に取り組む専門家の方
お二人が その手紙を読んだ感想を述べておられる。
大学の先生をしている 熊谷晋一郎さんと
NPOで障害のある方の支援活動をしている 海老原宏美さん

熊谷さんは言う。
「価値があろうがなかろうが生きていてよい。
それが人権なんだと認めあえる社会にしなくてはいけない」


このように 述べながら
自分勝手な線引きで人を評価する考え方は
被告だけにとどまらないのではないかと危惧の思いも
吐露されている。

海老原さんは言う。
「世話をされないと生きていけない人は世の中にいらない
そうなりたくないと考える人はたくさんいる。
・・・自分が障害者でなくてよかったと
多くの人が感じているのであれば 亡くなった十九人は
浮かばれない」


彼女は 被告と同じような考えをしている人が
社会に潜んでいるのではないかと憂慮しているのだ。

わたしは このお二人の言葉を読んで
はたして 自分は どうかと 胸に手を当てた。

職業柄 精神的な障害のある方々と
かかわらせて頂いた経験もあるし
仕事上 傾聴という基本スキルの上でも
そのひとをあれこれ評価しないというスタンス。 
まずは ニュートラルな立ち位置を意識しているので
自分の中には 差別的な意識はないつもり・・・。
あくまで ひとりの人間として向き合う。
そこに 障害の有無という ものさしはない。

でも 本当にそうかと問われると はたと考え込む
そんな感じもあります。
障害の有無というようなこと以外の場面では
自分勝手なものさしで 
他者を見てしまうというようなことは あるような気がする。

ただ これまでずっと
生きているだけで価値がある
そんなふうに思って 生きてきてはいるのです。

ひとは 誰でも 価値のある人間で
生きている価値のないひとなどいない。
価値のある人間と 価値のない人間などという
見方は これまでだって してこなかった。
・・・と思う。

だから 2月の新聞記事で
先ほどの海老原さんが
新聞に寄稿したという文章を読んだ時も
「ああ そうよ まさしくそうよ」と思いました。
そこには こう書いてある。

価値を創り出すという能力は 唯一
人間にのみ与えられている。
そう 考える時 
ただ そこに静かに存在するだけの人間に
その尊厳を見いだすことも 人間だからできること。


海老原さんご自身 難病による重度障害を抱えながら
障害のある方の自立を支える活動をしているのです。
彼女の言葉が
くさびのように わたしのこころに打ち込まれた。

生きていてよい。
どんなひとでも どのようになっても 
生きていてよい。
たとえ 障害のあるひとであっても
そうでなくても なんら変わることはない。
それが 人権というもの。

    🌻

ところで
数年前のことになりますが
某大学の死生学講座に通ったことがあります。
その時のレクチャーで
こころに残っている言葉があるの。

その時のテーマは
できることがなくなっていく私を いかに肯定するか
哲学が専門だった その教授が言われた。

居ることはできる。
居るのは 人々の輪の中にいるということ。
周囲の人から肯定され 受容せられること。
私にできる社会貢献は 堂々と皆に世話をかけ
社会的資源にたより そのようにして 私たちの社会が
「誰一人を切り捨てず 仲間として支える」社会であることを
身をもって示すことである。
そのように理解すべし。


わたしは これを聞いた時 目からうろこでした。
特に 私にできる社会貢献~ というところ。

こんな切り口があったのかという驚き。
どんなひとでも どんなふうになっても
そこに 居る そこに 生きることで
生きる姿をありのまま見せていくことで
それが 社会貢献になっていく というところ。

人間の社会は 人間の生きる姿から 変わっていく。
そのひとの生きる姿が
社会のシステムをより良い方向に変えていく
そんなことが 起こってくるでしょ 実際に。

生きているだけで 価値がある・・・
そんな漠然とした思いに 
はっきりとした道筋ができたような気がして
忘れられない言葉になっています。

わたしだって やがて 
世話をされなければ生きていけない・・・
そんな状態になるかもしれません。
病気で寝たきりになるかもしれないし
老いてからだが弱ったり
認知症になったりして
ひとの手を借りないといけなくなる。
そんなことが 徐々に現実味を帯びている年代に
さしかかっているのです。

そうなった時 わたしは 生きる価値がないひとなの?
そうじゃない 断じて。

わたしは 究極の自己肯定で
堂々とお世話になろう そう思ってます。
からだもあたまも どよどよになっても
「ああ わたしは何の役にも立たなくて 
無価値な人間になり果てた~」など
嘆きすぎないようにしたいわ。
だって 生きてるだけで 価値があるの。
そのわたしのいのちの尊厳を 見いだしてくれるひとが
かならずいてくれることを信じて
「ありがとう ありがとう」といって お世話になろう 潔く。

     🌻

ふうっ 何だか 一気に書いてしまった。
少々 まじめなこと。

ところで こんな詩も あるの。

ぼくが ここに
         まど みちお

ぼくが ここに いるとき
ほかの どんなものも
ぼくに かさなって
ここに いることは できない

もしも ゾウが ここに いるならば
そのゾウだけ
マメがいるならば
その一つぶの マメだけしか
ここに いることは できない

ああ このちきゅうの うえでは
こんなに だいじに
まもられているのだ
どんなものが どんなところに
いるときにも
その「いること」こそが
なににも まして
すばらしいこと として


そこに居ること 生きること
それこそが すばらしいこと
価値あること
わたしは そんなふうに この詩を受け取っています。

    🌻

みんな みんな 生きててよい
障害があってもなくても 同じです。
みんなみんな 生きててよい
それが 人権♪

昨日の絵本セラピーで読んだ絵本
「いいから いいから」の 超ポジティブおじいちゃんも
きっと 言うと思う。

誰だって どんなふうだって
そこに居ていいよ 生きてていいよ。
いいから いいから♪
生きてるだけで 価値があるのさ。

ひとりひとりのそんな思いが
生きづらい社会を 少しずつ変えていけるといいな。

誰だって どんなひとだって
生きてるだけで 価値がある。
そのことを 忘れない ♡


   おり~ぶ



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昨日は 何かと慌ただしい時間を過ごしました。
朗読スタジオから 美容室へと
車の移動が多かったの。

その運転中 目にとまった言葉から あることを考えました。
それを書こうと思います。

    ✎

運転していると
前を行く車のリアウインドウ(後ろのガラス)が
どうしたって 目に入ってきます。

その車は バンタイプで どこかの会社の車らしい。
会社名なのかしら?
こんな文字が書いてあったの。

「流流幸運」

何と 読むの?
りゅうりゅうこううん?

会社名ではなさそうだわ。
だって よく見ると
ウインドウの上の方に 会社名が書いてある。
ただ 会社名からは 何の会社かわかりません。

流流幸運・・・
おそらく キャッチフレーズなんでしょう。
りゅうりゅうこううん
物流の会社? 幸せを運ぶ運送会社・・・みたいなこと?

