6年前の 今日のこと
東日本大震災・・・

こうしてブログを始めたのだから
一度は 記事として書いておこう・・・
そんな思いの朝です。

茨城県水戸市・・・

わたしは あの日 勤務先の病院にいました。
経験したことのない大きな地震の揺れが続き
ナースステーションにあったパソコンや
棚にあった様々なものが落ち
なにより 自分の身体が 定まらない恐怖。

何よりも患者さんの安全!!と
皆で手分けして 16床の個室をまわりました。
わたしが 受けもったのは 初老の女性の患者さん。
ベッド上で身体を起こして 恐怖に震えているお身体に
しっかり寄り添い 手を握り その後の揺れも共に
耐えながら 数十分 そうしていました。
揺れは 何度も何度も来ましたが 少し遠のいて
患者さんも少し 落ち着かれてきてから 退室しました。

わたしのいた病棟は 比較的新しい建物で
耐震建築がされていたので 外には避難せずに
患者さんの様子を見守りながらの時間が過ぎて行きました。

地域全体が停電で 水も出ない。
病院は 自家発電に切り替えて 何とか しのいでいましたが 
治療にも支障がでてきているし
調理ができないので 患者さんの食事も作れないなど
多くの困難が生じてきていました。


それに
他の病院で建物が崩壊したことで
患者さんが こちらの病院に移ってこられることになり
地震の非常事態 プラス 緊急支援で
医療スタッフ 事務方ふくめ 大混乱でした。

わたしは 退勤時刻を少し回ってから
病院を後にしました。
当時は 徒歩で通勤していたのですが
とにかく まともに歩けないほど 余震が強い。
電柱まで倒れそうなほど揺れていました。

病院を出る前に 母や次兄などに電話をかけましたが
もう 完全につながらなくなっています。
携帯も駄目だと絶望しかかった時
何とつかのまだけ つながったのです。
それは 甥っ子でした。
「〇〇子おばちゃん 大丈夫?
俺たちは大丈夫だよ。おかん(義姉)も大丈夫だって」
「大丈夫」という言葉が こんなにありがたかったことが
あっただろうかと思うほど 安堵しました。
つながったということが・・・
でも ひとり暮らしの母はどうしているだろう?
それが 一番気がかり・・・

帰宅すると かわらこそ落ちていなかったけれど
家の中は惨憺たる有様でした。
観音扉の 食器戸棚は 倒れてはいなかったけれど
中の器は ほとんど 床に落ちていました。
本棚の本は これまたすべて落ちていて
ほかにも いろんなものが 落ちては壊れています。

でも 何よりかにより 気になるのは母のこと。
車を 出そうとすると 何と 次兄が来てくれたのです。
「おふくろ だいじょぶだったぞ。会社から帰る時
寄ってきたよ」という。
わたしは 彼の姿にほっとしながらも
「じゃあ うちに連れてきてくれればよかったのに」
と 言うと
「家の中片づけるからいいって。そのうち来てくれんだろう
って言ってたよ」と。

いざ 実家の母を迎えに行こうと 走り出しましたが 大渋滞。
15分でいける所を 2時間以上かけて たどり着きました。
母は 当時 伸び伸びと ひとり暮らしを謳歌してました。
「あーだった こーだった」と地震のことを
あれこれ報告してくる顔をみて 本当にほっとしました。
怪我もしないで 元気にしていてくれたって。

それからの数週間の暮らしは それはそれは大変でした。
電気はない 水はない お店に食材がない 生活用品がない
ガソリンがない ないない尽くしの暮らし・・・
ふだんあってあたりまえのことの
そのありがたさを痛感する そんな日々・・・
この ふだんの 何気ない日常のありがたさ
あらためて それを思ったものでした。

    🍃

でも こうしてわたしが書いていることなどと
比較にならないほどの もっともっと辛い体験を
なさっている方がたくさん たくさんいらっしゃる。
津波で 大切なひとをなくされた方
これまであった暮らしを根こそぎ奪われてしまった方
行方不明の家族を 待っている方
原発の事故で 郷里に戻れない方


