6月も はや後半にさしかかろうとしています。
今年も 半年が過ぎようとしているんですね。
時の流れが 加齢とともに速まってきている。
そう 感じてしまうのは 気のせい?

ところで
6月になると 必ず やることがあります。
これまで やっていたことを まず ひとつ。

それは 茅の輪くぐり 
ちのわくぐり・・・
確か 昨年の6月にも ちょこっと記事にしましたが 
また書いちゃいます。

茅(かや)で編んだ こんな輪っかをくぐるんです。

茅の輪

神代の昔 須佐之男命(すさのおのみこと)が 一夜の宿を借り 
厚いもてなしを受けたお礼に 茅で作った輪を授けたら 
その家は 後の世までも栄えたという神話があるそうなの。 
そこから 茅の輪は 疫病を払うと言われているとのこと。

この輪をくぐる時には お作法があって 
左からくぐり くぐったら右に出て
また 左からくぐる つまり 八の字を描くようにくぐるの。
それを 3回。
また 輪をくぐりながら 和歌を唱えるんです。
水無月の夏越の祓する人は千年の命延ぶというなり 
(拾遺集より)
みなづきのなごしのはらいするひとは
ちとせのいのちのぶというなり

わたしは毎年くぐっているので ほぼ暗記しているかなぁ。
何も見ずに この歌を小さい声で唱えながら くぐります。
とちゅうわからなくなったら ムニャムニャとごまかしちゃう。
歌の書いてあるカードも用意されているので 
それを片手にくぐるひともいます。

この夏越の大祓式は 6月30日が本番ですが 
わたしはその日 仕事で行けないことが多いので 
毎年6月中の都合の良い日に
八幡様に詣でることにしています。

あっ そうそう
この輪くぐりと合わせて やることがあるの。 
白い紙の人形(ひとがた)に名前を書いて 
その人形で 左の胸 右の胸を触って 
最後に 名前のところに息を吹きかけます。
それを 気もちばかりの初穂料とともに納めておくと
30日のお式の時に お祓いをしてくれます。

人形を納めて 輪くぐりをしたら お守りも買います。
夏越の祓いの季節限定 茅の輪お守り
数量限定に弱いんですよ わたし。

DSC_0757.jpg

この6月の儀式 
もう10数年 やっています。
それまでは お正月に初詣に伺うぐらいでしたが 
ある時から 時々 お参りに行くようになったんです。

それは やはり 病気をしてから・・・
乳がんと分かった時 手術の前 術後の再発予防の治療・・・
その間 何度となく 八幡様を訪れました。
それは やっぱり 神頼み♡
それこそ 藁をもすがる思いですもの。
これまで それほど眼中にないこととて 
必死でおすがりいたします (^_-)-☆

わたしの場合は 初期ガンではなかったので
治療終了までは 10年間 検査と治療の繰り返しでした。
初めの頃は 3か月ごとに 検査そして治療
後に 半年 そして 一年・・・
というように 間隔は開いていきましたが
検査の度ごとに どうぞ悪い結果が出ないようにと
病院にいく前に 八幡様に寄って 
二礼二拍手一礼をリフレイン♪
お社が 病院への通り道にあるので 好都合だったの。

神道を宗教として 信仰しているわけではないけれど
そうして 八幡様に詣でることでも 
こころの安定を図ってきたように思います。
病への恐れも不安も お詣りすることで 
一瞬でも軽くなったことは 確かですから。
病に向き合う歩みの中で わたしにとっては 
必要な場だったのだと思います。

八幡様は 街中のこんもりとした森の中に 鎮座しています。
樹齢数百年という銀杏や桜 木々の間に咲くたくさんの紫陽花
こじんまりした境内に入ると そこには おごそかで清新な空気
が満ちていて とてもこころが落ち着くんです。

わたしは 今こうして生きていることができる。
そう思うと 八幡様は わたしにとって 
まさしく パワースポットといえるのかもしれません (^_-)-☆
これからも 折にふれて 八幡様のちいさな森に
こころを 休めにまいります。