そんなことを考えながら走っていたら
赤信号でとまったの。
あらためてじ~っと 見たら
流流の上に 英数字で読み方が書いてあった。
書いてあったのは・・・ Ryuー 2
つまり りゅうつう
流(りゅう)が二つ並べてあるから りゅう2➡りゅうつう
流流と書いて りゅうつう・・・

なぁんだ と へぇ~が 同時にきた。
なぁんだ そういうことか。
へぇ~ よく考えたこと。 

でも 幸運が流れちゃうって感じで
どことなく こころもとないような言葉のような気がした。
申しわけないけど・・・。
りゅう2というのは 面白いなと思ったけどね。

一生懸命 考えたんだろうな。
どうしたら インパクト与えられるかってね。
確かに 後ろから行く わたしの目 釘付けになりましたから
ひとの目をひくという 「流流幸運」の初期の目的は
何とか 達成されてます。

     ✐

ところで
この漢字だけの言葉で
思い出したことが あります。

それは 以前宿泊した ビジネスホテルでのこと。
研修会に参加した時の 千葉のホテルだったかな。
エレベーターに乗ったら
こう書いたプレートが 掲げてあったの。

「撮影中請微笑」

わたし その言葉を初めて見たので
何のこと?と びっくりしました。
漢字だけだから 中国語?
それって どんな意味?

そして 気がついた。
ああ 防犯カメラ撮影中っていうこと?
わたし 思わず ほほえんじゃった。
それこそ 微笑♪

「撮影中ですから どうぞ 微笑んで下さい」
という 意味ですよね。
でも その優しい言い回しの裏には
「しっかり監視してるゾ」という警告のメッセージが
あるのです。

監視カメラがあると告げて 犯罪を抑止する。
そんな本来の目的を ストレートに言わずに
こういう形で表現してあったわけ。
わたしは それを 好意的に受け止めて
ユーモアだわと感じたので
思わず こころが和んで 微笑んでしまった次第。

この 「撮影中請微笑」という言葉
あとで調べたら 
台湾などでは よく使われているそうです。
行ったことがないので 確認したわけではありません。
ネットには この言葉を掲げてあるところの写真あり。

日本では どうかしら。
「監視カメラ稼働中」
「防犯カメラ作動中」ぐらいしか 
目にしたことがないような気がします。
わかりやすい表現ではありますね。
ちょいとひねりがある表現を・・・といっても 難しそう。
やはり ずばり そのまんまが
最も有効な伝え方かもしれません この場合。

警告や注意喚起したいことを
ストレートに表現するか
ジョークやユーモアで表現するか
どちらが効果的かは 難しいところでしょうね。
内容が 社会の秩序にかかわることですから
真面目に正面から伝えた方が いいような気もするし・・・
でも
伝える側も それを受け取る側も
そのユーモアに クスッと笑えるような
こころの余裕のもてる社会であってもほしいし・・・
むむむ むずかしい。

      ✏

ものの言い方 伝え方ひとつで
何かが ちょこっと変わるということもありますよ。

例えば
モラルやエチケットの面でも
伝え方ひとつで 受ける感じが違ってきます。

ちょっとしたカフェや 公民館のトイレなどで見かけた
こんな張り紙を思い出しました。

「汚さないで」という 禁止でもなく
「きれいに使って下さい」という お願いでもなく
「きれいに使ってくれて ありがとう」という 感謝の言葉。

先にお礼を言われちゃうと
汚さないように きれいに使おうかっていう気になるから
不思議です。

     🌻

ものの言い方 伝え方ひとつで
ひとのこころは 動かされますね。
そういうことを踏まえて 言葉をつかえたらいいな。
できたら やわらかい言葉で♪
できたら ユーモアを交えて♪

撮影中請微笑・・・
それを読んで 
ほんとに微笑んじゃったわたしです 


    おり~ぶ



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もう土曜日 また土曜日 うれしい土曜日

確か 先週の土曜日にブログに投稿したのは
花の金曜日の様子を書いた記事でした。

今日の記事も まずは昨日のことから・・・

退勤後の夕方 
実は 巨大商業施設の宝くじ売り場に行きたかった。
先週買った 人生初のロト6 
日曜日が抽選日だったから
ネットでチェックしていたら・・・
何とまぁ 当たってたんです。
5口で1000円 買って 1口だけ 5等が当たったの♪
5等は1000円
ということは プラマイゼロなんだけどね。
損はしなかったということで まずまずよ。
だから 当選金はどうやって受けとるのか
宝くじ売り場に行きたかったわけ。

でも 昨夜は いろいろとやることがあって
宝くじ売り場行きは 断念しました。

実は
日曜日に 【大人のための絵本セラピー】の予定あり。

大人のための絵本セラピーって 何?
聞いたことないよとおっしゃる方
まだまだ多いかと思われます。
以前 こんな記事を書いていまので
未読で お時間のある方は よろしかったら ぜひぜひm(__)m
   ☟
大人のための絵本セラピー

大人のための絵本セラピーは
絵本を通したコミュニケーションによる
気づきと癒しのワークショップ・・・

どんな絵本を使うかは ほぼ決まりつつあるのだけれど
もう一歩 詰めないとね。
プログラム作りと 準備・・・
そのためには 時間が必要だから
「今日は花金だぁ」と ゆっくりしていられなかったの。

    📖

入浴 夕食 後片付けを とんとんとんと済ませて
いざ いろいろと 絵本を並べて にらめっこ。
頭の中では あーでもない こーでもないと
知恵をしぼるのだけれど だんだん行き詰ってくる。

注意散漫になってきたので 気分転換。
何かいい情報ないかなぁと
SNSの 絵本仲間の交流ページに行ってみた。
すると ちょうど 
絵本セラピスト協会の代表が投稿したところだった。

この本を書いた方です。 
   ☟
大人のための絵本セラピー 絵本はこころの処方箋

彼の投稿から・・・

どれだけたくさんの視点をもてるか
どれだけ視野を広げられるか
そこが分かれ目
いつもいつも 同じような情報源に触れていたら
知らず知らず偏ってくる
意識して 視点を増やしに行こう
自由に生きるためには
視野を広げて 選択肢を増やすこと考えなきゃ。


ほんと 当たり前のことなんですよ。
書いてあること。

でも 誰が それを書いているかで 
言葉の重みが違ってくる。
代表の言葉は まさしく それなんです。
「大人のための絵本セラピー」というワークを
考え出したひとだからね
わたしにとっては 彼の言葉が
ダイヤモンドのように 輝く言葉になってしまう。