それらの方々の
まだまだ 癒されることのない 深い悲しみを思います。

   🍃

わたしは 先ほど 甥っ子と電話でつながった時のことを
書きましたが・・・
・・・ある電話のことを 思い出しました。

それは 「風の電話」

昨年の3月 NHKスペシャルでも 紹介されていましたので
ご存知の方も多くいらっしゃると思います。

岩手県大槌町の海を臨む高台にある 電話ボックス
その土地の持ち主の方が 設置したものです。
電話線はつながっていません。
黒い電話と一冊のノートが置いてあるそうです。

📞

風の電話・・・会えない相手に思いを伝える電話です。

そこには こんな言葉をかいたボードが掲げてある。

風の電話は 心で話します。
静かに目を閉じ 耳を澄ましてください。
風の音が 浪の音が
あるいは 小鳥のさえずりがきこえたなら
あなたの思いを伝えてください。

多くの方が この電話を利用されているとききます。
もう会えない大切なひと
会いたくても まだ会うことのできない 大切なひとに
電話の受話器を握りしめ 耳に当て 語りかけるのですね、
そのひとへの思い 今の思い・・・

受話器の向こうから 返ってくる言葉は
実際にはないのだけれど
どれだけの方が その電話でこころが救われたことでしょう。

大切なひとを失った時の喪失感 絶望感 孤独感・・・
そのひとに語りかけることで
喪の作業(グリーフ ワーク)をしているのです。
悲嘆にくれた思いは 少しずつ少しずつ 
心の中に収められていき やがて そのひとは立ち直っていく
新しい人生を 歩み始める一歩を踏み出すことができる・・・

その電話は 
悲しみを癒してくれる電話なのです。

   ☎

3月11日
その草原に立つ電話ボックスで
今日もどなたかが 
風の電話をかけているかもしれません。

   🍃

わたしは ここで
手を合わせ お祈りいたします👏

この尊き日常に感謝しながら 💛


        ✐ おり~ぶ



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日曜の朝から涙 ぽろりろりん。

もうすぐわたしが生まれた季節・・・

comment iconコメント ( 4 )

そうですね~生きている事に、生かされている事に感謝して残りの人生を過ごしましょうね~

名前: おもかげ [Edit] 2017-03-11 17:17

Re: おもかげさんへ

おもかげさん こんばんは。

はぁい そうします。
感謝のこころで 過ごしますぅ♪

おもかげさん いつも ありがとうございます(*^-^*)

名前: おり~ぶ [Edit] 2017-03-11 21:35

6年の歳月は、まだ一区切りとは言えないリアルなもの‥というのが、震災を経験した方々の本音かもしれませんね。今日の夕食後、家族3人が6年前の今を振り返ってみました。私はトンネル内に停車した新幹線の中(福島県)、夫は出張先(岩手県)で車中待機、息子は歩いて帰宅中(東京都)。おり~ぶさんの“そのとき”も、大変なご苦労があったのですね。お察しいたします。
非常時にこそ、人間力が試されるのかもしれませんね。私たちの人生には、意味のないことなど一つもなく、今は分からなくても、必ず試練の意味が分かる時が来る。そう信じて生きるなら、きっと道は開けると思っています。とはいうものの、まだ自分でも消化できていないことも多く、ちょっと迷いましたが、コメントさせていただきました。

名前: しおん [Edit] 2017-03-11 23:12

Re: しおんさんへ

しおんさん おはようございます。

そうですね。まだまだ リアルなもの そうかもしれません。
しおんさんも わたしなどとは比べものにならないほど
過酷な状況に陥ったのでしたね。
いまだ ありありと浮かぶのではないでしょうか。
その時の事・・・

「私たちの人生には、意味のないことなど一つもなく、
今は分からなくても、必ず試練の意味が分かる時が来る。
そう信じて生きるなら、きっと道は開ける」
しおんさんのこの言葉に 涙が出ました。

きっと 道は開ける・・・

しおんさん いつも ありがとうございます(^^)/

名前: おり~ぶ [Edit] 2017-03-12 07:46

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