    🍃

そして もうひとつ
これは 今年初めて やること。

あじさいの魔除け なの。
以前 新聞で 読んだんです。
紫陽花を 薬玉に見立てて 飾ってお祈りし 魔除けをする
そんな地域があるようなの。 

ネットで調べてみたら ありました♪
天満神社(兵庫県)のHPに 出てました。

天満神社

古来より七夕の頃に 紫陽花を軒下につるしておくと 
あじさいのもつ霊力により
その家の魔除け 厄除けができるらしい。
まだ 七夕じゃないけど 
ちょうど 我が家のガクアジサイが 咲きそろってきたところ。
切り取ってつるすのは ちょっとかわいそうな気もしましたが
あじさいの こういう愛で方も 許されるかしら。

さっそく 庭に出て お花を切って このように
準備はしたのだけれど・・・

紫陽花魔除け

これを どこにつるすかなぁ と ただ今思案中。

あじさいは 日本が原産の花。
咲きはじめから だんだん花の色が変わったり 
土壌の酸性・アルカリ性で色違いがあるからか 
頭に浮かんだ花言葉は 移り気・・・
ちょっとネガティブな花言葉としては 高慢 無情 冷淡・・・

でも 小さい花が寄り添って 
ひとつの美しい花になっているからか
仲良し 友情 家族団欒 辛抱強い愛情 謙虚 などの
ポジティブな花言葉もあるようです。
母の日には お花屋さんに カーネーションと並んで
あじさいの花がお目見えするのは 
そのポジティブな方の花言葉のおかげかな。

この6月は あじさいで 魔除け(^_-)-☆
高慢 無情 冷淡などの こころの魔が来ないように
あじさいの花を飾ります。
謙虚なこころで 友情を育み 
ひとり暮らしでも ひとり団欒できますように(^^♪
こころの魔を 追い払いますよ~

茅の輪といい あじさいといい・・・
季節の訪れを味わいながら 
厄払いや魔除けができるなんて
日本に生まれて よかったなぁ。

大いなるものに守られて
この日本の四季を 味わうことのできる暮らし

生かされていることへの感謝の思いが湧いてくる
しみじみとした 朝です 💛

  
    おり~ぶ



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「亡くなった方を思えば やれないことはない」
この言葉に こころを打たれました。

どういうことかというと・・・

昨日の朝 TVニュースで 
陸前高田市の種苗店主・佐藤さんのことを報道していたの。
わたしは この佐藤さんのことを初めて知りましたが
大震災関連の報道などで 
すでにご存じの方もいらっしゃるかもしれませんね。

彼は 津波の被害のあと 
ご自身の種苗店を 何とか再開しながら
一冊の英語の本を書かれたのです。

「The Seed of Hope in the Heart」 心に希望の種を・・・

英語が得意だったわけではないという佐藤さんが 
懸命に書き綴ったのは 大震災の津波の体験でした。
陸前高田市の 
最も被害の大きかったところに住んでいた佐藤さん
津波で 種苗店も何もかも失ってしまった・・・
その体験を 多くのひとに伝えていきたいと思ったのです。

でも なぜ 英語だったのか・・・
TVでは 佐藤さんの知り合いだった英語講師の男性が
紹介されていました。
彼は 津波に流され亡くなったのです。
その男性とのご縁を 
佐藤さんは 深くこころに感じていたのでしょう。

そして その彼も含めて 津波によって亡くなった 
多くの人々の無念の思いが 彼を突き動かしたのです。
震災後は 多くの外国人も 被災地を訪れているようですが 
そんな時 被害の状況や人々の思いを 
何とか その国の言葉で伝えられないか 
そんな背景もあったと思います。

佐藤さんには ぜひとも伝えたいことがあった。 
その伝えたい情熱が 言語のハードルを 越えさせた・・・。
それが 英語での体験記 そういうことだったのだろうか。

TVの中で 佐藤さんは言っていました。
「日本語で書いたら切なくて書けない。
例えば ご遺体と書くと 辛くなってくる。
英語では Bodyとだけ書けばいいから」
そして
「亡くなった方を思えば やれないことはない」と。

亡くなった方を思えば やれないことはない・・・
わたしは この言葉に胸が締め付けられるような衝撃を受けて
食事をしながら見ていた箸を 思わず置いてしまったほど。
食い入るように 画面に映る佐藤さんを見つめていました。