投稿された言葉の中で
わたしが ドキッとしたのは

知らず知らず 偏ってくる・・・というところ。

それで 頭に浮かんだのは
なぜか 自分のブログ記事のことでした。

わたしは 昨日 
ヤマユリのことを書いたのですが
その記事内で 昨年書いた やはり同じように刈り残された
アザミの記事を 紹介しました。

去年も 今年も 同じようなことを書いていた・・・

まぁ 日記ブログだから それでOKなんです。
それに
同じ人間が書いているのだから
同じような視点で 同じようなことをリフレインするのは
当然と言えば 当然のこと。
その見方 とらえ方 書き方が わたしの個性といえなくもない。

でも その視点だけが わたしらしさと決めつけて
自分で満足してしまっていないだろうか?
ふと そんなふうに思った次第。

ひとつのものの見方にこだわって 凝り固まって
他の多様な見方ができなくなっているかもしれないな。
そんな気がしたんです。

例えば 読もうと手にする本 一冊だって
好みの域を出ないもので 満足している。
自分の嗜好と違った本の中に
全く別の
素晴らしい出会いがあるかもしれないのにね。

年齢を重ねて 
関節や筋肉の柔軟性が低下してきているように
わたしの頭も偏って 固まって
柔軟性が なくなってきているかも。
考え方の癖のようなものも 
がんこに身についているかも。

例えば こんなとこ・・・
固定観念から 型にはまった考え方をしていることがある。
思い込みの強いところがあり それで失敗することがある。
何かひとつのことにこだわってしまい 
前に進めないことがある。
                 etc

わたし もともと そんなところがある上に
疲れた時の肩凝りのように
パツンパツンに 凝り固まっている
そんな感じの見方や考え方をしている時 ありますもの。

知らず知らず 偏ってきているのは 確かです。

頭がカチカチでは 新しいアイディアは生まれない。
絵本セラピーのプログラムをつくりながら
あらためて 身に沁みます。
柔軟性のなさ。

    🌻

とりあえず 視野を広げて 考えてみるか
ということで
意識して 視点を増やしに行こう・・・
これを 実行してみました。
といっても 身近なところです。
今 わたしにとって 最も身近な情報源♪

ブログ村で 絵本のカテゴリー 探したの(^_-)-☆
何で 今まで 思いつかなかったんだろう。
ほんと 頭が カチンコチンだわ。

そしたら 何と 
「絵本・児童書」のカテゴリーがあったんです。
そして その中に ひとつだけ見つけた。
絵本セラピストさんのブログがあるではないの。
これには うれしいやら 感激するやら♪
その方のブログ 過去記事まで読みふけり 
ただただ 時間が過ぎていきました。

結局 絵本セラピーのプログラムは
未完成と相成りましたが
ひとつ 重要なポイントを見つけることができたの。

それは
大人のための絵本セラピーを受ける側の
そのひと達の立場に立って
考えるという 最も大事な事。
相手の立場に立って 絵本を選び プログラムを作る。

それって あたりまえのことなんだけど
意外と忘れてしまうかもしれない。
自分が 何の絵本を読みたいか
何を伝えたいか
そればかりを 自己中心的に考えていくと
相手のためじゃなく 
自分だけのための絵本セラピーに陥ってしまう。
それじゃ 自己満足だけで終わっちゃうよ。
「セラピー」とはいえなくなります。

ああ そのことに あらためて気づけてよかった。
相手の立場に立って考えられるというのも
視野を広げたことで得られた 柔軟性だと思うから。

      📖

知らず知らず偏ってきて 柔軟性がなくなってくる。
それも 老化と いえなくもないかな。
でも そんな状態は できるだけ遅らせたい。
これ以上 老け込んではいられない 老け込みたくない。
わたしの脳

だから 意識して 視野を広げること しなくちゃね。
これが自分のものの見方・考え方と 決めつけず
自由自在に 多様な視点から考えられたら素敵だわ。
まあ そんなとこまでは 望みようもないけれど
少なくとも 
視野を広げて 柔軟な見方ができるように
自分なりの努力はしていきたいな。

例えば
今度 手にする本は 全く読まなかったジャンルのもの
その程度の チャレンジだけでも する価値 あるかな。
ブログ村のお散歩も
行ったことないカテゴリーにも たまには訪問してみましょ。
そんなところから ぼちぼちね。

知らず知らず 偏ってきてる・・・
まずは そのことを意識することから。

ダメよ ロト6当たったから また買おうかな
そんなことばっかり 考えていたんでは (^_-)-☆

        ♡

 
       ✏ おり~ぶ



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今朝も 朝歩き 👣

家を出て すぐのところに見えてくる この植物
毎日 気になってます。

これなんです。

DSC_0835.jpg

ヤマユリのつぼみです。
細い市道に面して 林が続いているのですが
その広い林の持ち主さんは お二人いるみたいで
このヤマユリのある部分は 下草が刈られています。
もしかして 
この ヤマユリだけ 残してくれたのかな!!
だから ヤマユリは 十分 お日様を浴びられる。
すくすく 伸びてます。

ヤマユリを通り過ぎると こんな感じの 藪一面
土地の所有者が ここから別の人なんだなと分かります。

DSC_0837.jpg

草が伸び放題になって 道路にまではみ出てるので
そろそろ もう一人の持ち主さんに
草刈りして頂きたい感じもします。

といっても 町内の班で 7月の末に
「こさ払い」という行事があるので
この草の茂みは 班のひと達によって刈り取られる予定。
「こさ払い」とは 一年に一度
班内の道路わきの雑草を 一掃する作業で 
わたしも 毎年参加しているの。

そのこさ払いの時
まさか やまゆり 刈られてしまわないわよね。
ちょっと 心配。
だって せっかく 林の持ち主さんが
刈り残してくれた ヤマユリだもの。
ヤマユリだと わかって 刈らないでくれたのよね。
せっかくの 粋なおはからいなのだから
みんなで ヤマユリ 愛でましょう♪

そういえば
別な場所での 同じような情景・・・
アザミの花のこと
昨年も 記事にしたことがありました。
未読で お時間のある方は よろしければ ぜひぜひ m(__)m
   ☟
粋なはからい

藪の中の 美しい野生の花を
刈り取らずに残しておく行為・・・
花鳥風月を愛する日本人の 
日本人らしい 粋なはからいだなぁって思うのですが
いかがでしょうか?

