今日は 今朝読んだ ある新聞記事から
感じたことを書こうと思います。

それがね・・・ 今朝の新聞ではないの。
昨日の新聞を 今朝 読んだ( ˘ω˘ ) 

昨日は 朝はやくブログを書いてから 
絵本セラピーの準備をしていたら 新聞読むの忘れちゃった。
というより 慌ただしくて 時間がなかった。
昼過ぎに 絵本セラピーのため隣市に行って・・・
セラピーを終えて帰宅しても いろいろあって・・・
昨日の新聞 今朝読むことになった次第です。

読まないともったいないような気がして 手にとったら
第一面に 書かれていた言葉 それは

「生きていてよい それが人権なんだ」

この新聞 こういうテーマの記事 第一面に出してくるから
何となく 好きなんですよ。

その記事は 
神奈川の知的障害のある方の施設で起きた
19人が亡くなられた痛ましい事件に関連したもの。
もうすぐ一年になるんですね。

新聞社に届いた 事件の被告からの手紙には
障害のある人は不幸だから安楽死させるべきなどという
差別的な意見が述べられていて 
反省の言葉は 全くないそうです。

自らも障害があり 障害者支援に取り組む専門家の方
お二人が その手紙を読んだ感想を述べておられる。
大学の先生をしている 熊谷晋一郎さんと
NPOで障害のある方の支援活動をしている 海老原宏美さん

熊谷さんは言う。
「価値があろうがなかろうが生きていてよい。
それが人権なんだと認めあえる社会にしなくてはいけない」


このように 述べながら
自分勝手な線引きで人を評価する考え方は
被告だけにとどまらないのではないかと危惧の思いも
吐露されている。

海老原さんは言う。
「世話をされないと生きていけない人は世の中にいらない
そうなりたくないと考える人はたくさんいる。
・・・自分が障害者でなくてよかったと
多くの人が感じているのであれば 亡くなった十九人は
浮かばれない」


彼女は 被告と同じような考えをしている人が
社会に潜んでいるのではないかと憂慮しているのだ。

わたしは このお二人の言葉を読んで
はたして 自分は どうかと 胸に手を当てた。

職業柄 精神的な障害のある方々と
かかわらせて頂いた経験もあるし
仕事上 傾聴という基本スキルの上でも
そのひとをあれこれ評価しないというスタンス。 
まずは ニュートラルな立ち位置を意識しているので
自分の中には 差別的な意識はないつもり・・・。
あくまで ひとりの人間として向き合う。
そこに 障害の有無という ものさしはない。

でも 本当にそうかと問われると はたと考え込む
そんな感じもあります。
障害の有無というようなこと以外の場面では
自分勝手なものさしで 
他者を見てしまうというようなことは あるような気がする。

ただ これまでずっと
生きているだけで価値がある
そんなふうに思って 生きてきてはいるのです。

ひとは 誰でも 価値のある人間で
生きている価値のないひとなどいない。
価値のある人間と 価値のない人間などという
見方は これまでだって してこなかった。
・・・と思う。

だから 2月の新聞記事で
先ほどの海老原さんが
新聞に寄稿したという文章を読んだ時も
「ああ そうよ まさしくそうよ」と思いました。
そこには こう書いてある。

価値を創り出すという能力は 唯一
人間にのみ与えられている。
そう 考える時 
ただ そこに静かに存在するだけの人間に
その尊厳を見いだすことも 人間だからできること。


海老原さんご自身 難病による重度障害を抱えながら
障害のある方の自立を支える活動をしているのです。
彼女の言葉が
くさびのように わたしのこころに打ち込まれた。

生きていてよい。
どんなひとでも どのようになっても 
生きていてよい。
たとえ 障害のあるひとであっても
そうでなくても なんら変わることはない。
それが 人権というもの。

    🌻

ところで
数年前のことになりますが
某大学の死生学講座に通ったことがあります。
その時のレクチャーで
こころに残っている言葉があるの。

その時のテーマは
できることがなくなっていく私を いかに肯定するか
哲学が専門だった その教授が言われた。

居ることはできる。
居るのは 人々の輪の中にいるということ。
周囲の人から肯定され 受容せられること。
私にできる社会貢献は 堂々と皆に世話をかけ
社会的資源にたより そのようにして 私たちの社会が
「誰一人を切り捨てず 仲間として支える」社会であることを
身をもって示すことである。
そのように理解すべし。


わたしは これを聞いた時 目からうろこでした。
特に 私にできる社会貢献~ というところ。

こんな切り口があったのかという驚き。
どんなひとでも どんなふうになっても
そこに 居る そこに 生きることで
生きる姿をありのまま見せていくことで
それが 社会貢献になっていく というところ。

人間の社会は 人間の生きる姿から 変わっていく。
そのひとの生きる姿が
社会のシステムをより良い方向に変えていく
そんなことが 起こってくるでしょ 実際に。

生きているだけで 価値がある・・・
そんな漠然とした思いに 
はっきりとした道筋ができたような気がして
忘れられない言葉になっています。

わたしだって やがて 
世話をされなければ生きていけない・・・
そんな状態になるかもしれません。
病気で寝たきりになるかもしれないし
老いてからだが弱ったり
認知症になったりして
ひとの手を借りないといけなくなる。
そんなことが 徐々に現実味を帯びている年代に
さしかかっているのです。

そうなった時 わたしは 生きる価値がないひとなの?
そうじゃない 断じて。

わたしは 究極の自己肯定で
堂々とお世話になろう そう思ってます。
からだもあたまも どよどよになっても
「ああ わたしは何の役にも立たなくて 
無価値な人間になり果てた~」など
嘆きすぎないようにしたいわ。
だって 生きてるだけで 価値があるの。
そのわたしのいのちの尊厳を 見いだしてくれるひとが
かならずいてくれることを信じて
「ありがとう ありがとう」といって お世話になろう 潔く。

     🌻

ふうっ 何だか 一気に書いてしまった。
少々 まじめなこと。

ところで こんな詩も あるの。

ぼくが ここに
         まど みちお

ぼくが ここに いるとき
ほかの どんなものも
ぼくに かさなって
ここに いることは できない

もしも ゾウが ここに いるならば
そのゾウだけ
マメがいるならば
その一つぶの マメだけしか
ここに いることは できない

ああ このちきゅうの うえでは
こんなに だいじに
まもられているのだ
どんなものが どんなところに
いるときにも
その「いること」こそが
なににも まして
すばらしいこと として


そこに居ること 生きること
それこそが すばらしいこと
価値あること
わたしは そんなふうに この詩を受け取っています。

    🌻

みんな みんな 生きててよい
障害があってもなくても 同じです。
みんなみんな 生きててよい
それが 人権♪

昨日の絵本セラピーで読んだ絵本
「いいから いいから」の 超ポジティブおじいちゃんも
きっと 言うと思う。

誰だって どんなふうだって
そこに居ていいよ 生きてていいよ。
いいから いいから♪
生きてるだけで 価値があるのさ。

ひとりひとりのそんな思いが
生きづらい社会を 少しずつ変えていけるといいな。

誰だって どんなひとだって
生きてるだけで 価値がある。
そのことを 忘れない ♡


   おり~ぶ



今日も お運び下さいまして ありがとうございます  

お知らせ
本日は  コメント欄 お休みしていますm(__)m


🌻ランキングに参加中~
あなたからの応援ポチッにも すご~く励まされてます。
ありがとうございます 感謝 感謝です
   👇
にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へ

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 60代の生き方へ


にほんブログ村

息を吹き返してくれた叔母のこと

請微笑~ものの言い方ひとつで。