一語一語 電子辞書を引きながら 
数か月かけて書き綴った 英語での体験記
「亡くなった方を思えば やれないことはない」その一念が
彼を励まし続け 一冊の本を完成させたのだ。
そう思うと 熱いものがこみ上げてきて 涙が出てきます。

被災地は 当時 まだまだ普段通りの暮らしは
できていなかった状況だったでしょう。
お店の再建など 佐藤さん自身も 
自分のことで精一杯だったのではないか。
そんな中で 何ものかに取りつかれたように 
執筆を続けた 佐藤さん
しかも 英語で・・・
わたしは 何か 崇高なものを 彼に感じたのです。

     🍃

TV映像の後
ネットで 佐藤さんのこと 本のことを調べてみました。

佐藤さんは 45歳で脱サラ。 家業の農業に従事し 
さらに種苗店を始められた。
当初はいろいろご苦労があったけれど 種苗店がやっと
軌道に乗り始めた矢先の 大震災。
被災後は さらなる艱難辛苦の状況の中 
荒れ地に お店を再開し 震災体験を伝えるという活動も
精力的にしておられる そして 彼もまた 現在 60代・・・

「The Seed of Hope in the Heart」の前書きには
津波の被害を最小限にとどめること
力強く自らの手で復興していくこと
助け合うこと・・・そのようなことが書かれているそうです。

そして この本の音読会を通して 
体験を伝える活動を共にしている方の文章の中に 
こんな部分がありました。

「夜になると 亡くなった人が 書いてくれと叫ぶんだよ」
と 佐藤さんは言っていました。佐藤さんの住んでいるところは 
最も被害の多かったところ・・・

そうだったのだ。
佐藤さんには 亡きひとの叫びが 
なきひとのこころの声がきこえたんだ。
ほんとうに 聴こえたのかもしれない・・・
わたしは あらためてそう思いました。

「The Seed of Hope in the Heart」は 
その後 中国語版もできているそうです。
これも 佐藤さんが書かれている。
指導してくれる人がいるにしても 
中国語にもチャレンジしてしまう佐藤さん
すごすぎます!!
題名は「在心中希望的種子」 

「在心中希望的種子」
この本をもって 台湾にも出かけていった佐藤さん
台湾は 実に多くの支援の手を差し伸べてくれた国だから
感謝の思いを込めて 
その本を紹介してこられたのだと思います。

現在の佐藤さんは なお熱意をもって 
世界に情報発信を続けておられる様子・・・
益々の ご活躍をお祈りしています。

   🍃

佐藤さんのことを知り
「亡くなった方を思えば やれないことはない」
この言葉を聞き
そのような思いで頑張ったこと わたしにあったかしら?
と 自分の人生を さら~っと振り返りました。
佐藤さんのような 偉大な行いをされているひとと比べるのは
おこがましいけれど ふと そう思ったのです。

そして・・・
「亡くなった方を思えば やれないことはない」と
そこまでの熱い思いでやったことは・・・思い浮かばなかった。

少しぐらいの意気込みでやったことは あったかもしれない。
それは それで 自分が生きた証として わたしにとっては
貴重な体験になっています。

でも 佐藤さんのように 英語の本を書いてしまうというような
得意でなかったことにチャレンジして 成し遂げてしまう 
そんな気迫に満ちたこと したことはなかったです。

だから 彼のしていることに 感動してしまう。
ひとに伝えたい思いの強さ そして その実行力
そこに わたしは 惹きつけられたのだと思います。

自分の人生で 一度ぐらい 
そんなエネルギー出せたらいいなぁ。

震災の被害に限らず 病気や事故 災害などで
おそらくは 志半ばで亡くなっていく方の無念さを思えば
やって やれないことはない・・・

そう やれないことはないのよね。

一生に一度ぐらい
熱きこころで チャレンジすること できたらいいな。
もう 62歳だけど まだ 62歳・・・

目立たないことでいいから
小さなことでいいから

自分が自分に「よく やったね!!」と言えるように
まだまだ もちっと 頑張りたい♪


「The Seed of Hope in the Heart」

ふたば

彼はまた わたしのこころにも
一粒の種をまいたのです。
人生の希望の種を ひとつ・・・

ひとは ひとのこころに動かされる。
佐藤さんは 亡きひとのこころに突き動かされた。
そして わたしは
佐藤さんのこころに 動かされている。

わたしの魂が 揺り動かされている 💛


     おり~ぶ



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酷いんじゃないかぁ その言葉・・・
といっても 何か言われて 傷ついたわけではありません。