刈り残された花に こうして目を向ける人間もいるのだと
草刈りびとに 感謝の気もちを伝えたくなる。
そんな気もちにもなってきます。

わたしが ヤマユリが気になるのには
少々 わけもあるのです。
以前 実家の周りに 里山が広がっていて
そこにヤマユリが たくさん咲いていたの。
子どもの頃から 夏の花といえば ヤマユリの花
それぐらい おなじみの花でした。

母は ヤマユリの花も大好きで
お仏壇にも飾っていたから
夏の間は 花の香りが 部屋中に漂っていた。
ヤマユリとともに 母の姿が 浮かびます♪

でも 年々 ヤマユリの数は減ってきてましたね。
里山も手入れされず
藪が多くなってきたことも原因かもしれません。

今 実家は現存しませんし
周りの林も だいぶ様子が変わってきて
公園になったところもあります。
たまに懐かしくなって ドライブがてら景色を見に行きますが
最近は あまり行ってないわね。
来月になったら また訪れてみようかな。
さて ヤマユリは見られるでしょうか?

ところで
実家の後始末をするとき 庭から ヤマユリの球根を二個
掘ってきて 我が家の庭に移植しました。
昨年まで そのうちの一本が 花を咲かせてくれたんですよ。

IMG_0348_20170721085047a92.jpg

今年も 楽しみにしていたのですが
とうとう 芽が 出ませんでした。
球根が 土の中で どうにかなってしまったんでしょうか。
とっても残念。

そんなことだったので
家の近くの散歩道に ヤマユリのつぼみを見つけた時は
すごくうれしくなっちゃったんです。
だって 刈り取られずに残ってる
その姿にも 感激♪

毎朝 ここを通る時
「ちゃんと咲いてね」
「見てるからね」
そんな言葉 かけてますが
本来 花は 人間のために咲いているわけではないのよ。
ヤマユリは ヤマユリのために咲いてるの。
ただただ ヤマユリとして生きて やがて花開く
さらにいうと 
ヤマユリは 次のいのちのために咲くんでしょ。

でも こうして 草むらに生きる一本のヤマユリに
小さな 暮らしの喜びや 
ブログの記事ネタを頂いている人間もいるのです(^_-)-☆

ヤマユリとわたし・おり~ぶ
共に 生きとし生けるもの
この大いなる自然の恵みを受けて
息づいてまいりましょうね。

ヤマユリの花言葉は いくつかあるけれど
その中でも これ。
「人生の楽しみ」

こころあるひとの 粋なはからいに感謝します。

野に咲くヤマユリが
ちいさな楽しみをくれました 


     おり~ぶ



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今朝の起床は 5時45分でした。

あらら 5時に目覚ましかけてたのに 
音を止めて また 寝ちゃったのかしら。
それは 覚えていないけれど
覚えていることが ある!!

それは たぶん みていた 夢・・・

今日は その夢について 書きましょう。
久しぶりに 夢を見た・・・というより
久しぶりに 覚えていた夢というべきか。

それは こんな夢なの。
お話のすべてを 覚えているわけじゃないんだけど
この 部分だけは はっきりと映像として浮かぶんです。

山道を歩いているわたし
少し緩い傾斜を登っている感じなの。
だんだん 視界が変わってくる。

かたわらに ひとがいる。
男性です!!
それが 何と 俳優の水谷 豊さん。
えっ なんで?
何の脈絡もなく 彼だった。

彼が 言う あの声で あの口調で。
「もう少し先に 僕の家があるから 寄って行きませんか」
ひゃぁ~これまた びっくり。
でも 夢の中では 自然な流れだから
わたしは かわいく 頷いてたりする。

周りを見渡すと 遠くに山並みが見えだした。
その山がね
少し雪をかぶった なだらかな山々。
ふうん 山かぁ・・・

わたしの記憶に残っているのは そこまで。

起きたばかりで やや ぼ~っとした頭で考えました。

なんで 水谷さんだったの?
そりゃ 水谷さん 好感のもてる俳優さんだし
「相棒」も 好きなドラマではありますよ。
劇場版も いそいそと映画館へ 👣
でも 好きな男性のタイプかというと ???
好きなのは ドラマの中の「右京さん」だからね。

なんで 彼が 夢の中にまで 登場したのかしら?
謎だわ。

それと
遠くにくっきりと見えた山の姿も 気になります。

山の姿・・・
昨年 こんな記事を書いたことがあるんですよ。
未読で お時間がある方は よろしければ ぜひぜひm(__)m
「見える山」に関して お遊び的な心理テストを載せています。
   ☟
どんな山が見える?

その心理チェックからすると
わたしが見た なだらかで雪をかぶった山は どうなの?
なだらかな山という点では
こころの安定度はまずまずというところ。
でも 雪をかぶってるというところが 少々気になるわね。

これから 冬になっていくの?
それとも 雪どけを待って これから 春になっていくの?
どっちなのかなぁ。
ひとしきり お遊び夢分析。

結論は・・・ 雪がとけて 春になってくの。
雪は 春を待つためのアイテムよ。
こころは いつも 春のこころでありたいもの。

ところで 水谷さんはなぜ?
わたしの好きな俳優さんなら 他にいっぱいいるはずなのに。

むむむ
わたし それこそ 「相棒」が欲しいのかしら?
しかも 水谷さんのような男性の 同行者が。
つまり パートナーが欲しいっていうこと?

う~ん それは ないない 誓ってない。
39歳でひとりになってから このかた
再婚を考えたことは 一度もないんです。
先輩にお見合いを勧められたことが 一度だけあったけど
きっぱりと断っちゃった。
それは 全く そんな気にならなかっただけ。
「ひとりでいいわ」という感じでした。
わたし いまだに 亡き夫の姓を名乗ってたりして
夫は 生涯にひとりだけでいいって感じよ。
あくまで わたしの場合はね。

そして ひとりで長く暮らすうちに
「ひとりでいいわ」から 「ひとりがいいの」になっちゃった。
だから 今 パートナーが欲しいって気もちはない・・・
と 言い切れる ほんと? うん ほんとのつもり。

でも 夢は 無意識の心象を あらわすものだから
こころの 奥深いところでは 求めているのかな
一緒に 歩んでくれるひと。

・・・そうかもしれないわね こころの奥の奥底ではね。
どんどん 歳をとってくると
それでなくても 心細くなりますもの。
ひとりだと なおさらよ これは ほんと。

だからといって パートナーを必死で探して
一緒に生きていきましょう・・・とまでは
現実的には 考えません これも ほんと。

ただ 夢からのメッセージは 大切に受け止めたい。
夢は ひとのこころのバランスを回復させてくれるもの
そんなふうに わたしはとらえているの。
それが 時には 警告であったり
現状の確認であったり
将来への展望であったり
夢は 実に多彩なメッセージをくれるのです。