ある言葉をきいて
エッ その言葉はどうなのって 思ったの。

ある言葉とは 「没イチ」
先日 NHK朝のニュースのクローズアップで 
伴侶を亡くした人が 集まって気もちを分かち合い 
元気にひとり暮らしをしているとの話題を取り上げていました。
その時 その会に集うひと達が 自らを「没イチ」と言っている。
アナウンサーは そんなふうに伝えていました。
「没イチ」とテロップにも出たので 
その言葉 覚えてしまったの。

数日後のクローズアップ現代でも その「没イチ」のこと 
特集で取り上げていたようなんですが 見ませんでした。
見ようと思っていて TVをかけておいたんだけど
うたたねしてしまい 終わったころに目が覚めた次第(>_<)
早寝早起きのおり~ぶは 午後10時のTVは見られないの。

そうそう この 「没イチ」という言葉
初めてきいた その時は なんじゃそれ~って 思っちゃった。
まあ 離婚した場合のバツイチという言葉もあるから 
その並びって感じ?
バツイチの方は 市民権を得ているというか 
なんか元気の出る言葉という感じがしちゃう わたしはね。
「わたし バツイチなの」って 開き直ってて いいなあ。
といっても 言葉に対する感じ方や考え方は 
ひとそれぞれだから 
嫌な言葉だわと思うひともいるかもしれません。

「没イチ」は どうなの?
わたしの 「没イチ」の第一印象は 
「ちょっと 酷いんじゃない その言葉」
そう思ったのは わたしが いわゆる 「没イチ」だからなの(>_<) 
まあ 他人が
「あの人 没イチらしいよ」というのは かまわない。 
わたしにきこえなければね。
どのように表現するかは そのひとの問題で 
わたしのコントロールできる範囲ではありません。

でも 自ら 「わたし 没イチなの」とは 
今のところ 言わないと思います。
だって 夫が没したんだから そりゃ 「没イチ」 だろうけど
何だか ネガティブワードよね~と思うのです。

没・・・没にする 沈没 没落 埋没 陥没 って 
何だか 暗い気もちになる。
どぼどぼと底なし沼に
はまっていってしまうような感じさえ受けちゃうの。
長い間 暗い水底に耐えながら 
やっと少し水面に出て 呼吸できているのに
また 潜ってしまうのは 嫌ですよ (^_-)-☆ 

ところで
没イチ ということは 没2 没3もあるの?
あら あるかもね 再婚しても 再再婚しても 
そういうことあるかもしれない。
二度あることは三度ある?
わたしは 二度あったわけじゃないから もうないです。
とりあえず 「没イチ」どまりだわ。
・・・なぁんて ほら「没イチ」って書いてるわよ。

そうね 「没イチとは言わないと思います」って言っていながら 
「没イチ」って もう使ってます(>_<)

でも 口に出すことはしないと思うの 今のところ。
・・・先のことはわかりません。
意外と気に入って 
「わたし 没イチ よろしくね」なんて言うかもしれない。
それは それでいいんじゃない。
「没イチって 酷い言葉だわ」と思わなくなった・・・
それだけのこと。 

じゃあ 今は 
わたし なんて言ってるのかしら 自分のこと。

まだ わたしの境遇をしらないひとには 
こう聞かれることありますよ。
「ご主人は?」とか 「ご主人と二人暮らしですか?」とか・・・
わたしは 概ね こう答えてます。
「死別していて ひとりなんですよ」と。

「ひとりなんです」とか「夫はいなくて ひとりなの」と言うと 
結婚経験のない独身者なのか 
離別なのか死別なのかと思うでしょ。
相手によっては 
そんなことどちらでもいいと思うひともいるかもしれないけど
どんなひとりなのかと 気になるひともいるでしょ。 
だから あえて死別という言葉を入れることのほうが多いの。
それに「夫と死別しているわたし」は 
わたしのアイデンティティーとしては
欠かせない部分でもあると思うので。

まあ ふだんは そうしているわけですが 
実は こころひそかに
「わたし ひとりなの ふふふ」と答えて 
謎めいた女性と思わせるような・・・
そんなシーン 想像してるんですよ あくまで想像してるだけ。

ところで
伴侶を亡くしたひとのことは 
どのような言葉で表現されるのかな。
女性の場合・・・
未亡人 寡婦 後家 
やもめ(男性チックな感じしてたけど 女性のこともいうらしい)
英語では widowウイドゥー(元は 引き離された女という意味)

この中で わたしの好きな言葉は ウイドゥー♪
昔「メリー ウイドゥー」という映画 DVDで観たことがあるの。
メリーウイドゥー 陽気な未亡人のお話 
明るいコメディタッチのドラマでした。
だから「ウイドゥー」という言葉 好印象なんです。

ちなみに 先日行った集まりで きこえてきた会話 
50代の主婦の方々の雑談の中で・・・
「うちの主人 ここのところ単身赴任してるの」
「あら それじゃ単身赴任ウイドゥーじゃない いいわねぇ」と。
まぁ 若いひと達は こんなふうに軽~く ウイドゥーって
使うんだぁと思って 何だか面白かった。

好きな言葉は ウイドゥーだけど
ほんとは 特にこだわりはないんです。
未亡人・・・いまだ 亡くならないひと その通りだもの。
寡婦 女やもめ ウイドゥー・・・
どの言葉で 表されてもかまわない。
あっ でも 公的な書類などで 「寡婦」の二文字
初めて見た時は やっぱり ショックだったなぁ。

   🍃

とはいえ 記事を書いてるうちに
「没イチ」への親和性も 増してきた感じさえ します(^_-)-☆
気もちの切り替え はやいんですよ おり~ぶは・・・

夫は没したから わたしは 没イチ
その時は わたしも 没しました ある意味。
だから まさしく 没イチ・・・

でもね わたしは没し続けてはいませんよ。
自分が没するまでは 没しない あたりまえ(^_-)-☆

あっ 急にイメージされたんだけど
根っこが泥水の中に没している植物・・・蓮

蓮

「蓮は泥より出でて 泥に染まらず」
汚れた泥の中から美しい花を咲かせる蓮の姿は
昔から 悟りの道を求める姿に例えられてきました。

その蓮の花のように
没したところから 健気に伸びて 花を咲かせる
そんな姿でありたいなぁ。

そろそろ 蓮の花の咲く季節
市内の千波公園の蓮池でも 美しい花が見られます。

没イチのわたし
ひとりで お花見してこようっと💛

       おり~ぶ




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今日は 「傷」にまつわるお話です。

★一つ目の 傷の話 

先日 沈丁花の挿し木をしました。

DSC_0750.jpg

義姉の家の沈丁花が 突然枯れてしまったので
それなら 我が家の花を挿し木して 
プレゼントしようと思ったのです。

ネットで調べたら 沈丁花は
原因不明で枯れてしまうようなことがあるらしい。
挿し木に向いている花木なので それで増やしておけば 
毎年いい香りの花が咲く・・・
ということを書いているひとがいました。
この季節が 挿し木にいいらしいので さっそく 枝を切って
水に浸してから 植木鉢の土に挿しました。

たくさん水を吸い上げられるように 
切り口を斜めに切りながら思いました。 
生々しい切り傷・・・
この枝を土に挿すだけで 根が生えてくるのだから不思議だわ。
土に植えなくても 水の中に入れておくだけで 
白い根っこが出てきます。
これは 沈丁花に限ったことではない。

あらためて ネットで調べてみたら
葉や茎を切ると 傷口に
何の細胞にもなる幹細胞というのが生じるらしい。
それで 根が出るんですね。

そこで 急に 思い出しました。
吉野弘氏のエッセイ「詩のすすめ」の中に 
挿し木のことが書かれていた。
ページをめくりにめくって探したら ありました!!