今 こうして 今朝の夢について書きながら
こころの奥深いところにある 本当の思いに 
ありのまま 素直になってみる。
それもまた わたしには 大事なこと♪
    
     👣

そんなこんなで
見た夢に 翻弄されながら 朝の身支度をして
朝歩きしてきました。

梅雨の明けた 散歩道の景色

DSC_0829.jpg

小さかった稲の苗は こんなに成長し 青々としています。
写真の中で 水田の向こうに見える家々
その 一番奥に わたしのちっちゃな家があるんですよ。
写真には 写ってません。
空と林の途切れる辺りに ちょこんと存在してます。

そこで わたしは 暮らしてます。
今朝見た 水谷さんとの夢の続きなど想像しながら
・・・ないものねだりはいたしません。
やっぱり 「ひとりがいいの」と
素敵なひとりぼっちを目指して  
我が暮らし 紡いでおります ♡


    ✏ おり~ぶ



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「からだあっての物種」というタイトルをつけました。
今日は
からだと深~い関係にある
お風呂のことについて書こうと思います。

まず その前に
昨日の わたしの身体の冷えについて 少し。

昨日の仕事は 病院じゃなく 学校でした。
午後4時間余り 相談室に こもりっきり。
トイレに行く時だけ 部屋外へ。
エアコンの設定温度は 26度だったかしら。
部屋に わたし以外のひとがいた場合    
27度~にすると 少々 暑く感じてしまう。

前も書きましたが 
わたしは 冷え性で 冷房の中にいると
二の腕が 異常に冷えてしまうのです。
防衛策をとって 長袖の 厚手のカーディガンを羽織りました。
でも 中は ノースリーブのシャツ。
ノースリーブって・・・だから冷えるんじゃないと
お思いでしょうが
わたしとしては そのシャツを着たかったの。
その日の仕事は 完全なる私服なのですよ。
まあ 洋服の色には配慮しますが
ある程度は 好きなもの 着たかった。
厚手のカーデを着るから 大丈夫でしょって感じ。

ノースリーブのシャツは やや浅い丸襟だから
首が寒くなるだろうなと思い
小さなスカーフを巻きました。
こんな感じです。
お絵描きしちゃった のっぺらぼうで 首長すぎ(>_<)

DSC_0827.jpg

首は 大事でしょ 手首 足首・・・首から冷える。
足首も冷えないように
足首の隠れる 麻混のパンツを履きました。

それで どうだったかというと
やっぱり 冷えちゃった ほら見たことか。
どこが 寒くなったかというと
スカーフと シャツの襟の間の すきまの肌。
はぁ そんなとこ?と あきれないでね。
その すきま肌だけじゃなく 右の肩のあたりです。
わたし 昔の手術で 右腋窩リンパ節とってしまっているから
たぶん 右は 血液の循環が悪いんですよ。

ふだんの病院の勤務だと いろいろと動き回っているし
襟のついたシャツだから それほど感じなかった。

でも 昨日は 右首から 肩が 冷えまくってた。
二の腕は さほど意識されなかったわ。
厚手のカーデで保護されてたからね。
それにしても 浅はかな服装だった。

しかも 仕事が終わって 外に出たら 昼間と比べて
やけに涼しいいじゃないの。
昨日は 寒気が来ていて 不安定な天気になり
大荒れしたところもあるらしい。
こちらも いつになく 涼しい夜でした。

車に乗っても 冷房なんかつけません。
だって からだ 冷え切ってたから。

     🌻

帰宅して すぐしたことは
お風呂に入ること。

最近 猛暑続きだったから 湯船には入らず
ずっと シャワーだけだったの。
久しぶりに ゆっくり 湯船であったまりました。
そしたら やっと からだが生き返ったって感じ。

お湯に浸かりながら 
服装のこと 反省しました。
身の程知らずの ノースリーブ しかも 襟の開いたもの
いくら 厚いカーデを羽織っても
首から 肩は 無防備だったわね。
しかも 右腕~肩が弱い部分だって知ってたのに。
ちっちゃなスカーフ 巻いたぐらいではだめなのよ。
冷房対策したつもりが 大抜け 間抜け ぶるっぶる。

反省したことは もうひとつ。
最近ずっと 入浴の時 シャワーだけで 
湯船につからなかったこと。

お湯につかったら また汗が出るもん・・・
夏だし 別にあったまらなくてもいいわよ・・・
なんて 実は面倒くさがって シャワーだけで済ませてた。
わたしみたいな冷え性こそ
からだを温めなくちゃいけないでしょ。
湯船につかってリラックスすることが 
自律神経にいいことも 頭では 理解してます。
でも その理解より 「面倒くさい」が 勝っちゃってた。

「あ~あ」とため息つきながら 
ふと 母の言葉を思い出しました。
母は とっても お風呂好きだったの。
昨年 記事に書いてるんですよ♪
未読で ご用とお急ぎでない方は 
よろしかったら ぜひぜひ m(__)m
  ☟
母を偲んで

そうそう 母の言葉です。
「母さんの元気の秘訣は お風呂だよ。
遊んでるのに毎日お風呂入るの?って 
ひとに言われたことあるけど
なんにもしない日だって お風呂だけは欠かさない」

確かに母は 入浴を欠かしたことがありません。
風邪をひいたりして よほど具合が悪かったときや
骨折や 微小脳梗塞で入院していた時だけね 
お風呂をお休みしたの。
それより 晩年は 風邪ひいたこともなかったような。
あと数日で89歳になろうというところまで
全く介助なしで なんでもする母でした。
もちろん 見守りは必要でしたが。
最期の日の前夜も 自分で入浴してましたよ。
ピンピン ピンの母でした ♡

そんな母の
「元気の秘訣は お風呂だよ」を思い出して
シャワーだけで チョチョッと済ませていたことを
いたく反省した次第です。

母の元気さと入浴の 因果関係は???ですが
入浴の健康効果は実証されていますから
母の言葉は あながち 間違っていないかもしれません。
それに
日々当たり前のことを きちんとやっていくことが
母の生きる力を支えていたことは 
間違いないような気がします・・・娘としてはね。

     🌻

冷えは 万病のもとって いいますものね。
とにかく からだを冷やさないように
服装も 気をつけなくちゃね。
そして
冷房で冷えすぎてしまうからだは
ちゃんと お湯につかって あっためてあげる。

日々 確実に老いていくからだですもの。
健康寿命を できるだけ伸ばせるように
そんな あたりまえのこと 大事にしていこう。
あらためて そう思っています。

からだあっての物種
いのちあっての物種

からだのことも おろそかにしない。
わたしのからだ わたしといっしょ
老いてゆく わが身 大切に


      おり~ぶ




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あっ ブロ友のブログが・・・
このあとに続く言葉は・・・再開してる!!