ちょっと長くて すみません。

「創造 クリエートという言葉は このごろ大層評価の高い
言葉のようですが 創造の創が「きず」だということは
意外に知られていないようです。
(絆創膏という薬もあることです。)創造の創は 
もちろん「物事の始まり 始め」という意味ですが 
物事の始まりが「きず」だということは
大変意味深いという気がします。

創造らしい創造をする精神は 
そのいとなみに先立って 
何等かのきずを負っているのではないか。
きずを自らの手で癒そうとすることが
創造につながるのではないか。

植物を挿木によって殖やす場合 枝の一部を刃物で殺ぎます。
地中に挿しこんだその傷口から 初々しい根が生えます。
このことは 「きず」と「創造」がまさしく一語の中の
二つの姿であることを 感得させてくれます。」


「きず」と創造・クリエートを結び付けた発想に 
さすが詩人だわと感嘆!!
挿し木をすることが 傷から新しいものを生み出す 
創造するという意味合いをもつ行為なのだと思ったら 
何だか感慨深く 植木鉢の沈丁花を見つめてしまいました。 

傷口に新しい細胞が生まれて 自らの力で根を伸ばし 
新たな沈丁花として育っていく・・・
まさに 植物の力 生き物の力です。

植木鉢の土は 乾かさないように 
毎日少しずつ水やりをしています。

★ふたつめの 傷の話

この話を書くのは とっても悲しい・・・

昨夜 友達が知らせてくれたメールで こころが青ざめた。
何と わたしの大好きなボーカルグループLE VELVETSの
メンバーのひとりが 児童買春で逮捕されたのです!!

メールを見て 心臓が飛び出るくらい驚いて 
急いで ネットで見たら・・・確かに書いてありました。
公式ブログには 事務所の謝罪文があり 
彼は 無期限活動停止になったとのこと。

やってはいけないことをやってしまったKさん・・・
何で? どうしてそんなことを?と
悲しくて 腹がたって 涙が出ました。

Kさんのことはもちろんだけど 他の4人のメンバーのことも
とっても気になったし グループが存続していけるのかどうか
ということも ファンのひとりとして 心配でなりません。

これから・・・ これから頑張っていくところに来ていたのに
Kさんは いったい 何を考えていたのぉ(>_<)
ひととして おとなとして 社会人として 歌い手としての 
いろんな自覚と責任 感じてなかったのぉ。
美しいバリトンを響かせ 誠実な人柄が人気だったKさん
いったい どうしちゃったのぉ。

ひとりの少女を傷つけ
そして
自分自身を傷つけてしまう結果となる
行動をしてしまった Kさん・・・
ブループのメンバーも どんなにか傷つき 
苦しんでいると思います。

昨夜は そのことで 夜明けまで眠れませんでした。
悲しくて 悔しくて 心配で・・・ 

一夜明け 
わたしが見ている新聞の記事には 
Kさんのことは載っていませんでした。
同じようなことで騒がれている 某俳優さんに比べたら
それは 知名度まだまだの存在ですから・・・
だからこそ 
これから頑張っていくグループだったはずなのにと 
またまた 切ない気もちのわたしです。

でも こうして 記事を書きながら
だいぶ こころが落ち着いてきました。
それは 「きず」と「創造」の吉野氏の文章を読んだから。

ひとを傷つけ みずからも これまでにない傷を負ったKさん
すでに犯してしまった過ちは 事実として消えることはない。
今 やらねばならないことは そのことを まず謝罪して
しっかりと悔い改め 罪を償うことでしょう。

自らの傷を治していくのは まずは 自分自身しかいない。
吉野氏の書いているように 
きずを 自らの手で癒そうとすることが 
創造につながるのではないかということ。
この場合の「創造」・・・Kさんの場合は 
「再生」「新生」という言葉の方が ぴったりするかもしれない。

悔いて 償う道のりは 長く 苦しい道のりだと思うけれど
やがて その苦悩の中から 白い根っこが出てきてくれる。
傷を自らの手で癒し そこから根を伸ばして 
新たなKさんとして 生きていってくれる・・・
そう願わずには いられません。

Kさんは 必ずや 新生Kさんとして
また あの歌声を聴かせてくれる・・・
ファンのひとりとして
Kさんのこころを信じて 待ちたいと思っています。

   🍃

ひとは誰でも 少なからず 何らかのきずを負っていると思う。
許されないきず 許されたきず 
許したくないきず 許したきず
自らすでに癒したきず
今だ 癒されないきず・・・
いろんなきずが あるけれど
きずは 創造の始まり 新たに生きることの始まり・・・

沈丁花の挿し木に水をやるように
わたしも 
自らのきずを癒す こころの水やり 続けます。

「傷」は 創造のはじまり・・・
そのことを心に留めて 生きていこう💛 


      おり~ぶ


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こちらは 雨が降っています。
梅雨らしいお天気・・・

今朝は ちょっとした用事があって 出かける予定があるの。
近くなので歩いていこうと思っていた 徒歩15分弱。
でも あいにくの雨
やっぱり 車で行こうか・・・などと思案しながら
窓外の 雨を じっと見ていたら ふと 思った。

わたしにとっては あいにく・・・だけど
お天気に良い悪いなどないんでしょうに。 
お天気は 空は よいわるいなど 意図していませんよ。
人間の都合など 気にしちゃいないのが お天気 そして 雨。

恵みの雨というじゃないの。
雨が降らなければ 青々とした植物は育たない。
しっとりとした 雨の日も なかなか 風情があるではないか。
靴がびしょぬれになろうが 服が濡れようが 
足をとられて歩きづらかろうが 知ったこっちゃありません。

あいにくの雨だなんて ほんと 人間本位の考えよね。
雨に 悪意はありません。

こんな詩 思い出して 読み返しました。
雨音をききながら・・・

あめのおと
      まど みちお

あめのおとって
くさに しとしと
いけに ぽちょぽちょ
ほどうに ぴちぴち
かさに ぽちぽち
とたんのやねには 
たんたか たんたか
おもしろいんだけど
でも 
あんなに たかいたかい
てんから ふってくる
とちゅうのおとは
ああ どんなだろう

あらぁ そうだわね。
わたしんちは 瓦屋根だから 今は ぼとぼとって感じで
聞こえてくる。
でも とちゅうの音って どんなだろうか。

雨を表す 擬音語は 
ザーザー さらさら ぽつりぽつり ザーッ ぱらぱら しとしと 
これぐらいしか 思いつかないけど
どちらかというと 雨粒が落ちた時の音を 言葉にしてる。
いずれにしても 天から降ってくる 途中の音ではないわいな。
音もなく 降っている雨・・・そんな雨あるんだろうか?

まぁ 朝から ぼやけたこと 考えてしまい
記事に書いたりして 少々 ほうけたおり~ぶですが
こんな詩も 思い出しました。
引用ばかりで いいんでしょうか いいんよ~ (@_@。

雨の日の花
      高田 敏子

雨は降っている
花は咲いている

花の上に落ちる雨

悲しんでいるのは雨だった
花をよけて
雨は降ることはできない

花は咲いている
雨の心をいたわり うけとめて
花びらに 雨の心を光らせて
花は咲いている


DSC_0749.jpg

花をよけて降ることはできない雨の悲しさ・・・
ああ 見ようと思えば
雨にも こころがあるかもしれない。
やっぱり あいにくの雨・・・だなんて 失礼かしら!?

     🍃

ということで
今朝のお出かけは・・・
傘をさして 15分歩いて まいりましょう。
レインシューズに レインコート
車ばかり使っていると 
なかなか 身に着ける機会 ないですもん。
物にも チャンスあげなくちゃね
眠らせておくの もったいない。
物にも いのちがあるわいな。
活躍の場 それは 今日のお出かけよ~

出かける用事がないなら 
のんびり 雨を眺めていたいところだけどね。
そういう時は 雨は見るもの 
思いにふける雰囲気作りにはぴったりです。
でも 出かける時は 雨はしのぐもの。
濡れないように防備して とことこ歩いていかなくちゃ。
山あり谷ありの長い人生のひとこま・・・
雨の一日 こんな日もあるさ。

そんなこんなで 今日の雨は
あいにくの雨じゃなくて
ありがたい雨
朝から 気もちがしっとりしていて うるおってる感じです。
みずみずしいこころで
きょうという日を 過ごします。

植物には 恵みの雨

803183.jpg

梅雨の季節 ☔

あなたにも 
わたしにも
恵みの雨でありますように  💛



         おり~ぶ




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