今日は そんな話題です。

昨日は 叔母の施設訪問以外はずっと家にいて 
ゆっくりブログ村のお散歩もしていたら・・・
その時 わかったの!!
ブロ友 Aさんのブログの再開♪
3か月ぶりでしょうか 彼女のブログ。

Aさんは・・・ 
1年2か月前 わたしがブログを始めて
他の方のブログを読むようになってから
真っ先にファンになったひと。
生まれて初めて コメントを送ったんです。
優しい 穏やかな雰囲気のブログ
日常を 丁寧に暮らしていらっしゃる様子が書かれていて
その写真や文章に いつも癒されてました。

ブログを始めた頃は いろいろなルールなども
今より更にわからなくて
彼女のブログを 断りなしに わたしの記事内で
リンクを貼る形で紹介してしまったりして・・・
でも Aさんは 笑って許して下さった・・・かな。
「驚いたけど うれしかった」というような
お返事を書いて下さいました。

それ以来 ずっと Aさんのブログの読者だったんですが
4月ごろ お休みをとりたいとのことで
その後は 記事の投稿はありませんでした。
わたしは その時
ちょっとだけ 「ブログロス」の心境になりましたよ。
毎日 読ませて頂いていたブログが
ある時から 読めなくなったから 
何となく 喪失感を感じてました。
でも お休みは Aさんの充電期間よねと思って
必ずまた 書いて下さることを信じてました。
ブログ村にもいらっしゃったしね。

ランキングからは外れていなかったこともあり
わたしは 時々 そのカテゴリーに出向いては
彼女の プロフィール写真を眺めていました。 
「あっ いるいる ここに確かにいらっしゃる♪」ってね。

そして 昨日
一週間ぶりに Aさんのカテゴリーに行ってみたら
何と 記事が更新されているではないの。
思わず 「あっ~」と 声をあげてしまった。
喜びの叫びよ♪

そこには 前と変わらない優しい文章・・・
ブログを再開した Aさんの思いが綴られていました。

その中のひとつの言葉を引用させて頂きます。
「自分がもう少し年をとった時読み返しても
楽しいblogになったらいいな」
この言葉を読んだ時
ああ そうだわ。
わたしも Aさんと同じようなことを思ってる。
そう 思いました。

わたしの場合は
【楽しいblog】という部類ではないかもしれないけど
自分が 時々過去記事を読み返すと 
とっても ほんわかして 楽しい気もちになります。
自分の記事 大好きだもの 愛おしい♡
「どれだけ ナルシストなのよ」って感じだけれど
まあ 何はさておき 
懸命!?に綴っている 自分の分身のようなものだからね。

わたしも 今よりもっと歳を経て 読み返した時
辛くて 嫌ぁな気もちになるよりは
happyな気もちになったほうがいいな。
Aさんの記事を読んで
そんなことを あらためて思った次第です。

Aさんは わたしよりひと回り以上若い方だから
老後には まだまだ時間はあるわね。
でも その時の楽しみのためにも
これからも 彼女らしい穏やかな雰囲気のブログを
ぜひぜひ 書き続けてほしい
それが 読者としての わたしの願いです。

Aさんのブログ・・・ 
「お帰りなさい」コメントを入れようかなと思ったら
コメント欄は まだ お休み中になってます。
いいのよ いいのよ それでいい。
Aさんは Aさんのペースでいいんです。
わたしとて コメント欄 しょっちゅう休んでますm(__)m
コメントの代わりに
「久しぶりだね」の応援ポチッ♪
力強く押してきました ポイント2個位入らないかしら。

     🌻

ところで
Aさんのブログのことから
あらためて ブログの記事のことを考えました。

先ほど ナルシストという言葉を使ったけれど
ブログは とても穏やかなレベルで
そのひとの自己愛を満たすもの・・・
ブログの書き手になって そう思うようになりました。

自分のこと 伝えたいことなどを 書いて表現できる。
書いただけでも 自己満足できる。
書いたものを 他者に 読者に読んで頂ける。
ランキングに参加すると 順位が出されて
その順位如何によっては さらに満足することもある。
応援クリックや いいねでクリックされて
承認欲求が満たされる。
 etc
このように 
書き手の自己愛は マイルドな感じで満たされるのかな。

自慢話も 愚痴話も
ブログだと それほど 
鼻持ちならない雰囲気にはならないなぁって思います。
読みたくない時は 読まなくていいんだしね。

      🌻

わたしは 人生の後半で ブログに出会ったことを
とっても ラッキーと思ってます。
ソフトなレベルで 自己愛が満たされて
それが 生きる活力にもなるような
そんな感じも受けてます。

わたしが記事に書くのは とにかく わたしのこと
わたしをとりまくひとや ものにまつわること
非リアルも含めて わたしが出会ったひとのこと
それらのエピソード そして わたしの思いや考え。

ブログのタイトルが
「わたしといっしょ♡」だから そのまんまです。
わたしは わたしといっしょ♡

日々のこころの足跡を ずっと書いていったら
後になって読み返すときに
わたしの 後半生の こころの軌跡がわかるわね。

もし 近い将来 もはやブログの更新もできなくなるまでに
老いてしまっていても
折にふれ 読み返す時
過去の記事の中に
わたしのこころの旅路が見えるはず。

自分がたどった道のりを懐かしく思い出す・・・
その懐かしさだけでも
生きる希望が湧いてくる
そんなこともあるかもしれない。

だから あとで読み返した時に
自分が何度も読みたくなるように
記事を書いているかもしれません。
でも そこに 嘘はないつもりです。

自分を 愛おしみつつ
わたしといっしょ♡の記事も 
大切に 大切に
綴り 育てていこうと思います ♡


      ✏ おり~ぶ



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昨日は 東京・渋谷に出かけました。
平原綾香さんのコンサートがあったの。
一年に一度は 観に行ってます 大好きな歌姫♪

・・・でね 今日の記事は
そのコンサートのことではありません。

上野から渋谷までの 電車内での出来事を書きますね。
題して 
電車内で席を譲ろうか・・・お年寄りの線引きは難しい。

午後2時半ごろの山手線内・・・
それほど混んではいませんでしたが 
上野で乗った時には 座れなかったの。
渋谷までは 30分弱かかるから 座りたかったわ。

二駅ぐらいのところで 近くの席が空いたので
ささっと行って座りました。
ほっとしたぁ 入り口に近い席。
次の駅で 数人が乗り込んできましたよ。
わたし スマホをいじっていて よく見ていなかったんですが
電車が走り出してから 隣の男性 30代半ばぐらいのひとが
急に さっと立ち上がったんです。
えっと思って スマホから顔をあげると
斜め前に 白髪のきれいな女性が立っていて
その男性は「どうぞ」と言って その女性に席を譲ったんです。
彼女は 目礼だけして席に座りました。
ちなみに 座席は 優先席ではありません。
譲った彼は そこから離れて 少し先のところに移動しました。

彼女は わたしの右隣りにいます。
わたしは そのシルバーヘアのひとを
何気なくみるように 横を向いて 
失礼だけど ちらっと見ちゃいました。

年のころは 70代ちょっとすぎのような感じ
あくまでも わたしの主観ですけど。
いかにも 都会で暮らしている風情を感じさせる
垢ぬけた服装をしています。
ショートのシルバーヘアも似合っているし
お肌のつやも上々よ・・・
なぜ そんなとこまで見られたかというと
その女性は 着席すると目を閉じていたからです。
二度目に わたしが見た時は 少しこっくりしてました。

わたしは ふと思いました。
自分は この方に席を譲ろうと とっさに考えただろうか?
きっと 譲るかどうするか 迷ったかもしれないな。

わたしは・・・
明らかに よぼよぼとして足元のふらつくようなひとだったら
すぐ 譲る。
そこまで ふらついていなくても 
しんどそうに立っているお年寄りだったら すぐ譲る。
誰が見ても 完全にお年寄りでしょ・・・というひとなら
すぐ譲る。

だけど 高齢者といっても 見た目もこころも
若々しいひとの多い この時代・・・
席を譲るべき 高齢のひとなのかどうか
その線引きは とっても難しい。

そのひとの見た目の年齢と 
そのひとがもつ自己イメージのずれは
かなりあると思いますよ 自分のことを考えてもそうですから。
わたし 実年齢62歳 見た目老けているかどうかは?
これは 他者が判断するところ
こころの自己イメージは 55歳ぐらいかなぁ
もっと言えば 40代・・・これは 言い過ぎ(^_-)-☆

だから 自分から見て そのひとが
席を譲った方がいいかなと思っても
「わたしは 席を譲られるほど 年寄じゃない!!」と
思ってしまうかもしれない。
席を譲られたことで プライドが傷つくひとだって
いますよね きっと。

「お年寄りに親切に」と思って
ゆずろうとしたけど 断られたということ
実際 若い頃 わたしも経験してます。
「結構です」という返事に込められた そのひとの思い・・・
なんとなく 気まずかったその場の雰囲気と
わたしのこころ・・・
親切心であっても 相手が嫌がるということがある。
座席を譲る 譲られることは そんな問題を含んでいます。

一度断られた経験があると
おいそれと 声をかけて席を譲るということ
できなくなるし しなくなる。

わたしの場合 迷うような場面
つまり 前に立った乗客が
明らかな高齢者というわけでもなく 
微妙な見た目の老人の時は
電車が駅に着くタイミングを見計らって
黙って席を立ち 別の車両に移動しちゃう。
そこに そのひとが座るかどうかは そのひとが決める。
譲ったのに 拒否する 拒否されるというような
不快感は お互いに経験せずに済むから・・・・。

電車内で 席を譲ったほうがいいか どうか
お年寄りの線引きは難しいよなぁ。
そんなことを考えていたら
暫くして
反対側 つまり向かいの座席の光景が 眼にとまった。

3人の若者達が座っています。
明らかに アスリート 大学生かな。
日焼けしてたくましい腕 今風の顔立ちの
かっこいいお顔。
スポーツウエアを着てるし 大きなバッグには
競技の道具が入っているみたい。
ひとりのひとは その道具を裸でもっている。
わたしが見たことのない 道具だわ・・・

電車が停まり 入り口から 3人連れの女性が乗ってきた。
そのうちのひとりは 外国人でしたよ。

彼等から見たら どちらかというと 「お年寄り」だったのね。
スポーツマンのひとりが サッと立って席を譲ったの。
そしたら 他のふたりも立ち上がったから
その 3人連れは 彼らの席に座りました。
笑顔で 席を譲ってもらったの。

わたしから見たら それほど高齢のひとではない感じ。
60代後半ぐらいかなぁ こればっかりはわからないけど。
それこそ 席を譲るかどうするか こちらが迷ってしまう
そんなひとたちでした。

そこからが なかなか興味深かった。
女性たちのひとりが
彼らがもっている荷物が重そうだったので
「持ちましょうか?」みたいな言葉をかけた様子。
電車内ですから 他の音や声が混じって
話している内容まではわかりません。
彼女の身振りや手振りで そんなことなのかなぁと
思った次第。

そのことをきっかけに
彼女は 彼らのもっている道具が気になったのか
いろいろ質問していたようで 若い彼らもちゃんと
応えてあげていた。
外国人の女性も にこにこしてお話を聴いていました。
その光景が わたしには とってもほほえましく感じられて
ずっと そこを見てました スマホいじるより面白かったの。
それにしても 声はほとんど聞きとれないから
彼らが何のスポーツをやっているのか
わたしには わからずじまい・・・。

渋谷まで その女性たちと彼らのやりとりが続いたわ。
7~8分だったかしら。

渋谷に着くと 女性たちと挨拶を交わして 彼らが降りた。
わたしも 渋谷が目的地でしょ。
あらぁ 同じ駅で降りるなんて・・・♪

彼等のあとをついて降りながら
「何のスポーツなの?」という興味が湧き上がってきて
前を行くスポーツマンに 聞いちゃった。
「すみません。何のスポーツしてらっしゃるの?
その 棒みたいな道具・・・」とね。
変なおばさんの そんな唐突な問いかけに
不思議そうな顔もせず 「フィールドホッケーですよ」
と 答えてくれました。
そうか そういえば 
棒の先は 確かにホッケーって感じだわ なるほどね。
(ちなみに 後で調べたら ホッケースティックというらしい)
わたしは「ありがとう」と言いながら 
自分のとった行動に 自分で興奮しちゃって
ハチ号口へ出るはずなのに 反対側に進んじゃいました。



ということで 電車内でのエピソードから
「お年寄り」の線引きについて考えたわたし・・・

ところで
もう お気づきのことと思いますが
わたしは 
席を譲る側の視点で 話を進めてまいりました。

でも
もはや 席を譲るより
譲られる側に 足を踏みいれておりまして
あの素敵な若者たちから見たら
もはや じゅうぶん「お年寄り」のおばさんです。

だから 
いつか 席を譲られる場面があるとしたら
あまりいろいろ考えず
「ああ 自分もついにそういう年齢になったんだな」
そう自覚して
譲ってくれたひとに素直に感謝しながら 席に着こうかな。
席を譲られたことで あんな素敵な若者と出会った
3人連れの女性達のように
笑顔で 譲っていただこうと思います ♡


       おり~ぶ




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昨日は 
どこへも出かけず 家におりました。

朝のうちに 庭にでて
この頃 入り浸っている 和室の掃き出し窓のところだけ
日除けのシェードをつけました。
去年は リビングの前にも 取り付けたんだけれど
今年は パス。

わが家にとって 一番広い部屋であるリビングは 
ひとがきた時しか使ってないから つけないことにしました。
ちょっと 面倒になっちゃったの。
わたしはひとりもので いつも家に来てくつろぐまでのひとは
そうそう いません。
でも たまに 突然の来訪者は いたりします(^_-)-☆
ふだん使っていないから いつでも整頓されてるの。
いつ来ても大丈夫♪

シェードをつけてからは
探し物をしながら
仕事関係のものの整理をしました。
午後は エアコンつけて 少しお昼寝 ZZZ~
3時頃 起きて 庭に出たら 
少し 日影ができている。

わが家の西には 
空き地に続いて 背の高い杉林が続いているので 
この時間になると お日さまの光は 杉の木に遮られて
庭には 西日があたらないのです。

草取り姿になり 庭の隅っこにしゃがみこんで
30分位 作業しました。
それだけで 大汗 ぽたり ぽたぽた 💦
腰も痛くなっちゃった。

よっこらしょと立ち上がり
草取りの仕上げは 水まきよ。
庭全部に ホースで くまなく水をまいたの。
長いホースを駆使して
南の庭から 東側 北側にまわってね。
狭い敷地で 家も小さいから
ぐるっとまわれちゃうんです。
ザーッと サーッと 音だけ聞いてたら
雨?って感じよ。
水まきって 楽しいですねぇ。

      ☀

それで ここからが 今日のタイトルの内容です。
いつものごとく 前置きが長くなってすみません。

水まき終えようと 蛇口を閉めると
どこかで 話し声がします。
あたりを見渡すと お隣のNさんと ご近所のMさんが
立ち話をしているではないの。

「あらぁ こんにちは」と 庭にいたまま声をかけると
「終わったの? 仕事してるようだったから
声かけなかったんだよ」とMさん。
わたしが 東側の庭で水まきしてた時に通ったのかな。
自分は ずっと水音を聞きながら楽しんでたから
ふたりが話してる声 聞こえなかったんだ。

Nさんが言った。
「久しぶりに 三人そろったから お茶飲んでけば」
Mさん 「そう おじゃましようかな」と笑顔♪

わたしは・・・もちろん お誘いにのりました。
作業は終わったし あとは 片づけだけ・・・
少しの時間なら おつき合いしたいなという気もち。

ふたりのことは 以前 記事に書いてます。
未読で お時間のある方は ぜひぜひ♪

Mさん ✏つかずはなれずご近所友達との30分

Nさん ✏お隣さんからの電話

Mさんも Nさんも おひとり暮らし。
わたしんち Nさんち Mさんち と 道沿いに並んでいるので
わたしは 「三婆通り」と ひそかに呼んでいると
過去記事では書きました。
でも 彼女達には そのことは言ってません。
「婆さんじゃないぞぉ」って 怒られそうだもん。
特に Mさんは 少々毒舌さんのところがあるから。
まあ それが 彼女の魅力のひとつなんですが。

Mさんは 自分で 「前期高齢者だよ」と言っている60代
Nさんは 70代前半だと思う
わたしは この二人より だいぶ!?若い?
だから こんな組み合わせは わたしにとっては
とっても 楽な立ち位置なの。
年下で おねえさんたちに 甘えていられるから・・・かな。

三人でのおしゃべりは
圧倒的に Mさんの独壇場。
Nさんは もともと 聴き役に徹するひと
わたしは この三人でいる時は 時々話すぐらい。
Mさんのお話を ふんふんと聴いている。
それが 楽なの。

おしゃべりの場は Nさんちの縁側よ。
少し風も吹いてきてたし 「ここでいいよ」って感じ。
インゲンマメのなっている庭を見ながら
冷たい麦茶を頂いて
Mさんのお話を聴きました (^_-)-☆

Mさんのお話は ふたつ・・・
ひとつは 
数年前まで仕事の仲間だった 遠方のひとが
泊まりに来た話。
一泊して帰る時 駅まで送っていったら
一宿一飯のお礼にと うなぎをごちそうになったんだって。
Mさんは 話し上手で 面白おかしく話すから
ついついひき込まれて ついでに 
うなぎ 食べたくなっちゃった。 

もうひとつの話は ちょっと怖かった・・・というか
高齢になると そんな病気もあるのねと
心配になった話。

Mさんの知り合いの元気なひと(同年代)が
ある時から 身体の不調を訴えるようになったらしい。
物忘れもひどくなり 時々 1~2分間失神しちゃう。
病院で いろいろな検査をして やっとわかった病は
原因不明の 「特発性てんかん」というものだった。
若い人のてんかんとは異なる病態
まず てんかん特有のけいれんが起こらないんだって。
だから てんかんとわかりにくい。
高齢者が罹患することが多いらしいの。
ちなみに そのひとは
治療をしながら 今は 元気に暮らしているそうです。
ほっ♪ 

それにしても 
同年代や さらに年上のひとと話すと
いろんなこと 教えて頂けるなぁと
この頃 とみに思います。
ひととのつきあいの仕方 老いのこと 病気のこと
老いていく わが身には
先輩方との こんなおしゃべりも 大切だわって思います。

三婆のおしゃべり会・・・
冷たい麦茶を 二杯
おまけに 冷えて 甘~いスイカも頂いて
すっかり 汗は止まりました。
ごちそうさまでした。

夕方になってきたし
そろそろ帰ろうかぁと 40分ぐらいでおいとましました。
Mさんは これから 散歩に行くらしい。
わたしは 庭に戻って
ホースや 草のかたまりを片付けてたら
止まった汗が また出てきた 💦

本日の業務は 終了とばかり
シャワーを浴びてすっきり・・・
こんな流れの 一日でございました。

     ☀

思いがけなく 三婆がそろった 縁側でのひととき。
ふだんは 滅多にないこと・・・
昨日のように 一日家にいるからこその出来事です。

まあ たまには いいですね。
いつもいつもだと どうかなぁ・・・?
わたし どちらかというと ひととのおつきあいは
密着タイプじゃないから たまぁに・・・が心地よい。
でも そう思うのは
今は働いていて 外に出てることが多いから。

仕事をやめて 毎日家にいるようになったら
ふたりに会う頻度は 少し増えるかもしれないわ。

ひと恋しくなって 会いたくなって
わたしから声をかけることも 今よりは多くなるかも。
また 彼女達からも 今より 声をかけてもらえるかも。
だって 家で過ごす時間は かなり多くなると思うから。
その時にこそ
程よい距離で 
つかず離れずのおつき合いができればいいわね。

老いてゆく ひとりもの同士 
助け合える 励まし合える
そんなふうになれれば 素敵ね。 

「三婆通り」という 
地縁でつながった わたし達 
ゆる~いおつき合いが 続きますように

       ✏ おり~ぶ


今日も おつき合い下さいまして ありがとうございます  


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